『マルホランド・ドライブ』ー光と影の心の迷路

2020年3月1日
映画『マルホランド・ドライブ』の世界では、人を愛するか憎むかのどちらかしかなくその間は存在しません。それぞれのシーンで異なる展開があるため、見る人は釘付けになります。映画を読み解こうとするのではなく、情熱と夢と嘘の迷路にあなたを連れ出してくれますよ。

『マルホランド・ドライブ』(2001)は、『ツイン・ピークス』の生みの親デヴィッド・リンチ監督の作品です。リンチの他の作品同様、この映画を見ている間は、目を離すことができません。そして今でも称賛を受け驚異を放ち続けています。これに反対意見の人もいますが、それでも今世紀最高の映画のひとつと言えるでしょう

『マルホランド・ドライブ』は、その構成からあらすじを説明することは簡単ではありませんが、ある若い女性が事故に遭うところから始まります。この女性は車内で殺害される予定だっため、実はこの事故が彼女の命を救うことになるのです。

彼女のカバンには大金と小さな青いカギが入っていましたが、身元が分かるものはありません。そして、事故で本人は記憶を失ってしまいます。恐れ、混乱した彼女は、あるアパートに侵入します。

ここで、叔母のロサンゼルスの家を借りている、女優志望のベティが登場します。新しい家になる所で、ベティはリタと名乗る怪我をした女性を見つけました。

 

新たな冒険

ここから、真のリタを探求する新たな冒険が始まります。視聴者は、主人公が隠れた情熱を探すのを目にし、脈絡のないようなストーリーを追うことになります。そして、最初のスリラーのようなシーンから、映画は非常に暗い所へ向かい、疑いと奇妙な象徴であふれる悪夢のようなシーンが出てきます。

実は、リンチは『マルホランド・ドライブ』を連続ドラマとして作りました。そのパイロット版が、プロデューサーに映画を作るべきだと思わせるほどの衝撃を与え、この映画が作られることになったのです。この映画が理解しづらいのはこれが理由になっているのかもしれません。

さらに、この映画のストーリーを線状に並べようとしたり、説明づけようとしても無駄かもしれません。そうではなく、感情や感覚に身を任せて観てみましょう

私達人間には、すべてを説明づけようとするニーズがあります。今回の記事では、『マルホランド・ドライブ』をそのニーズに当てはめようとするのではなく、映画の主なポイントをご紹介します。

 

『マルホランド・ドライブ』に説明はいらない

『マルホランド・ドライブ』は本当に迷路のようで、夢のような要素があるので夢の構造を連想させます。何年もの間、人々はこの映画を説明しようとしてきました。しかしどうにもならない論点があり、リンチ自身もこの映画について説明したくないと言っています

情報の多いこの世の中で、『マルホランド・ドライブ』のような映画を見ると、新たな気分が得られるでしょう。見ているものに対する答えを探す可能性を与えてくれます。

芸術は、必ずしも言葉で説明できるものである必要はありません。自己発見の新たなレベルに到達し、感情を引き起こすものとして映画を楽しみましょう。

ここで、絵画、音楽、詩について考えてみてください。これらすべてが、明確なメッセージを示すものではなく、また中にはあまり興味をもてないものもありますよね。実際、単純に芸術を楽しみ、感情に身を任せることの方が多いでしょう。映画の中にもこの類のものがあり、単なるエンターテイメントではないのです。

しかし、『マルホランド・ドライブ』が引き出す永遠の疑問や自分の環境との繋がりが、すでにエンターテイメントの形になっているのです。

さらにリンチの映画は、夢のような状況を作ることを狙いとした作品が多くあります。夢を見ている時、心で解き明かされるイメージやストーリーは支離滅裂です。しかし夢を見ている間はストーリーの意味が通り、完成されています。それにもかかわらず、目が覚めて夢を人に説明しようとすると言葉にできないものですよね。

『マルホランド・ドライブ』は、夢のロジックを完璧に作り、夢の中のように、解釈の自由があります。

 

幻想の『マルホランド・ドライブ』

夢の中で出会う人は、覚えていなかったり現実とは違う役にあることもありますが、人生で一度は実際に会ったことのある人です。

同様に、夢に出てくる場所は現実と大きく違うことがあり、また現実では絶対にしないであろうことをすることもあります。ここで、『マルホランド・ドライブ』と夢を比べてみると、完璧に合うところがあります。この映画には象徴的なものがたくさん登場し、そのひとつには意味深な場所「クラブ・シレンシオ」があります。

「クラブ・シレンシオ」は映画の中の最も催眠術的な面を持っており、同時にビフォーアフターを示す場所でもあります。一直線にある構造を解き明かすストーリーを見ているかと思えば、このクラブのシーンの後は全く違う映画を見ているような気分にもなります

マルホランド・ドライブ

この奇妙な場所は、ヘルマンヘッセの荒野のおおかみの魔術劇場に似ています。この出会いの場ではいつも新しいことが起こり、主人公の真実を知る場所になっています。この場所は、青い色みが登場人物にある種の二元性を思い出させます。青は、心と内省の色です。そしてリタのカギやベティが見つけた箱も青をしています

 

エンディング

リタのカギが箱を開け、そこから新たな現実、すべてがつながるようにみえる一連の世界へと通じます。前に見たものにすべて新たな意味が与えられたように感じます。そして、登場人物の明確な性格も分かってきます。また、「クラブ・シレンシオ」によりあなたは騙されていたことに気づきます。今まで見ていたものは幻想であり、ウソ、芸術や夢のようで、それこそが映画そのものだったのです

また、クラブにいるマジシャンは主人公のみでなく、観ている観客にも問いかけているようです。彼がリンチが仕向けた夢の世界から、あなたを呼び覚まします。

映画を観ている人は、始めの「推理」の視点から、次の驚異を含む暗い部分へと移り、物語のターニングポイントが分かってきます。若いベティの楽観的でアメリカンドリームを生きるライフスタイルから、ダイアンの落ち込んだ、不安定な行動、そして、主人公にとりついているようにみえる二元性を目にします。

この映画の質は高く、成功しましたが、中にはすべてを消化しきれず批判する人もいます。また、過大評価されていると指摘する人さえいます。

俳優の演技もまたこの映画の見どころで、この映画がナオミ・ワッツのキャリアを高めたことも間違いないでしょう。

『マルホランド・ドライブ』は真の謎の物語で、その解決法は見る人に大きくゆだねられます。この物語と繋がろうとする人へのチャレンジなのです。まとめると、この映画は自分の心への招待状で、情熱と虚偽であふれた迷路とでも言えるでしょう。