何かを比較することの闇

24 12月, 2018

現在と過去の出来事を比べたいという誘惑に打ち勝つこと、これが幸せになるための条件です。ある出来事を実在していない瞬間に重ねることで、人は落ち込んでしまいます。言い換えれば、何かを比べるということは、人生を辛くすることと同義です。現在と過去を比較することほど、正気を失いやすいことはないのです。

「古き良き時代が懐かしい。」この言葉が何かを比較するということの危険性を言い表しています。神経学者で精神分析医でもあるアラン・R・ハーシュによると、私たちは異なる多くの過去の出来事をミックスして記憶しているといいます。

記憶のプロセスの中で、ネガティブな感情は弱くなります。一方でポジティブな感情は強く残るため、過去の出来事は美化されます。このバイアスによって、過去の良かった出来事が常に現在より魅力的に思えるのです。

人が成長するためには、自分自身の軌跡を記憶として書き留める必要があります。だからといって、過去に囚われてはいけません。昨日あった出来事は美しく思えるでしょう。しかし、現在を生きていなければ、それは全く意味のないことなのです。いくら行動しても、過ぎ去ってしまったことを取り返すことはできません。だったら、それらの過去を新しいことを作り出すことに活かすべきです。

頭の良さや外見の優劣、経済的成功などを比べることが慣習化している世界では、愛は何も比較しないと信じることは簡単ではありません。

人はなぜ比べてしまうのか?

フェスティンガーが唱えた社会的比較理論によれば、例えば不確定さのような、ある特定の状況に見られる特徴が比較することの動機になると言います。彼は、全ての社会比較を規制する原理である同調を観察することで、この結果を導き出しました。

フェスティンガーの理論は、他人との比較で得た情報で、私たちがいかにして自分自身の意見や能力を判別しているかを解き明かしています。それによると、自分自身を推し量るために私たちは物事を比べているそうです。

そうすることで、私達は人と接するときに自分自身のアイデンティティや自主性を保つことができるのです。つまり、私達は他人と自分を差別化して、自分のアイデンティティが脅かされたときに他人と比較するということです。

私達は、自分が所属している世界やコミュニティー内での自分の立ち位置を知る必要があります。だからこそ、他人と自分を比べます。兄弟が良い例です。たとえば、兄は勉強好きで、弟は勉強が苦手だとします。この場合、弟は自分のアイデンティティを補完するため、自分が兄のように勉強面で活躍できないことを理解しようとします。そして多くの場合、弟はスポーツなど、兄とは違う分野に取り組みます。兄と自分を比較し、自らの得意分野を身につけることで、兄とのバランスをとっているのです。

自分の功績を他人のそれと比べる必要は決してありません。ただ「ベストを尽くせていたか」と自問自答するだけいいのです。

比較することは自分を傷つける

性格によっても異なりますが、私達は自分と他人を上方比較か下方比較のどちらかで比較します。上方比較をするときは、自分自身を劣っていると認識します。一方で、下方比較の際は、自分が秀でていると考えます。

そして不平等なことに、自分より優秀な人と比較したときのほうが、自分より劣っている人との比較ときよりも不快な気持ちになります。これが、上方比較が人々の脅威として受け取られてしまう理由です。

女性とパンダ

また、上方比較を使った広告やマーケティングの顧客満足度は低い傾向にあります。そして満足度が低いことで、メディア上の消費欲にさらに悪影響を与えます。また、上方比較をよく使用する人は、フォトショップで加工されたまがい物の広告などに騙されやすくなるのです。

人間は、物を比較するというユニークな能力を有しています。これは非常に優れたスキルであると同時に、人生において大きなダメージを与える能力でもあるのです。