ロゴセラピーの父、ヴィクトール・フランクルの生涯

· 2018年3月23日

ヴィクトール・フランクルはヒーローだったのか、それとも殉教者だったのか、または偉大な思想家だったのか…彼を表す適切な言葉を見つけるのは難しいようです。ですが実際はきっとそれら全ての要素を持ち合わせていたのでしょう。

死ぬほど苦しい逆境を生き残ったという意味で彼はヒーローです。そしてそれほど酷い苦しみを味わったにも関わらず、それでもなおその悲惨な戦争の中、そこに留まり苦しみに耐えようとした意味においては殉教者です。まだロゴセラピーという心理学における遺産を残したという意味では偉大な思想家です。

ヴィクトール・フランクルは非情な苦しみのどん底から心の平和を見出した、人間として素晴らしい成長を遂げた人物です。彼は1905年に中流階級の家庭に生まれたオーストリアの医師、精神科医でした。彼にはそれぞれ年上と年下、2人の兄弟がいました。

「状況を変えることが出来ないのなら、自分自身を変えることに挑戦しなければならない。」

ヴィクトール・フランクル

 

彼はとても静かな家庭の中で育ち、平和な幼少期を過ごしました。彼の5歳の頃の話の中で、彼自身がそう表現しています。朝目が覚め、目を閉じたまま平和と幸せを感じていました。目を開けると彼の父親が横で眠っているのです。

そして第二次世界大戦の厳しい戦火の元、彼は思春期を過ごしました。物品は乏しく食べるものもありませんでした。この間ヴィクトールは熱心に本を読み、ジークムント・フロイトと文通をしていました。人間の心の謎に夢中になったのです。

 

ヴィクトール・フランクルと生の意味

まだ学生だった頃、彼は人生初の講義を行いました。タイトルは「生の意味」で、有名なウィーン大学で行われました。彼は若い頃からこの答えを探し求めていました。私たちはなぜ存在するのか?生の意味とはなにか?

本の木

彼は精神分析に強い興味を持ちながらも、1925年フロイトの元を離れました。フロイトの考えは決定論的過ぎると感じていたのです。彼はアドラーの個人心理学について学び始めます。そして最終的にはルドルフ・アラーズやオズワルド・シュワルツの心身医学に興味を持つようになります。

彼は常に哲学、特に実存主義に強い興味を抱いてたにも関わらず、神経学及び精神医学を専門に学びました。1933年から1937年ウィーン大学にある精神病院で精神科医として務めています。1939年にはウィーンのロスチャイルド病院神経科の責任者となりました。運命が彼の人生を狂わせたその瞬間まで、彼は専門家としての素晴らしい才能を発揮し続けたのです。

 

ナチスと第二次世界大戦

ヴィクトール・フランクルはオーストリアに暮らすユダヤ人でした。そのため若いうちからナチスによる影響を受けることとなり、その状況は日増しに悪くなっていきました。第二次世界大戦が始まると彼の兄弟ウォルターはナチスに捕まり強制収容所へ送られました。

その後姉のステラはメキシコへ亡命。ヴィクトールはアメリカにビザを申請して受け入れられましたが、両親や患者にこの先起こるであろう運命を思い、非常に苦しみました。

アウシュビッツ

そして彼は究極の選択をしました。彼はこのように説明しています。「大理石に刻まれたヘブライ語があります。私の父は、それは戒律の1つだと言っていました。"父と母を重んじなさい。そうすれば約束の地へとたどり着けるだろう"という第4の戒律です。」この後彼はオースリアの地に残ることを決め、アメリカのビザを返してしまいました

1941年、ヴィクトールはティリー・グロッサーという女性と結婚しました。数か月後、2人が待ち望んでいた赤ちゃんをナチによって中絶させられました。1942年、ヴィクトールと妻、彼の両親は、テレジアシュタット収容所に収監されました。次の年、彼の父は呼吸器疾患と飢えから衰弱し、亡くなりました。1944年、ヴィクトールは妻と共にアウシュビッツに移動させられました。そこで別々になり、戦後になるまで彼女の消息は分かりませんでした。

収監され強制労働を強いられたこの期間がヴィクトールに大きな影響を与えました。1945年ついにアメリカ軍によってヴィクトールは解放されました。バーゲンベルセンに移されていた彼の妻もまた自由の身となったのですが、残念なことに、自由を喜び走り去る群衆たちによって踏みつぶされ亡くなってしまったのです。ヴィクトールの母親は解放される数年前にガス室に送られ亡くなっていました。

 

ヴィクトール・フランクル、人生の意味

強制収容所を出たヴィクトールは家族を探しましたが、たった1人生き残ったという事実に打ちのめされることとなりました。愛する人たちにもう2度と会う事はなかったのです。最初に彼が取り掛かったのは、収監される時に取り上げられた原稿を再現させることでした。彼はそれを再現し、彼にとって初めての本を出版する事に成功しました。「Psychoanalysis and Existentialism 日本語タイトル(人間とは何か 実存的精神療法)」という本です。

1945年クリスマス前、フランクルは抑えきれない衝動を感じていました。自分のこれまでの人生、強制収容所で得たことなどを誰かに話したいと強く思ったのです。そこで彼は秘書を3人雇い、彼らにこれまでの出来事を話し、それをノートに取らせたのです。9日間、彼は涙をこらえて語り続けました。

ヴィクトール・フランクル

彼の最高傑作「Man’s search for meaning(日本語タイトル:夜と霧)」はこうして出来上がりました。この本はほぼ全ての言語に翻訳され出版されています。心理学と収容所に関する証言の傑作であると多くの人々が称賛しました。この作品の最も素晴らしい点は、フランクル自身あの場所での残虐性を詳しく述べたかったわけではないという事です。彼の目的は世界へ強いメッセージを送ることでした。「私はただ詳しい例を通して、どんなに辛くみじめな状況でも人生には意味と素晴らしい可能性があるのだという事を読者に伝えたかっただけです。」と彼は言っています。

 

彼の遺産となったロゴセラピー

ヴィクトール・フランクルは人生を取り戻しました。1947年彼は再婚し、娘、2人の孫、そしてひ孫まで持ちました。再婚は彼に50年という幸せな時間をもたらしたのです。40以上もの名誉博士号取得、30冊以上もの本の出版、ハーバード大学、スタンフォード大学、ウィーン大学など世界中の権威ある大学で講義もしました。彼は1997年に息を引き取りました。初めてアマチュアパイロットとして飛行を成功させたそのすぐ後でした。

彼の心理学での教えはロゴセラピーと呼ばれ、今日でも多くの心理学者たちに使われています。彼は人間には身体または肉体、精神、超自然の3つの側面があると言っています。彼によると人生に見いだせる意味や超自然の面が弱まったり欠如することで心理的疾患が現れるそうです。ロゴセラピストにとって「意味への意志」は生きるために不可欠なものなのです。

手のひらで崩れていく落ち葉

どうやって人生の意味を見つけるのでしょうか?フランクルと彼の弟子たちによると、それは3つのカテゴリーに分けられるそうです。創造価値、体験価値、態度価値の3つです。創造価値は芸術の創造など、創造力に意味を見出すものす。2つ目の体験価値は、対人相互作用や感覚を経験するといった体験をベースとしたものです。3つめの態度価値は苦しみに打ち勝つ力など、態度に重要性、意味を見出しています。

フランクルが伝えたかったのは、精神疾患は苦しみから起こるのではなく、苦しみに意味をもたらすことによって起こるのだという事です。疑う余地もなく、彼の人生そのものが人間はどんな状況に置かれても立ち上がる力があるのだという事を証明しています。