「自分のことを考えること=利己的」ではない

2018年5月31日 in 心理学 0 シェア済み
階段に座る女性

あなたが自分のことを考えるために立ち止まった時、人はあなたを利己的な人だと認識します。しかし、わがままとは、一体どういう意味でしょう?たぶん私たちは間違ってこの形容詞を普段使っています。この言葉とその意味、そして罪悪感を感じることなく、自分のために時間を使う方法を考えまていきましょう。

エゴイストとは、あなたが自分の話をしたいときに、その人自身について話すことを強要する人です

– ジン・コクトー –

利己主義者は、誰の意見も聞かずに100%自分のことだけを考える

まず最初に、利己主義者が何を意味するのかを理解するために、辞書を引いて見ましょう。利己主義とは、ある人が自分自身について過度に高い視野を持っている状態であり、またこれによって、他の人よりも自分自身の利益に注意を払うことです。

黒板の前で考える女性

私たちは皆、私たち独自の価値観と信念を持っていて、それはある程度固定されていて、それを使って世界を理解することができます。これが私たちの考え方が始まるところです。したがって、人が自分の経験や世界をどう理解しているかに基づいて「利己主義」という言葉を使うことは決して珍しいことではありません。言い換えれば、「利己主義」や「わがまま」といった言葉の概念が各々で異なっています。

ある人にとっての「利己的である」ということは、他人のために決して何もしてこなかったことを意味するかもしれません。もしかしたら、あなたのために何もしてくれない人を思い浮かべるかもしれません。あなたがいつもその人のために側にいたのにもかかわらず、「時間がなかった」などと言い何もしない人です。前者の場合はこの定義が正しいかもしれません。しかし、より具体的な後者の例でも、これが正しいと言えるでしょうか?

今までその人のためにしてきたことのすべてを考えずに、一つの行動だけをとって私たちを利己的だ、と誰かが言ったらどのように感るでしょうか?私たちは混乱し怒りを覚えます。私たちはそれが不公正だと感じます。この記事でそれを詳しく取り上げる前に、まず次のことを明確にしておきましょう。誰かが私たちに何かを求めた時に何もしなかったからと言って、私たちが利己的であるというわけではありません。

利己的な考えに真の幸福は訪れない

ジョージ・サンド 

人が世界を解釈する方法を変えることはできない

ここに非常に一般的な例を挙げます―ある人が私たちに彼のために何かをするように要求しましたが、その人が求めるものをその人が求めるタイミングで与えることができません。その後、その人は私たちを利己的な人だと言います。または少なくともそれに近い考えを持つことになります。

なので、私たちは最悪な気分になります。彼らは私たちについて否定的な判断をしたばかりでなく、私たち自身の利益が重要ではないというのです。この状況で誰が利己的だと言えますか?自分のことだけを考えて、私たち全員が持つ権利を尊重していないのは誰でしょうか?

ここに一つの真実があります。他人の考え方を変えようするには私たちにはすべがなく、その人自身に任せるべきだということです。こちらの状況を理解しようとせずに私たちの行動を利己的なものとして誰かが解釈した時に、自分自身に以下のような二つの質問をするべきです:

  • 彼らの問題に共感したか。
  • 彼らが望んでいたことをできなくても、代替案を提供したか。

両方の回答が「YES」の場合は、この基本的な権利:要求に対して罪悪感を持たずに拒否すること、を覚えておいてください。また、その人の性格ではなく行動に基づいてその人を判断するようなときは、大きな間違いを起こしかねないことを覚えておきましょう。例えば、嫌味な人でなくとも下品に行動したり、不器用でな人でも滑ってこけることはあるものです。

助けを求める手と断る手

自分勝手にならずに自分自身について考える例

これをよりよく理解するために、まず例を見てみましょう:毎朝同じ時間起きると想像してください。あなたがやろうとしたことすべてを行います。一日の終わりには、あなたはすべての義務を終え満足感に溢れています。

さて、ある日あなたが15分だけ寝ると想像してみてください。何らかの理由で、あなたがやろうとしたことを行うことができなかったと想像してください。一日の終わりになっても、まだTo-Doリストにはやり残したことがあります。

あなたは無責任な人ででしょうか?あなたには自己規律が欠けていますか?いいえ、あなたはただ、悪い一日を過ごしたというだけです。その日だけ、無責任なやり方で行動してしまったのかもしれない、ということです。

あなたがこのように行動したという事実だけで、あなたをそのような人だと認定するわけではありません。仮にあなたが過去によくこのように行動していたたとしても、あなたは今、そのタイプの人ではない可能性があります。過去が必ずしも現在や未来を作るとは限らないのです。

私たちは行動と存在を区別しなければなりません。不公平な人であることと、不公平に行動することは同じではありません。人を行動ではなく態度で分析しましょう。

あなたに吹く心地よい風を利用しつつ、その風のルールに縛られないようにする

頭を抱えてうつむく女性

あなたは自分の時間がないように感じますか?あなたの注意をすべて奪い、あなたの目標からあなたをそらすようなことが時々起こりますか?あなたはあまりにも多くの人に自分の時間を費やしていますか?あなたは自分が風のようにふわふわと流れている感じがありますか?あなたは自分のためのスペースを確保することを学ぶ必要があります。あなた自身のことを考えるためです。

これを行うには、私たちは健康と幸福の基本である2つのスキルを学ばなければなりません。それは「No」と罪悪感を感じずに言えるようにすることです。

これは複雑で微妙なトピックです。なので私たちは、それをどうやって行うのかについて、一定のルールを設けることができません。私たちは単にそれに取り組むことの重要性を強調します。もしあなたがいつも他人のためにそこにいて、あなた自身のことを置いてきぼりにして来たというのなら、これらのことを知っておくべきです:

  • 変化はプロセスです。習慣を変えることには時間と忍耐と努力が必要です。通常、私たちの習慣は相互関連しており、変化することはそのチェーン全体を修正することを意味します。たとえば、より丁寧な態度をとることは、私たちがどのように会話し、いつ黙っているかを変えることを意味します。
  • 私たちの周りの人々は変化を理解しないかもしれません。もし私たちの周りの人が常に「Yes」という私たちに慣れてしまったのであれば、初めて拒否した時には、それはたいそう驚かれることでしょう。多分彼らはあなたを非難したり、あなたが利己的になったと言います。しかしこの時点で、自分の望みを見失うべきではありません。この変化が誰かにとっての「楽な生活」に影響を与える場合、こう言った状況に常に直面することになるでしょう。
  • 常に状況を客観的に分析する。与えられた要求が緊急ではない場合や、またはあなたを必ずしも必要としない場合。あなたがその問題に共感し、その要求に直接応えられなかったとしても、相手を助ける選択肢を与えた場合、あなたは罪悪感を感じる必要はどこにもありません。

要するに、バランスを保つ方法を知っていれば、自分自身について考えることができ、自分勝手にならないことができます。あなたが本当にこのことに取り組んでいるならば、利己主義の定義に焦点を当てるのではなく、あなたの時間とエネルギーを他人と自分自身に与えるバランスを見つけましょう。

自分自身を犠牲にしないでください。あなたの人生に誰の定義も受け入れないでください。あなた自身を定義してください。

-Harvey Fierstein-

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