ポール・エリュアールとシュルレアリスム運動

2019年9月1日
ポール・エリュアールはシュルレアリスム運動の中心人物で、フランスにおける抒情詩の祖とされています。

ポール・エリュアールはシュルレアリスム運動の最も重要な詩人の一人です。彼の文学的存在感は強く、自分を表現する方法を熟知していました。そして、エリュアールのセンチメンタリズムは彼を世界で最も有名な詩人の一人にしました。エリュアールの詩は愛、自由、そして戦争について彼のユニークな情熱で語られました。

 

“私の愛の言語は人間の言語ではない。私の身体は愛に触れることはない。”

―ポール・エリュアール

 

多くの偉大な詩人と同様に、エリュアールの成功は、詩に注がれた感情的で知的な誠実さにありました。彼の詩には絶妙で深い信憑性があるのが特徴です。エリュアールの人生には浮き沈みがありましたが、彼は経験した苦難を乗り越えるのに十分な創造性と知性を持っていました。彼の存在は彼と同じぐらい説得力があるのでした。

ポール・エリュアール シュルレアリスム運動

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ポール・エリュアール:病弱な青年

ポール・エリュアールは1885年12月14日にフランスで生まれました。フランスのプロレタリアート色の強いサン・ドニ地区出身でした。12歳のとき、エリュアールはリセ・コルベールに入学しましたが、16歳のとき結核にかかりスイスでの療養するために中退せざるを得ませんでした。

療養中、エリュアールはホイットマン、ボードレール、ネルヴァル、リンボー、ヘルダーリン、ロートレモントの本を読み始め、彼の最初の作品であるPremiers Poèmes は1913年に出版されました。回復すると、1915年には第一次世界大戦で徴兵されました。

ポール・エリュアールは、どんな場所であれ、どんな状況下であっても書くことができました。戦争の最中には彼の最も有名な本であるLe Devoir(1916)とLe Devoir et l’Inquiétude (1917)の2冊を書き上げました。1917年、エリュアールの部隊はガスで攻撃されたことから彼は肺に損傷を受け、その後エリュアールはパリへと送られました。

智の女神ガラ

パリでの2回目の滞在中、エリュアールは以前に出会った女性エレナ・イヴァノヴナ・ディアコノワと再会しました。この女性はガラという名前でより知られています。エリュアールとガラは1917年に結婚しました。

しかし、ガラは自由な精神の持ち主であり、マックス・エルンストという男性と出会い、直ぐに恋に落ちるのです。しかし、エリュアールはこのことに反対するどころか、3人は一緒に暮らすことになったのでした。

それから間もなくして、ガラは人生で最も大切な人、サルバドール・ダリと出会いました。ポール・エリュアールとは1929年に離婚し、詩人エリュアールは悲しみに明け暮れたといいます。しかし、エリュアールは世界を旅することを決め、これが彼の美しい詩を生み出したのでした。

ポール・エリュアール シュルレアリスム運動

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立ち直る強さのある男

ポール・エリュアールはその後、2回結婚しました。最初は彼が“ヌシュ”と呼んだピカソのモデルと1934年に再婚しましたが、彼女は1951年に亡くなりました。その後、ドミニクと再婚し生涯を共にしました。

これらのことを通し、ポール・エリュアールは自由の声になりました。彼は共産党に加わり、平和、自由、正義について書き、第二次世界大戦中には彼の著書はレジスタンス集団のインスピレーションになったといいます。しかし、これにより彼は身を潜めることを強いられました。

エリュアールの戦争に対する詩は、彼の書いた愛の詩と共に傑作です。感情と苦境を表現するのに抜きんでた才能を持っていたのです。ポール・エリュアールは間違いなくフランスにおける抒情詩の祖と言えるでしょう。

  • Nadeau, M., & Riviere, M. P. (1972). Historia del surrealismo (p. 137). Barcelona: Ariel.