メシアトラップという罠:自分を後回しにしてしまうリスク

2019年10月14日
自分のケアを忘れてしまうのは、やはり恐怖や罪の意識、そして承認欲求が原因となることが多いです。これこそがメシアトラップであり、あなたを傷つけることがあるのです。

あなたは「メシアトラップ」という現象をご存知でしょうか?これは過度に誰かを愛したり、助けたりしてしまい、自分自身を愛すことを忘れてしまうことです。

メシアトラップとは他人に関わり過ぎて苦しんでしまうことであり、「自分がしないと誰もしない」という考えに陥ってしまいます。他人の考えや望み、そして感情だけを気にしてしまうと、私達自身の生活はバランスを崩してしまいます。

つまり、他人の気持ちになって考えることと、他人のためだけに動くことは違うということです。もちろん、他人を理解するには共感は必要なことですが、「他人」という罠に陥ってしまうことは非常に危険なことでもあるのです。

また、他人のニーズを自分より優先している人は他人に自分の行動を託してしまいます。問題は、この自分に気にかけてやれない状況、いわゆるセルフケアの欠如であり、これは他人が補ってくれるものではありません。他人がこのギャップを埋めることは相当珍しいことでしょう。

メシアトラップ

他人を気遣い、自分を忘れる

このメシアトラップという罠に陥った人にとって、人を気遣うことは愛を与える方法の一つとなります。このような人はケアを必要としている人にとっては上手くいくことが多いですが、罠にはまり続けることで歪んだ関係性や依存性に発展していきます。

そして、他人を優先して自分を後回しにすることは内なる自分との戦いでもあります。混乱やコンスタントなストレスが生まれ、うつになってしまうこともあるのです。

メシアトラップにはまらないようにするには、他人のニーズはその人自身によって満たされるということを忘れないことです。もちろん、できるのであれば誰かを助けるのは良いことですが、最終的な責任はその人にあります。もし本当に誰かに助けの手を差し伸べたいのであれば、まずは自分自身をしっかりケアしてあげてください。そうでないと、本当に誰かの役に立つことはできないかもしれません。

私達人間はいつも自分のことを忘れてしまいがちです。そして苦しみばかり追いかけてしまうのです。しかし、何があなたの注意を他人にばかり当ててしまっているのでしょう?愛、恐怖、拒絶、または承認欲求や罪の意識でしょうか?

自分のことを忘れてしまうのは、やはり恐怖や罪の意識、そして承認欲求が原因となることが多いのです。これこそがメシアトラップであり、あなたを傷つけてしまいます。

メシアトラップ

メシアトラップに対する仏教の教え

ここで仏教の教えをご紹介しましょう。

敬虔な僧侶が巡礼中に傷ついた空腹のライオンを見つけました。そのライオンは非常に弱っており、自分で動くことはできません。そのライオンの横には生まれたばかりの赤ちゃんライオンが弱った母から少しでもミルクを飲もうとしていました。それを見た僧侶は、そこにいるライオンの親子の痛み、絶望、そして無力さを感じました。そして僧侶はそのまま弱ったライオンのそばに横たわり、自分の身を差し出して食べてもらうことで、ライオンの命を救ったのです。

この仏教の話には、苦しんでいる誰かに過度に関わってしまうことのリスクが明確に表れています。自分には何も残さず、誰かに全てを差し出すこと。そこには空虚が生まれてしまい、その理由は誰にも分かることはないのです。

「自分を深く理解し、深い動機を持っている人だけが躊躇せずに、そして義務を背負うことなく誰かを助けることができる。」

―エラルド・バノヴァック―