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ヴィスワヴァ・シンボルスカの名言で非常に興味深いことと言えば、世間に対する考えや見方を鋭く表現している点です。彼女は間違いなく現代詩人の最高峰の一人です。
ヴィスワヴァ・シンボルスカは、私達の思考の中に必ずあるはずなのに忘れてしまいがちなことについて多く書いています。平凡な世界を非常に独特な形で捉え表現するという、実に素晴らしい繊細さに恵まれたポーランド人詩人です。
ヴィスワヴァ・シンボルスカの名言はシンプルで率直です。彼女が詩的な魂を注いだその名言は読者との間に絆を築きます。
この素晴らしい詩人は、大学を卒業していません。貧しい家族に生まれたため、常に経済苦にありました。ですが、そうした事実が彼女が最高の詩人の一人となるのを止めることはありませんでした。
「贈り物というものはない、全ては借り物である。私は耳まで借りに浸かってしまっている。自分で自分の分を払い、自分の人生のために自分の人生を捧げるように強いられていくのだ。」
―ヴィスワヴァ・シンボルスカ―
私達はこの言葉を何度耳にしたことでしょうか?きっと何度か口にしたこともあるでしょう。多くの人に広まった使い古されたフレーズの一つで、悪いことが起きた時に使うよく使う言い回しです。
ヴィスワヴァ・シンボルスカの名言の一つに、次のように語っているものがあります。
「世界は残酷なところだが、他にもっと思いやりを持った人達を持つにも値する。」
この名言の素晴らしいところは、隠れた残酷さとの矛盾をほのめかしているところです。
ヴィスワヴァ・シンボルスカの名言にこうあります。
「全ての始まりはつまるところ、ただの連続で、出来事という名の本はいつも半分開いたままだ。」
この名言の中で、彼女は時間には始まりも終わりもないことを述べています。何かを始める時というのは、既に存在している現実を生き続けるだけです。生まれてくるもの全てに既に過去が存在します。そのため、何も終わりもしないのです。全ての出来事と事実は、それに先立つものと続くものという時間軸の一部なのです。
これもまた時間に関する内省の言葉です。
「『未来』という言葉を口にする時、その初めの音はもう過去のものになっている。」
彼女は、この名言を通して、一瞬一瞬が繰り返すことのできないユニークなものであることを私達に思い出させてくれます。時間は過ぎますが、以前と同じ物は何もありません。時間は戻らず、過去の物は決して未来に存在し続けることはないのです。
ヴィスワヴァ・シンボルスカは、この名言を真実の愛など存在しないと言う人達に捧げました。
「真実の愛を決して見つけられない人達には、そんなものなど存在しないと言わせておけばよい。彼らのその信念が彼らの人生を生きやすく、また死にやすくしてくれるだろう。」
彼女は、愛を信じない人達に疑問を呈しています。愛を信じない人はどこにも愛などないと信じているからこそ、愛が存在せず、また愛を起こす責任も彼らには全くないのです。
ヴィスワヴァ・シンボルスカは詩をライフスタイルにしました。彼女は、孤高の詩人ではありませんでした。その逆で、読者と常にコミュニケーションを取り、読者の疑問や考えに耳を傾けました。彼女は、詩人であることは韻文を思いつく以上のことであるということを理解していました。
「私は、詩を書かないというばからしさよりも詩を書くばからしさの方を好む。」
1996年に彼女がノーベル文学賞を受賞した時、多くの人が賛辞を送りました。そして、2012年に彼女が亡くなった時はそれ以上に多くの人が泣きました。世界は非常に才能があり深みある女性詩人を失ったのです。