感情的な燃えつきの傾向
心理的な燃えつきは、多くの人が知らず知らずのうちに経験する深刻な状態です。感情的に燃え尽きてしまって、満足のいかない仕事をしているからだとか、交際関係が難しいからだと思い込みます。これらが原因のこともありますが、逆の場合もあります。感情的な疲労が、他の問題の原因になっているかもしれないのです。
感情的に燃え尽きてしまうことは、無力感を感じていることを意味します。考えたり感じたりせずに、すべてが義務のようにふるまって、自動運転で生きることです。自分の人生が自分のものではなくて、全く気にならないかのように生きます。
「問題はそこです。燃え尽きたことがなければ、燃え尽きがどんなものか理解できないのです。説明できないようなものなのです。全く熱意が湧かないことをやっているかのような感覚です。」
-エレーナ・デレ・ダン-
場合によっては、すでに感情的に燃え尽きた状態で成人する人もいます。機能不全を起こした家庭で育つと、自分の環境を理解し処理することにエネルギーを投資してしまう可能性があります。
感情的な疲労に苦しんでいるかもしれないことを示す兆候をいくつかご紹介しましょう。
継続的な疲労感
この疲労感はふつうの疲労とは異なります。十分に休息したとしても、疲労を感じます。体と心が機能していないかのようで、出来ることといえばベッドで過ごして次の朝起きることだけです。そうしたとしても、次の日まだ疲れを感じます。
感情的疲労は、肉体的疲労と同程度、あるいはそれよりも強い疲れです。生産的にはなれないと感じるかもしれません。
人が感情的に燃え尽きている時、問題の数がそれを処理するための資源を上回ってしまいます。未解決の感情的な問題の長いリストは、大きな重荷となって燃え尽きに導きます。
皮肉:感情的な燃えつきの兆候
道徳的に誤ったことをして誇りに思うような状態を、現代的皮肉と言います。「悪いことしてるけど、何か?」と言ったような考えを起こさせるふるまいです。
自己破壊的または無謀な行為として、皮肉が現れます。危険な道を夜歩いたり、スピード制限を越した速さで運転したり、その他のリスクの高い行動なども、皮肉癖の兆候です。
孤立
孤立は、人や周りの環境と意味のあるつながりを構築することができない状態を意味します。見えない距離感で世界と人生そのものから離れていることです。
人が孤立するとき、孤独を感じます。しかし、燃え尽きた人はこれらの感情を無視したり、重要視しないことがあります。
自分という人間や周りで起こっていることは、変えることができないと思います。愛情というものが無駄であるという考え方を持っている人もいます。
無価値の感覚
感情的に燃え尽きている時、自分には価値がない、何をする能力もないという風な認識をします。
どんなことがあっても自分は何もできない、と自分を納得させるためにできることすべてを行います。自分の達成を馬鹿にして、「どうせ何も変わらないのに、なんで目標なんか設定したんだろう」というようなことを口にします。
無価値の感覚によって、感じている感情的疲労が悪化します。彼らの頭の中では、必要なエネルギーがないために、どんな課題も難しすぎるのです。その為、すべてが遠くに感じられ、行うことが困難に思えます。感情的に燃え尽きた人は、とても受け身的です。
度重なる退屈感
燃え尽きた人は小さなことを楽しむことができません。すべてが退屈で、単調で、面白くなく感じます。計画をしたり、新しい物事を始めたりする気力はありません。戦うことなく環境に流されます。これは無快感症に変わっていく可能性があります。
自分は感情的に燃え尽きていると感じたら、物事を変えるべきであると知ることが重要です。専門家の治療が必要かもしれません。そういった能力があなたに備わっていないからではなく、専門家は問題を特定し、自分では気づけない方法で問題を提起してくれるからです。
そのような状態にいたら、最優先順位は幸福です。自分より大切なものはありません。変化の過程が始まれば、その結果に驚くかもしれません。すべきことは、人生の新しい道を選ぶという決断を下すだけです。
引用された全ての情報源は、品質、信頼性、時代性、および妥当性を確保するために、私たちのチームによって綿密に審査されました。この記事の参考文献は、学術的または科学的に正確で信頼性があると考えられています。
- Cárdenas, S., Lucas, M., Idoate García, V. M., & Llano Lagares, M. (2008). SOFI-SM: cuestionario para el análisis de la fatiga laboral física, mental y psíquica.