恐怖に関する3つの禅の教え

16 1月, 2019

恐怖における禅の教えは、自我に関する教えでもあります。この禅を説く教師たちは、自我が原動力なら、恐怖はその燃料だと言います。恐怖には3つの種類しか存在せず、それら全てが自我と呼ぶものに関連していると考えられています。

この視点から見た時、人間が感じるすべての恐怖には、2つの明確な根があります。愛着と無知です。愛着によって、人は周りからの影響を受けやすくなります。それは自分の精神、感情、欲望を外的なものに集中させることだからです。これによって、1つ目の恐怖が起こります。愛着を感じているものを失う恐怖です。

無知は、不確定さと疑心の状態に陥れます。このような状態では、恐怖を感じることは容易です。正確に危険やリスクを認識できないでいることで、不安になって怖くなります。禅の恐怖の教えには、これらの感情から沸き起こる3つの恐怖があります。

「すべての恐怖の源は、制御不可能な精神と思い込みから起こる。」

-釈迦-

1.生きること:恐怖に関する禅の教え

人間の持つ最も基本的な恐怖のひとつは、自分の生命を失うことです。生命を失うということは、体を失うことを意味します。人間は物理的な存在であり、わたしたちの体は最も基本的な現実です。私たちは自分たちの体の中に生き、体を失う恐怖は生命を失う恐怖です。

この恐怖は、死の恐怖と同じです。しかし、死はただの体の機能の終わりではありません。死に近づく道のりの中では、その他にも身体的喪失が起きることがあります。能力、自己認識、若さ、体の機能などです。

禅の教えでは、これらの恐怖をなくすために自分の体を利用することができるとしています。恐怖は物理的なものです。体から恐怖を追い出したら、頭からも消えてなくなります。恐怖に対する物理的な感覚に注目しましょう。それから、深く息を吸って、早まる心臓の高鳴りを押さえて、筋肉を弛緩させます。

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2.自身の喪失

自分自身を失うことは、変化の恐怖です。慣れてしまった自分の在り方が自分という人間であると感じるようになりますだから、自分の存在が毎日行う出来事、存在する場所、頻繁に会う人達によって形成されていることを感じ始めます。

自分を認識する見方に慣れすぎていて、それを変えることが怖くなります。自分の中身が変わってしまって、新しいものにさらされたらどうなるんだろう、と怖くなります。自分を失う恐怖が芽生えてくるのです。何をすべきか、どう行動すべきかわからない恐怖を感じ始めます。自分が溶けていくような感覚の恐怖です。

禅の教えは、深い呼吸でこれらの恐怖をなくする方法を教えています。このような見方では、お腹は力の源です。お腹は、平和と力の元です。このタイプの恐怖を感じたときのために、深い呼吸(腹式呼吸)を勧めています。

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3.苦しみの恐怖

一般的に、苦しみは神経システムに消耗や亀裂を生み出す原因です。不快で疲労する感覚を生み出します。限界、いらだち、満たされない欲望などに関連しています。非常に激しく、麻痺させるような感覚です。

苦しみの恐怖を乗り越える道は、精神的な成長に向かって努力することです。自分に起こるすべてのことを成長する機会ととらえることができたら、苦しみの恐怖は少しずつ消えていきます。肉体的・感情的な痛みを、より良い人になるための儚いものだと認識してみましょう。

禅の師匠たちは、苦しみは精神的な現象であると説いています。人がポジティブまたはネガティブな意味を自分の経験に与えたときに起こります。つまり、どれだけ苦しむかは一人一人にかかっているということです。苦しみの恐怖を制御するのは自分です。

これらの禅の教えは、恐怖を助長するのも、無くすために努力するのも自分自身である、ということを思い出させてくれます。恐怖を助長するのは、明確な情報もなく想像力を野放しにすることです。変化や自然の生命のサイクルに反抗することでも恐怖が深まります。しかし、避けられない状況もあります。どれだけ避けるように努力しても、どれだけ恐れていても、やってきてしまう状況があるのです。

Fromm, E. (2004). Psicoanálisis y budismo zen. El Árbol y el diván: diálogo entre psicoanálisis y budismo, 83, A83-dq.