オリヴァー・サックス著『ただよう船乗り』

『ただよう船乗り』は興味深いだけでなく、心を動かすような物語です。これは、様々な問題のせいで長年にわたって大量のアルコールを摂取してきた影響と向き合わねばならなかった男性に関するお話です。
オリヴァー・サックス著『ただよう船乗り』

最後の更新: 06 4月, 2020

『ただよう船乗り』は、『妻と帽子を間違えた男』(2014)の中の短編です。これは主人公にとってはかなり悲劇的ですが、観る人にとっては非常に魅惑的なストーリーで、アルコール依存症が個人の認知機能に及ぼしうる様々な影響の一つについて語られています。いくつかの症例では、短期的にはこれらの影響は発現しませんが、時間とともに現れることがあります。

『ただよう船乗り』の主人公はジミー・Gという名前の男性です。彼を知る人は、彼のことを知的でフレンドリーで会話がうまく、生き生きとした人物だったと評します。一見したところでは特におかしなところなどなさそうに見える、普段は落ち着いていて親しみやすい男性です。

しかし、そんな彼には似合わないような謎のメモを携えて彼は介護施設へやって来ました。このメモの中では彼は「無力で、狂気的で、混乱していて途方にくれた」人物である、と説明されていたのです。したがって彼には明らかに神経学的治療が必要でした。しかし幸運なことに、非常に理知的で寛大なオリヴァー・サックス博士が彼の世話を引き継ぐこととなりました。

オリヴァー・サックス ただよう船乗り

啓発的な診察

サックス博士との最初の接見は完全に正常なものでした。ジミー・Gは自身の過去について非常に楽しそうに、そして熱心に話したのです。

彼はかつて海軍で通信使として働き、潜水艦の補欠要因の地位に就いていました。それは彼にとって、自分を誇りに思わせてくれるような素晴らしい思い出でした。

『ただよう船乗り』の主人公は、自身の出身地に関して豊富な情報を持っており、地図を作ることまで提案して愛情深くこの場所の説明をしようとしたほどでした。さらに彼は、通った学校や数学への愛について語り、幼少期の電話番号まで覚えていました。

彼が最も意欲を見せたのが、海軍での経験を語ることです。サックス博士に自身が達成した任務について語ったのに加え、そこで働き続けたかったが代わりに大学に進む決断をしたという話もしました。

そして神経学者サックス博士は、過去に関する彼の語り口について、非常に特異な点があることに気づきます。普段幼少期について喋る時、ジミーは過去形を用いるのに対し、海軍について言及する時には彼はまるでそれが現在起こっていることかのような話し方をしたのです。

『ただよう船乗り』と記憶

こういった奇妙な点に気づいたサックス博士は直感的にジミーに、「今年はどんな年だったか」と尋ねます。患者はその質問に少しあっけにとられながらも、「1945年ですよね、もちろん」と答えました。そして「私たちは戦争に勝ちました!」と付け加えたのです。この奇妙な回答を受け、サックス博士は彼に年齢を尋ねました。するとまたもや驚くべきことに、ジミーは自分は19歳であり、もうすぐ20歳になると答えたのです。

ジミーは明らかに混乱していました。するとサックス博士は本能的に鏡を取り出し、彼の目の前に置きました。博士の意図は、ジミーに自分の髪が白くなっていて顔はシワだらけであること、つまり彼が19歳であるわけがないことを彼自身の目で確認させることでした。

サックス博士は患者にこの間違いと向き合わせたかったのですが、その結果は驚くべきものでした。ジミーはショックを受け、鏡に映ったものを信じようとせず、それがジョークか悪夢だと考えたのです。さらに「自分は気が狂ってしまったのではないか」とまで思い悩み始めました。彼にとって、鏡の中で目にしたイメージは彼が抱く自分自身のイメージと1ミリたりとも一致していなかったのです。

オリヴァー・サックス ただよう船乗り

明らかになる真実

サックス博士は彼の混乱を理解し、話題を別のものに変えました。ジミーに鏡やそこに映ったもののことを忘れさせるのは簡単でした。その後、博士は数分間退室します。

戻ってきたサックス博士のことを、ジミーは全く認識できませんでした。まるで人生で初めて会ったかのようだったのです。これにより、サックス博士は何が起こっているのかを把握します。

『ただよう船乗り』は”前向性健忘”と呼ばれる病気に関する短編です。この病気の特徴は、短期記憶の蓄積が不可能だという点です。健忘を発症する前に起こったことは全て覚えていますが、たった五分前に何があったかは思い出せません。それがジミーの身に起こった現象だったのです。

ジミーの過去について尋ねていくうちに、オリヴァー・サックス博士はジミーには長年アルコールを大量に摂取する習慣があったことを発見します。それが彼の脳にダメージを与え、ウェルニッケ・コルサコフ症候群を引き起こしていたのです。

過度にアルコールを消費する人は誰しも、最終的にこの問題を抱えるこ可能性があります。それは、アルコールが代謝を変容させ、ビタミンB1を枯渇させるためです。つまり中枢神経系が影響を受けてしまうということです。

『ただよう船乗り』は神経学的な問題についてだけでなく、人間としての悲劇も描かれています。短期記憶を持つことができないということは、人生を持てないということを意味します。記憶は人間のアイデンティティの大切な一部であり、記憶を蓄積できない状態は時間の止まった地獄で生き続けるようなものだからです。


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  • Palacios-Sánchez, L., Botero-Meneses, J. S., Guerrero-Naranjo, A., Vélez, M. C., & Mora-Muñoz, L. (2017). Oliver Sacks, maestro y divulgador de la Neurología: reflexión. Iatreia, 30(2), 230-237.


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