なにも好きになれないのは自分のことが好きじゃないからかも?

10 6月, 2020
自分以外の人生を生きたい、あるいは自分の人生から何らかの形で脱出したい、と願っていたりしませんか?過去のダメージを修復し、自分自身との一体化を目指すのに遅すぎるということはないんですよ!

好き好んで不愉快な状況を味わおうとしたり、あるいはそこに留まり続けようとする人など誰もいません。「マゾヒスト」と呼ばれる人さえそうでしょう心の奥底では、誰もが平和に、そしてできる限り幸せに暮らしたいと考えています。しかし、常にそのような願望を実現できるわけではありません。実は、幸せまでのこの道のりは、自分自身のことを好きになれない人にとってはより複雑なものになってしまいます。

理想的な条件下のもとで生まれ育つ人などほとんどおらず、中には幼い頃から非常に苦難の多い環境に直面してきた人々もいます。その中でも、認めてもらえなかったり尊重されなかったりなど、冷酷で厳しい環境で育たざるを得なかった人々の存在はいつの世でも見られます。

自分自身のことを好きになれない場合は、遠い過去の世界へ潜り込んでみる必要があります。そうすればその過去の中からなぜ自分が自己をそれほどネガティブに捉えるようになってしまったのか、理由を見出すことができるからです。そしてその理由は、自分自身が成し遂げたことを認めてあげられなかったり、自らの美徳に気づけずにいることの原因でもあります。その過去の時点で、別の人間になりたいと願う悪魔の種が植えつけられてしまっているのです。この種を持つ人々は、自分以外の人生を生きたい、あるいは自分の人生から何らかの形で脱出したい、と願うようになります。とはいえ幸いにも、このダメージを修復し、自分自身との一体化を目指すのに遅すぎるということはありません。

“あなたは不完全です、永遠に、そして絶対的に不完全な存在です。そしてそんなあなたは美しいのです”

-エイミー・ブルーム-

自分自身を好きになれないときに起こる現象

自分自身を好きになれないときに大抵陥ってしまうのが、好きになることができるものが一つもない、という状態です。私たちの目に映る世界というのは結局、自分の内側にあるものの投影となっています。それは、楽しい部分や不愉快な側面、両方がある世界についてというよりは、私たちがそれをどう捉えるかに関わる問題です。

自分が好きじゃない

自分を好きになれないと、自分にまつわるもの全てや自分の人生が不快なもの、あるいは自分にとって何の価値もないもののように思えてしまうのです。非常に幸福な瞬間が訪れたとしても、すぐに、そして簡単にやる気のない状態に変わってしまいます。そしてどのようなシチュエーションにいたとしても、常に何か気に入らないものが目についてしまうでしょう。

熱意を持って何かを始めても、同じように瞬く間にその熱意を失ってしまいます。あらゆるものに、そしてあらゆる人にネガティブな部分を見出してしまい、基本的には中立的なはずの、良くも悪くもないような物事を、何か悪いものあるいは価値のないものとみなしてしまうのです。問題なのは、自らがそのようなパターンに陥っていることに自分では気づいていないという点です。ただ心の中で嫌な感覚を抱いているために、故意にではなくてもそれを他者にも投影させてしまいます。つまり、心に開いたままの傷口があるせいで苦しんでいるということです。

好きになれるものが一つもないとき、あなたの人生には何が起こっているのか

不満は現実に存在する何かではなく、むしろ一つの観点にすぎません。この世界も事実も、ただそれ自体でしかありませんが、人それぞれがそれに対してその人ならではの特別な意味を持たせるのです。私たちが心の内側の世界に対して抱いている観点よりも、現実世界の捉え方の方が自己についてより多くのことを語っています。

自分のことが嫌いな人は、目にするものや耳にするもの、知覚するもの、そして人生に訪れるあらゆるものの中にポジティブな点を見出だすことができません。

自分が好きじゃない

このような人々に関して最も懸念される面の一つが、本人も気づかないうちにこれが生活の習慣になってしまうことです。常に物事を一番最悪な視点から見るよう、頭脳が自動的に働くようになってしまうのです。そしてその結果必ずネガティブな側面を見つけることができてしまうので、この世界も、そこにあるあらゆるものも悲劇的で無残なものなのだ、という自身の考え方をますますエスカレートさせてしまうことになります。

自覚のないまま、そのような世界の捉え方を選んでしまっています。しかし、特に好んでそうしているわけではありません。これは単に、自らを芯まで傷つけている、拒絶された経験に対処するための方法に過ぎないのです周囲の物事への嫌悪感は、自分のことを好きになれない痛みを処理するための手段でしかない、ということです。

すべきことと、すべきでないこと

こういった人々は、幼少期にありのままの自分や自分が感じたこと、そして考えたことが家庭や身近な環境の中でおそらく無視されたり却下されたり、あるいは単に拒絶された経験があるはずです。また、それが何度も繰り返されていたと考えられます。

そしてその時は幼いため、何が起こっているのか理解できていません。そして、自分は全体的にあるいは部分的に「悪い」のだ、という考えとともに成長することとなります。このようなケースのほとんどに当てはまるのが、その子に対してそのような酷い接し方をしている人々もまた、自らを好きではないという事実です。彼らは、自らの不満をその子に対して投影させており、悪い部分しか見ようとせず、明らかに良い点があるのにそれは無視されてしまいます。これは、誰かが終わらせないと永遠に続く悪循環だと言えるでしょう。

理想的なのは、「自分自身が」これに終止符を打つ人物になることです。この、不幸で不満とネガティブな偏見にまみれた物語を終わらせましょう。もちろん、誰もが醜い一面を持っているのは事実です。しかし、私たち全員が、どんなものにもどんな人にも異を唱えられないような尊さを心の中に有しています。私たちには間違いを犯す権利があり、そして幸せになる権利もあります。今こそ新たな観点を組み立てていくべき時なのです。