『ロッキー・ホラー・ショー』:性の革命と解放

02 6月, 2020
『ロッキー・ホラー・ショー』の評判は、初めはあまり良くありませんでした。しかし年々、現代でも語られる神話の一種のようになってきたのです。

『ロッキー・ホラー・ショー』は、リチャード・オブライエン原作のミュージカルです1975年に映画化され、今やカルト・クラシックの作品の一つになっています。そしてこの映画のサウンドトラックさえも名作だとされています。さらに、スーザン・サランドンやティム・カリーなどの俳優を有名にした作品が、この『ロッキー・ホラー・ショー』なのです。

『ロッキー・ホラー・ショー』は始まりから奇妙な映画です。昔のB級ホラー映画のパロディに加え、コメディーからサイエンスフィクションなど、様々な要素が含まれています。非常にミステリアスで恐いようですが、「安い」シュールさやユーモアがこの映画を独特な作品にしています。

『ロッキー・ホラー・ショー』の評判は、初めはあまり良くありませんでした。しかし年々、現代でも語られる神話の一種のようになってきたのです。また、この映画をあまり真剣に捉えすぎてはいけません。この映画は私達を、どこかカーニバルのような、異様な世界へ導きます。好き嫌いは別れますが、誰もが意見を言いたくなる映画なのです

狂気へ突入

歌を歌う真っ赤な唇で、映画は始まります。催眠術がかけられるような始まりになっており、観る人は興味をそそられ、B級ホラー映画を思い出し、次に何が起こるかを知りたくなります。

映画には、ナレーターの役割をする犯罪学者が登場します。ナレーターは、これから、ショックの大きい、道徳を外れた何かを目にすることになると視聴者に語り掛けます。そして、最近婚約したばかりのカップル、ブラッドとジャネットが紹介されます。2人は当時「普通に」社会的に受け入れられていたカップルの典型です。もちろん、この映画は極端なので、物事を中途半端に行うことはしません。

この若いカップルには、結婚までセックスをしないという約束がありました。そして、ブラッドは友人の結婚式で、ジャネットにプロポーズします。2人はここで愛を誓いあいますが、それは古くさい雰囲気で、ロマンチックというよりおかしなもので、これにより2人のおかしなキャラクターが示されています。そしてカップルは、エヴァレット・スコット博士に報告に向かいます。

運命が変わる時

道中、2人はひどい嵐にあい、先へ進めなくなります。途方に暮れている所に、光がさし、2人は助けを得られると安堵します。しかし、これは叶いません。非常に奇妙な住人のいる、不思議で不吉な城へといざなわれたのです

ここで、城の使用人マジェンダとリフ・ラフ、そして、コロンビア、女装した科学者フランク・N・フルター博士に出会います。フランク・N・フルター博士は、明らかにフランケンシュタインを模したキャラクターで、彼は2人の客人を大きなパーティーへと招待します。ブラッドとジャネットがここに来たのは、偶然、博士の新たな作品である筋肉質のブロンド男性、ロッキーをお披露目する特別な日でした。

パーティーの参加者は皆トランスセクシュアルのトランシルヴァニアから来たエイリアンです。このような状況に置かれたブラッドとジャネットは、自分達の周りで起こっていることをなんとか理解しようとします。

性の解放:『ロッキー・ホラー・ショー』

セックスに関する話題はタブーであった期間が長く、また、現在もタブーである地域が存在します。しかし、私達が押し付けている様々なタブーを超えるのは、当然のことです。性的抑圧と解放、ホモセクシュアル、バイセクシュアル、トランスセクシュアルなどの受容は、この映画のカギになっています

映画の中では、異性愛が普通ではない、逆さのような世界で、これらがコミカルに表現されています。自分達の世界で社会的に受け入れられているブラッドとジャネットが、ここでは受け入れられません。言い換えると、これにより、「普通」に見えるようなことが奇妙なものへと変わり、普通と違うと見られるものが標準化されているのです。

映画では両方の世界や両極端の2つを粗雑に衝突させ、対比させています。この映画が1975年の作品であることを忘れてはいけません。当時、この作品は非常に過激でした。あらゆる慣習を破ったもので、今でもユニークな作品になっています。『ロッキー・ホラー・ショー』により、他の世界を探求するための道が開かれ、『プリシラ』などの新たなミュージカル作品への道が作られました。

セックスはいつもタブーな話題だった?

