散歩は不安を軽くする

· 2018年1月2日

歩くことは気分を高める最善の方法の一つです。ゆっくりまたは素早く、優しくまたは激しく、固くまたは柔らく歩みを踏むことで、私の心配事が和らいだり心が落ち着いたりしています。

歩くことで私の痛み、感情、思考の重圧が解放されたりします。それは私の不安に休息を与えてくれ、眠れない夜から解放してくれます。なぜなら、散歩は認知機能的にも情緒的にもより健康にしてくれるからです。

なぜでしょうか?理由は多くありますが、最も顕著な理由は散歩が自身のために自分の心の一部を取っておくように仕向けてくれることです。私達はよくそうすることを忘れてしまっており、多くの面で大きな問題を生み出しているのです。

いっぱいいっぱいになってストレスが溜まった時は、散歩しよう!

いっぱいいっぱいになってストレスが溜まった時は、散歩しましょうそれは幸福のレシピの一材料となるだけでなく、人生に重要な甘味料となります。明かなまでにシンプルなことで、問題を解決し、精神という名の引き出しを整理することができるようになるのです。

これは、基調となる情緒状態と認知機能状態を決定する簡単な要因と密接に関係しています。あなたの行動は、あなたという人格の氷山の一角にすぎません。思考、情緒、そして行動の間でのやりとりに基づいてあなたという人間が存在します。

活動的な状態でいると、頭脳は現在のものと取って代わる思考を作動させ、問題に直面できる能力を破壊してしまう感情を落ち着かせます。このスキルに取り組むことで、良い結果を得ることが可能です。

行動の一つ一つが思考と感情を決め、また行動の一つ一つが思考と感情によって決められるということを決して忘れてはいけません。これら3つの柱は私達の中に時計のギアのように共存しているのです。

歩きながら瞑想できることを知っていましたか?

西洋のマインドフルネスの父であるジョン・カバット・ジンは、より意識的でいるための簡単な方法は歩きながら瞑想を実践することだと提案しました。これは歩きながら、歩いているという実体験に自分の注意を向けるということになります。

それは歩き、自分が歩いているということを知ることにすぎません。しかし、これは自分の足元を見つめなければいけないという意味ではありません。この歩きながらの瞑想を試みようとすると、何も見かけほど簡単ではないということに気づくでしょう。

ただなんとなく散歩するということは稀なことです。私達は大抵、ある場所からある場所へ行きたいから、つまり体が頭脳の手段となっている状態で歩きます。

マインドフルネスストレス低減法」という著書の中で、カバット・ジンが雄弁に主張する中で次のようなものがあります。

「...体は進んで(または嫌々ながら)頭脳を運び、頭脳の命令を実行することから、実に頭脳の運転手である。頭脳が急げば、体は急ぐ。頭脳が面白いと思うものに惹かれれば、頭が振り向き、体は向きを変えたり止まったりするかもしれない。あらゆる種類の思考は、じっと座って息をしている時にそうであるように、歩いている間もいつものように滝のように流れ落ちている。原則として、これは全て私達の自覚が全くない状態で起こるのである。」

散歩を通じての瞑想のプロセスには以下があります。

  • 片足が地面に接する時、自分の体重がその足に支えられている時、もう一つの足が上がり前へ進む時、そしてその足がもう一度地面と接するために下がって元の位置に戻る時に、そのことに気づく努力をすること。
  • 頭脳が足や体がどのように動いているかという感覚に集中することから逸れていってしまったら、その頭脳が脱線していると気づいた時にその頭脳を静かに呼び戻しましょう。
  • 自分の足を見たりする必要はありません。なぜなら、足は自ずと歩く方法を既に知っているからです。まずはじめに、身の周りの景色を見ない方がずっといいかもしれません。そうすることで、思考が逸れたりするのを防いだり、瞑想や放心のプロセスが中断するのを防いだりすることができます。全てはあなたが実行している活動を経験することだということを覚えておいてください。
  • 自分の足に全ての注意を向けた状態で歩ける能力を高めた後は、体の残りの部分に、まるで空間を動いている実体であるかのように、自分の注意を広げることができます。こうすることで、頭脳は行き場がなくなり、集中力がそがれるものが何もないため、頭脳を休ませることができるでしょう。

瞑想しながらであろうがそうでなかろうが、歩くことは、雑念をはらい、障害だらけの道をたどることになるかもしれないという不安を征服させてくれるでしょう。(なぜなら、私達が皆知っているように、人生は往々にしてこのようになり得るからです。)

どんな時も、自分のニーズに合った場所を歩いて通る快感を経験するのには完璧な時です。そうする人は長い散歩の後に人生の鼓動に合わせて体を動かすことはずっと簡単でずっと満足感が得られるものだということを知っているのです。