インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ:ペルー文学の父

2019年8月11日
インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガは、ヒスパニック系アメリカ文学を始めた中のひとりです。アメリカで生まれたメスティーソの人々の心をとらえた最初の作家です。

1616年4月23日を記念して、毎年この日は世界本の日になっています。ミゲル・デ・セルバンテスとウィリアム・シェイクスピアの命日であるため、この日が特別だと考える人も多いでしょう。実は、ミゲル・デ・セルバンテスが亡くなったのは前日で、23日に埋葬されました。シェークスピアが亡くなったのは23日ですが、当時英国で使われていたユリウス暦で彼が亡くなったのは5月3日です。また、他にも立派な作家が1616年4月23日に亡くなっています。それが、ペルーの作家インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガです

この作家は、スペインのコンキスタドールとワイナ・カパックとトパック・インカ・ユパンキの娘であるインカ王女の元に生まれました。

王家、戦士の子孫であっただけでなく、ホルヘ・マンリーク、サンティリャーナ侯爵、ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガの家系でもありました。彼は、ゴメス・スワレス・デ・フィゲロ―アの名で洗礼を受けましたが、先祖を讃え、後に改名しました。

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ ペルー文学の父

 

インカ・ガルシラーソの幼少期

ガルシラーソの家系は輝かしいものでしたが、彼は困難な時代に生まれました。父親はペドロ・デアルバラード、エルナン・コルテス、ピサロ兄弟などの著名人と同じく、アメリカで生まれたスぺイン人の初代でした。

当時、新世界の先住民と結婚することは違法で、インカ・ガルシラーソは、法律に反する子どもでした。それでも彼は、重要な家系の違法に生まれた子どもと共に、クスコで素晴らしい教育を受けました。低学年で彼の文学への愛は生まれたのだと歴史家は考えます。

1560年、ガルシラーソが21歳の時、父親の生まれた土地を訪ねました。軍隊に入隊し、指揮官としてイタリアでの戦闘を目の当たりにしました。また、グラナダではムーア人の反乱の沈静に一役買いました。イタリアにいる頃、新プラトン主義の哲学者レオン・エブレオと出会い、彼の著書「愛の対話」をイタリア語からスペイン語に翻訳しました。

きっと、この作品と出会い、影響を受けたことで彼は作家になったのでしょう。あるいは、メスティーソとして軍隊で直面した障害に不満を覚え、それを書こうとしたのかもしれません。どちらにしても、ガルシラーソの決断は彼の人生を劇的に変化させました。

 

メスティーソのインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ

軍隊で様々な経験をし、生き抜いたガルシラーソはコルドバのモンティーリャで暮らすことにしました。この時、彼はカスティリャ語でものを書く特別な存在の一人でした。父親や自身の経験から、ガルシラーソはインカ帝国のスペイン征服の初期の歴史を知っていました。

ヨーロッパにいる時、「ラ・フロリダ」と呼ばれる新大陸にいるエルナンド・デ・ソトの話を聞きました。ガルシラーソは同期の仲間と一緒にこれらのできごとに関して記しました。ガルシラーソとその他の人達を分けたのは、その家系でした。

征服前のぺルーの栄光について母親からその物語を聞いたことがありました。文化、ストーリー、言語が混ざった環境で育った経験は、ガルシラーソの作品をユニークにしたのです。皮肉的ですが、様々な物事に阻まれたからこそ、彼の存在は今日も忘れられていないのです

カスティリャの冒険家達を元気づけるロマンチックな英雄主義をとらえた作家はほとんどいません。壮大な物語には悲劇に対する公平な共有が含まれ、インカ・ガルシラーソの先コロンビア期のアメリカ人に対する視点は、悲劇的で記憶に残るものであったことは間違いないでしょう。

 

イベロアメリカの父

インカ・ガルシラーソは運がよく、パイオニアになりました。彼は初代アメリカ・メスティーソではありませんが、彼を最初の文化的メスティーソだと考える専門家はいます。

彼の書いた文章の中で、2つの衝突する文化の歴史は、彼の個人的ストーリーでもあると彼は理解しています。自分は征服者の息子、あるいは、服従者の息子だとは考えません。そうではなく、両世界の誇り高い子として書いています。

彼の作品の核心は矛盾的で、スペイン領土で生まれた新たな形の国家の互換性のある魂です。ラテン・アメリカの魂で、メスティーソの魂だったのです。

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ ペルー文学の父

 

インカ・ガルシラーソの作品

ガルシラーソの独自の声だけに焦点を当てていても、彼の作品を充分に評価することはできません。インカ・ガルシラーソの書いた散文は黄金時代の一番の作家と同レベルです。彼はルイス・デ・ゴンゴラやミゲル・デ・セルバンテスと直接の知り合いで、この出会いにより、自身のメスティーソのルーツをより好きになったことは間違いないでしょう。

ガルシラーソは、晩年に重要な文章を書きました。これで、少なくとも一部は、保守的で内省的なスタイルが説明されます。さらに、哲学への愛が、彼の作品の質を高めました

ガルシラーソにとって、メスティーソであることは、人生の大半苦しまなければならない障害でした。年をとり、それは誇りの源であったと書いています。最後には、彼の人生がラテン・アメリカすべてに対し、優れた比喩のようでもありました。ガルシラーソが亡くなる前、彼の作品は認識されるようになりました。これは、2人の英雄と共に4月23日という日を共有するのにピッタリです。

  • Sánchez, Luis Alberto (1993) Garcilaso Inca de la Vega: Primer Criollo.
  • Mataix, Remedios, Apunte biobibliográfico Inca Garcilaso de la Vega.