いつも皆のためにはいられない

いつも皆のためにはいられない
Valeria Sabater

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Valeria Sabater.

最後の更新: 02 12月, 2021

人は、他人のためにいられない時もあります。自分が自分だけに必要な時もあるからです。 自分の心の声を聞きたいときもあるし、自分のスペースを取り戻したい時もあるし、自分のとがってしまった心を丸く削りたい時もあります。ですから、メッセージに返信しないとしても、何時間か何日間かスマホの着信音を消したとしても、それは世界への扉を閉ざしたわけではなくて、しばらくほったらかしにしていた自分という人と散歩に出かけただけなのです。

どうやってほとんど無意識に、自分自身を「迷惑メールフォルダ」に振り分けてしまっているのか、不思議ですね。常に先にやるべき優先事項があって、自分で自分のことを、ペンディング事項とか、手帳の最後のページとか、雑然とした机に貼っても結局どこかへ行ってしまうあの蛍光色のポストイットとかに降格させてしまうのです。

「世の中には極めてハードなものが3つある。鉄鋼、ダイヤモンド、そして自分自身を知ることだ」

-ベンジャミン・フランクリン-

私たちは、恐ろしく要求が厳しく競争の激しい社会に生きていて、皆それをよく分かっています。やるべきことがたくさんあり、毎日がジェットコースターのようでへとへとになることもあります。それだけでなく、そんな毎日に、対応とやり取りが継続的で瞬間的な新しいコミュニケーションシステムが加わっています。

LINEなどのSNSのグループにいくつも入っていて、いつでもどこにいるかが分かるし、スマホの画面にはいつも、返信するべきメッセージやメール、いいね!を押すべき写真や、あまり気乗りしなくても承認するべきタグ付け…があるのです。

これはまるで、遠視の目が近くにあるものを見られない震源地に生きているようなものです。私たちの疲れた目は、他人の要求は読むことはできるけれども、自分自身の要求はもう解読できなくなっています。すべてがぼんやりしていて、すべてが心にからまった糸玉のようで、何かが欠けているような、何かがうまくいっていないような、でもそれが何かわからない状態なのです。

見知らぬ恐怖に迫られかがみこむ女性

限界なのに、まだ気づかない

多くの人に必要とされていることをあなたは知っています。日々、10の山を盛り上げ、何十もの障害物を乗りこえることをまちがいなく成し遂げているのです。でも、誰もそのことでメダルをかけてはくれませんし、ほとんど誰もその努力、献身、さらには周囲の人たちのためにあなたがあきらめたことさえも知りません。少しずつ物事はその意味を失い、人々は感謝の気持ちをなくしていきます。世界にはもう音楽も詩もなく、軽やかさもなく、あなたは底なしの井戸に落ちていく石のように自分の責任に沈んでしまいます。

毎日いつでも皆のため、全てのためにいることは、ひそかに高い利子がつくものです。このような継続的なストレスの兆候は、いとも容易くうつに派生することがあるので、次のような症状によく注意しておかなくてはなりません。

  • 疲労、時に夜間の睡眠や休息で取り切れない極度の疲れ
  • 頭痛、偏頭痛
  • 消化不良
  • 恒常的な退屈感、人生への無関心
  • 焦燥感、いらだち
  • フラストレーション、皮肉なコメント、不機嫌、無気力…

不思議に思うかもしれませんが、超刺激的・超要求環境に生きる私たちは、しまいにはそれに麻痺させられてしまいます。自分が必要なことに敏感でなくなり、自分の心の異邦人になり、自分の居場所がどこか、自分という人間が住む家がどこかをすっかり忘れてしまうキルケの島の迷える浮浪者になり変わってしまうのです。

目をつむり見上げる男性

今日は誰のためでもなく、自分のために

「何日か誰のためでもなく、自分のために生きる」と宣言することは、失礼なことではありません。誰も傷つけないし、何もおろそかにするわけでもないし、地球は回り、川は流れ続けるでしょう。しかし、素晴らしいことが起こるはずです。感情に場を与え、自分に時間と関心と逃げ場所を贈ることになります。自分の根本とコンタクトをとり、栄養を取り込み、葉や枝が育ち、天高く自由に成長するために、胎児の姿勢で木のうろに入り込むようなものです。

これを達成するための助けになる考えを挙げますので、よく考えてみて下さい。

「他人から受ける完全で深い拒絶からのみ、自分というものになりかわることができる」

-ジャン=ポール・サルトル-

コントロールキー

自分が必要な時に対処するため、コントロールするためのポイント

自分の義務や他人の世話などに追われる幅広い日常生活の中で、一定のスペース、自分だけの快適で特別な小さな場所を確保しなくてはなりません。これは、限界に達したと感じるたびに助けを求める救命カプセルのような、救命ボートのようなものです。

  • 外部からのプレッシャーが自分であることを妨げていると感じたら、立ち止まり、このカプセルか救命ボートを思い出しましょう。そして、乗るのです。
  • 救助計画をたてる時です。ベンジャミン・フランクリンは言いました。「もし日々に生存計画がなければ、永遠に崩壊に向けて船をこぐ運命だ」
  • この生存計画には目標を定め、何が優先で何が後回しかを設定しなければなりません。(今日の目標は1日の労働時間を達成すること、ストレスを生まないように、自分のために2時間を確保すること。同僚や家族とうまくやることは今日は後回し。)

最後の点を明確にしておかなくてはなりません。全面的絶対的な優先事項が、自分が自分であること、という日もあるのです。自分の直近の状況を満足させると宣言することは、利己的行為ではありません。スマホの電源を切り、新鮮な空気を吸って自分の考えに避難するために歩きに出かけることは、精神衛生上とてもよいことです。なぜならそう思っても思わなくても、自分が自分だけに必要な日というのは、たくさんあるからです。自分の名前を優先事項のリストに載せることは、お勧めどころか、不可欠なのです。


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