感情の抑圧と肝臓病

· 2017年12月12日

近年の合理性に重点を置く思考は、あらゆる感情よりも理由の方が大事であると主張してきました。 したがって、私たちは、感情とその適切な表現の重要性を軽視するように促されてきました。 人々は自分たちの独自の感情表現を、社会的に受け入れられるために変えてしまう傾向があります。これは、個人の特定の感情を抑圧したり否定したりすることを意味します。

感情の中には、社会によって否定的なものに分類されているものがあります。 これらの中には、怒り、悲しみ、痛み、恐怖などがあります。 これらが否定的なものに分類される理由は、私たちが小さい頃から聞かされてきたフレーズから見てとれます。 こういった言葉は文化的に伝達され、私たちの思考の最も深い部分へと染み込んでいきます。

「あなたが泣いているのを見たら、人々はあなたが弱いと思うでしょう」あなたが怒っているのを見たら、あなたは難しい人だと思うだろう」という表現はとてもありふれたものです。 「泣いてはいけない」、「男だったら泣くな」などです。これらの思考は独断的な意見に変わってしまい、自分の気持ちを歪めてしまいます。その結果、私たちは身体疾患にかかりやすくなります。その疾患の一つが肝臓病です。

「感情に対してあなたの心を閉めれば、あなたは真実からあなた自身を離していることになる」

-ビバラチョ-

感情の抑圧は私たちの健康を損なう

恐怖、悲しみ、怒りなど、感情を否定したり抑圧したからといって、それらを消滅させることはできないでしょう。 あなたがどれだけ頑張っても、消えずに残ってしまいます。 私たちが感情を抑圧することで自由な表現を否定するとき、抑止されている表現とその抑圧行動の効果は、自分自身の内面に影響を与えていくのです。

したがって、例えば怒りや恐怖を抑圧する場合、まず外側の筋肉が緊張し始めます。 そしてこれらの筋肉は、戦うもしくは逃げるという反応へと続きます。また、この緊張は内部にも向けられるようになり、体の内側に位置する筋肉にも伝達されます。

長期的には、抑圧された感情に伴う筋肉の緊張が、他の形で表現されてしまうことがあります。 例えば筋肉の凝り、首および背中の痛み、胃の病気、頭痛および肝臓の病気などです。

人の中に閉じ込められている感情は、感情というものの本質として、決意と表現を求めます。なぜなら感情は本来、感じて、表現されるために作られているからです。

有刺鉄線を握る手

あなたの感情を制御することは、特定の状況ではある意味幻想的な経験です。 また、その成果は非常に欺瞞的なものです。 不安定な感情バランスが現れる代わりに、個人が構築するうわべだけの「コントロール」の背後に回るだけなのです。 そして制御を維持しようとしても一過的に極端な反応を抑え込んでいるだけなので、遅かれ早かれ、抑圧された感情がいずれ外に出てくるはずです。

「感情を抑えても私たちが強くなるわけではない。 そうして逆境に直面しても、私たちはより脆弱になるのです」

-デメンテ・ナノ・シヒ-

あなたの肝臓を攻撃する感情

横隔膜の下に位置する肝臓は解毒を行う器官です。 肝臓は私たちの体の重要な機能の全てにおいて不可欠な役割を果たします。 排泄物をろ過して排除するだけでなく、肝臓は毒素、微生物および癌性物質を中和する役割も担っています。 この器官が冒されると、肝臓だけでなく他の器官にも影響を与えます。

あらゆるタイプのストレスまたは圧力は、肝機能を何らかの形で遮断します。 これは、身体がぴんと張りつめたときに、そのストレスを引き起こしているものを解決するために全ての注意を注ぐからです。 これはある程度行われる分には正常で健全な行為ですが、ストレスが反復的かつ急性である場合、肝臓が慢性的にその活性をブロックし、鬱血に罹りやすい状態になるのです。

激しい怒りは、肝臓の問題に最も関連している感情です。 怒りという言葉は、もっと広い意味で解釈されるべきです。 これには、怒り、欲求不満、刺激、敵意、苦しさなどの感情状態が含まれます。 これらの状態が長期間持続すると、肝臓が潜在的に影響を受け、停滞を引き起こす可能性があるのです。

肝臓

社会が与える否定的な感情にしっかりと目を向けるのは良いことです。 これは、肝臓の問題を回避し、健康な状態を保つのに役立ちます。 怒りや欲求不満を避ける代わりに、これらの感情を生み出す状況に直面しなければなりません。 不快にさせるものとストレスの多い状況をうまく解決する必要があるのです。

すべての生物の生存は、肝臓の正しい機能に依存している。