心の中の悪魔に惑わされないで

心の中の悪魔に惑わされないで

最後の更新: 03 10月, 2017

誰かに危害が及ぶことを願ったり、実際に危害を加えたりすることはおぞましいことだと誰もが思うでしょう。しかし、あなたは自分の中に住む悪魔にそそのかされたり、惑わされたりしたことはありませんか?

時に、自分の目的を果たすために他人を道具のように扱った方が簡単なこともあります。もし職場で一番でありたいと強く望むのであれば、同僚をひどくあしらえばいいでしょう。その方が欲しい物を手に入れるのにはずっと近道で、妨げもなく、より満足感が得られることでしょう。私達はこうしたことを心の底では強く望んでいると思いませんか?少なくとも少しは。

人間というものは常に瞬時の満足を求めています。先ほどの例に戻ると、私達は自分の全てを投げ打って、努力をし、目標を達成するまで何カ月も待つのが正直好きではありません。「そうした時間を削減できるのだったら、いっそのことそうすればいいのでは?」これがこうした悪魔に流されてしまう人の考え方なのです。彼らは人を人として扱うことを止め、自分の利益のための道具として扱い始めます。

魔は誘惑的

私達は今までに善良だったのに悪人に変わってしまったという人に出会ったことがあります。 他人を巧みに操るようになった人、またはかつては自分でも忌み嫌っていたようなことをし始めるようになった人。これが悪魔が誘惑するのに使う最初のメカニズムです。それは他人から受けた扱いに対して痛みを感じるということです。自分は受けてきた全ての害に値するようなことはしていないと、その時の被害者になったような気分になります。対応してきた全ての問題に一つずつ嫌気が差していきます。憤りが自分を支配するに至り、なりたくない自分へ変えてしまうのです。

虐待を受けた人は自ら虐待者になってしまったりします。批判を受けた人は批判者になります。大きな痛手の後で、自分がバカを見るのは止めて、自分がそうされたように他人を扱い始めるのです。そこで気付かないことは、自分の魔の所業の対象は罪のない人だということです。それは自分がかつて所属していたグループなのです。

センスで口を隠す動物の耳の女性

悪魔は、他にも他人を人ではなく道具として扱うように導く誘惑的な性質を持っています。それは、自分の周りの人が魔の所業によって力を得ているところを見た時です。私達はそんな悪魔が嫌いです。しかし嫉妬もしています。どうして彼らはあんなに悪い人でありながらあんなにラッキーなんだろう?こうした負の感情が彼らの行動を真似したいと思わせます。それは、私達の正直な性分が原因で、彼らが手にしている運を手に入れられていないからです。

目を覚ませば、自分を毒に侵してしまったということに気づくでしょう。それはまるで自分が腐ったリンゴだらけのフルーツサラダに交じってしまったようなものです。自分をそうした状況やそうした人から回避できず、自分も汚染されてしまうのです。自分の欲求のために、あるいは単純にかつて自分に降りかかった痛みを他人に与えるため、他人を道具のように扱うことをさせる誘惑的な魔に汚染されてしまうのです。

権力の魅惑

私達は、ひどく振る舞いながらもなお欲しい結果を手に入れている人を見た時、憤り、バカバカしく感じます。しかしこの裏には、私達が闇に蝕まれてしまう強力な理由があります。そして、人を人として見ることができず物として見るようになる理由があります。それは、権力です。

支配は自分に力をくれます。また相手を抑制することや操作すること、嘘をつくこと、そして他人を傷つける行為もです。私達はこうしたことを全て意図的に行っています。時には、もしそれが自分の利になるのであれば相手を完全に破滅させてしまってもかまわないことだってあります。支配する力を得た途端、この感覚が自分の欲望の火を更に燃やすのです。流されてしまうのです。さて、あなたはどこまで流されてもよいと思いますか?

鳥を捕まえる猫の少女

他人の気持ちを無視することはその時はいい気分がしますが、時間が経つにつれ、それは苦く悲しい気持ちにしかさせてくれないようになります。人間として、私達は善を求めているのです。なぜなら、それが私達に平安を感じさせてくれるからなのです。悪魔はある意味自分に利益をもたらし、自分に「正義」をもたらしてくれるかもしれませんが、結果は同じではありません。

私達は自分を悪に落とす力に誘惑されているのです。気をつけていないと、悪魔とのこの無垢の火遊びが後戻りできないところまで私達を連れて行ってしまいます。他人を物のように扱うことは欲しい物を手に入れるのに役立つかもしれません。しかし、それは私達を心の均衡や平安、そして幸せから遠ざけてもしまうのです。私達はこのような振る舞いをすれば、そこには代償があるということを忘れているのです。自分を犠牲にして、もっと欲望を手に入れようとしているのです。それは本当に価値のあることなのでしょうか?

タコの足に絡まるバイオリンを弾く少女

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