強迫的なニーズを抱える人々:非常によくある現象

15 6月, 2020
全員が何らかのモノや人を必要としています。誰もがある程度は「ニーズを抱えて」いるのです。しかし、それが問題となるのは、この精神的な欠陥が、強迫的なニーズに囚われる人々を生み出してしまった時です。

強迫的なニーズを有する人々は、エサを探し求めるしつこい昆虫のように私たちの周りをうろついています。彼らが使う言葉は「私はあれが欲しい、これが必要だ、あなたに言わなければならないことがある」といったものだけです。今回は、自身の不満をうまく処理することができないような人々、つまり自律性に欠け、自らの人生に包括的かつ成熟した形で責任を取れないような人々についてお話ししていきます。

多くの心理学者たちが、こういった過度な「ニーズ」は21世紀のリアルな懸念事項だ、と主張しています。もしかしたら、このような行動をするよう人々をけしかけているのは社会自体なのかもしれません。これは、特定の消費者の欲望や、自らの実存的空虚を埋めたいというほぼ常に抱かれるニーズという形で、多数のケースで示されてきました。

あなたに必要なのは、求め続けるのを止めることだけです。

私たちには「何か」が欠けていますが、実際のところそれが何なのかは自分でもわかっていません。だからこそ私たちは時々、説明できない欲求を満たそうと、興奮や刺激を求めて友人たちと遊びに出かけるような、悲しい存在になってしまうのです。実現不可能な愛を探し求めることもあれば、新たな経験や新しい携帯電話、洋服などを欲することもあります。また、新しいドラマシリーズがストレスや抱えている問題を忘れさせてくれることもありますし、食べ物で不安を和らげる日もあるでしょう。

全員が何らかのモノや人を必要としています。誰もがある程度は「ニーズを抱えて」いるのです。しかし、それが問題となるのは、この精神的な欠陥が、強迫的なニーズに囚われる人々を生み出してしまった時です。ここでお話ししているのは、自分でもはっきりわからないような何かを必死に探し求めるタイプの人々についてです。その行為により他人を苛立たせます。そしてまわり人々を、その人のニーズに見合ったものを提供してあげなければならない、要求を満たしてあげなければならない、と強制されているような気持ちにさせるのです。

強迫的なニーズ

強迫的なニーズと心理療法士

これは、対処されるべき、そして何より理解されるべき現象で、日に日に拡大しています。強迫的なニーズを抱える人々はかつてないほど増えており、また、心理療法士のクリニックでも最も頻繁に見られる症例の一つとなっています。彼らは非常に混乱した状態でクリニックを訪れます。彼らは心底不満を募らせており、世間からの自分に対する扱いに対して怒っていることすら多いです。具体的に言うと、友人や家族からの扱われ方に腹を立てているのです。

思い描いていた理想を全て実現できる人など一人もいません。そして、こういった人々が願っているほどの愛情を与えられる人などいないのです。強迫的なニーズを抱える人のそばに常にいてあげるような人など、片手で数えられるほども存在しないでしょう。世界を自分自身の観点からしか見ようとしないので、自らの止まることのない願望がどれほど大きいか、そしてそれがいかに自己中心的であるか、また自分の全体主義的な要求がどれほど大きいかを把握できていないのです。

その態度は非常に子どもっぽく、要求が多いため、まず最初に心理療法士が行わなければならないことは、その障壁を取り払うことになります。継続的なニーズの背後には底の見えない空虚な穴があることを分からせねばならないのです。しかしこれを成し遂げるのは簡単なことではありません。こういった人々は持てる力を最小限しか発揮しないことに慣れきっています。他人に世話をしてもらうこと、自分の問題も誰かに解決してもらうこと、そして自らの恐怖心や苦しみを他の人に取り去ってもらうことが当然の世界で生きてきたのです。

強迫的なニーズ

強迫的なニーズを抱える人々は生きるために「消費」しようとします。私たちのエネルギーや精神を消費し、自分自身のお金や時間を消費して幸せの代わりになるようなものを見つけようとするのです。しかし彼らがしていることは結局、自分たちの欠点や絶望をより大きなものにすることによる、自らをも消費するような行為なのです。

強迫的なニーズを抱えている人々を助けるためには

自分には「何か」が欠けている、という思いに四六時中囚われている人のクオリティ・オブ・ライフはかなり悲惨です。アルバート・エリスはかつて「常に何かを必要だと思ってしまうような思考は私たちの自制心を失わせ、ネガティブな感情を生み出す」と述べました。これが事実なら、原因は明白で単純でしょう。それは、「何かが必要だ」という感覚は私たちの生存本能に関わるものだ、という事実です。

つまり、埋めなければならない心の穴のせいで、私たちはもうこれ以上前進できないだろうと思い込まされてしまうのです。もし誰かが私を助けてくれなかったら、もし彼らが私をサポートしてくれなかったら、もしこれを手に入れられなかったら、そうしたら全てが崩壊してしまうだろう、このように思ってしまうのです。そして、何かが欠けているという感覚は恐怖心を生み出し、その恐怖心がニーズを生み出し、そのニーズは絶望へと繋がってしまうことになります。私たちが直面しているのは、もっと論理的で健康的で、かつ意義深い生き方をするためには必ず断ち切らねばならない悪循環なのです。

ニーズを抑え込むためのカギ

こういった人々のために私たちがまず取るべき最初の手順は、その人の本当のニーズに働きかけることです。「私は〜が必要だ」を「私は〜したい」に言い換えるというエクササイズが有効でしょう。例えば以下のようなものです。

  • 「他の人々に私の話を聞いてもらう必要がある」⇔「私は自分自身のことを十分に愛せていないので、自分も価値がある存在だと感じたい」
  • 「問題解決のために、他の人に助けてもらう必要がある」⇔「私は自らの身に起こっていることに自分では対処できないと感じているので、助けて欲しい」

その人物が本当の空虚さや弱点(低い自尊心、不安定な心、問題解決能力の欠如、決断力の無さなど)を明確にすることができたら、そのあとはこれらのそれぞれの側面を深く掘り下げていきます。

強迫的なニーズ

このプロセスにおいてもう一つカギとなるポイントは、強迫的な患者に対して、あるシンプルなルールを日々の生活に取り入れさせることです。それは、「他人に見出そうとしている何かを自分の内側から探し出そうとしなければならない」というものです。

  • 言い換えると、「もし誰か他の人に何らかの問題を解決してもらう必要があるのであれば、それを自分自身で行うようにする」ということです。ある状況下でサポートしてくれるような誰かを欲してしまうのなら、まずは自分自身にそのやる気を出させようとしてみます。自らの追求する目標を達成するために、自分の内側にある強さやポジティブな言葉を見つけ出そうとしてみます。
  • また、このタイプの人々は個人としての発達が不十分だという特徴があります。したがって、物事を深く考えたり、自分自身の感情をオープンにしたりするために役立つ新たな経験をしてみるよう鼓舞してあげることが推奨されています。

最後に、共感や社会意識といった面の改善に取り組むことも効果的でしょう。他人にもニーズがあることを理解しなければなりません。また、人生の中では「欲しい」や「必要だ」といった言葉の使い方だけでなく、もっと重要な「自分から申し出る」という態度についても学ばなければならないのだ、と理解する必要があります。