性のノーマライゼーションや解放が実現したのはもっと後になってからで、20世紀の終わり頃です。しかしまだ完全ではなく、進歩すべき点はたくさんあります。ホモセクシュアル、バイセクシュアル、トランスセクシュアルに対する差別、タブー、偏見はまだたくさんあります。今までも、ずっとこうだったのでしょうか?

現在、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』といった映画や本が中傷され、論争になっているのはおかしなことです。作品の中で行われていることは、新しいことではありません。中世にさかのぼると、ボッカッチョの『デカメロン』には、ルスティコとアリベックの話などがあり、この話は『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』より恥ずかしく、気づまりするような物語です。また、18世紀に書かれた、マルキ・ド・サドの『ソドムの百二十日』は、もっと衝撃の大きい作品です。拷問、セックス、糞食性など、私達の想像を超える本です。ミシェル・フーコーは、これらすべてを深く研究し、『性の歴史』と題し、3冊の本にまとめています。

「セックスが抑圧されている、つまり、それが禁止、非存在、沈黙されるべきものであれば、これに関し話すという行為そのものが、故意の罪の表れである」

-ミシェル・フーコー、『性の歴史』-

見えないものからカルトへ

映画『ロッキー・ホラー・ショー』が公開された当時、セックスについて口にすることに対して何か見えない障害のようなものがありました。そこで、この作品はパロディ、映画、ミュージカルを使い、この話題を持ち出そうとしたのです。当初、この映画はすべての映画館で上映されたわけではなく、この映画を好きだという人は多くありませんでした。しかし、時間とともに人は興味を持ち始めたのです。

実際、この映画のみを上映する映画館があるほど、関心は高まっていきました。そこでは観客があるシーンで役を演じるという独特の方法がとられました。さらに、この特殊な視聴法が伝統のようになっていったのです。映画館は役者を募り、人々は着飾って映画に参加しました。

また、この伝統は今も存在するということをここでお伝えしておきましょう。この映画は今も各地で上映されています。観客は映画を見るために着飾り、例えば結婚式のシーンでスクリーンに向かってライスシャワーを行ったりします。ブラッドとジャネットが雨に降られるシーンでは、新聞を頭にあて、一緒に雨をしのぎます。さらに、この映画にはファンクラブまであります。世代から世代へと受け継がれ、このミュージカルを取り巻くカルトの魅力は信じがたいほどのものになっているのです

ロッキー・ホラー・ショー 性の革命 解放

特に素晴らしいのが、この映画には大きな宣伝がなかったことです口コミで伝わり、また観客が映画に参加するようになったことで人気が高まりました。上映のために着飾ったり、「タイム・ワープ」の曲に合わせ、踊り始めたのがきっかけです。

現在は?

『ロッキー・ホラー・ショー』は、反響が大きく、2016年テレビ版も作られました。トランスジェンダーの女優ラバーン・コックスをフランク・N・フルター役にするという、オリジナルにはなかった新しい取り組みも加えられました。さらに、(1975年版のフランク・N・フルター役)ティム・カリーも登場します。また、TVシリーズ『グリー』でもこの映画のトリビュートエピソードがあります。このユニークな映画に関するものやトリビュートについて語ると、きりがないほどたくさんの作品があります。

『ロッキー・ホラー・ショー』は、時代遅れになることのないミュージカルです。性の革命と解放をもたらした作品で、映画の核心は今でも生き続けています。見るたびに、以前は見逃していた何かを発見できる映画の一つです。またこの映画は、まったく新しい映画館の楽しみ方、映画の見方をもたらしてくれました。そして、サウンドトラックもまた、大きな功績を残し、同様の映画やミュージカルに道を開きました。『ロッキー・ホラー・ショー』が人生で一度は見るべき映画の一つであることは、間違いありません。

「人類と呼ばれる虫が、惑星の表面を這う。時間の中で迷い、空間、そして意味の中で迷う。」

-犯罪学者、『ロッキー・ホラー・ショー』-