聖なる物乞いドブリ長老

08 8月, 2020
ドブリ長老は、フィクションの物語から飛び出してきたかのような人物です。多くの人にとって物の所有が非常に重要である時代に、ドブリ長老は、寛大な心と素晴らしい高潔さを示してくれました。

ドブリ・デミトロフ・ドブレフは、皆に「ドブリ長老」と呼ばれていました。ブルガリアで有名になり、その名は多くの国に広まりました。また、寛大な心の持ち主であることから「ベイロボの聖人」という呼び名も付きました。ドブリ長老は物乞いでしたが、全世界に高潔さと誠実さを示した人物です。

ドブリ長老は、1914年7月20日ブルガリアのベイロボで生まれ、2018年2月13日103歳で亡くなりました多くの偉人がそうであるように、彼が有名になったのは細かい自伝的な話からではなく、彼の行った活動であったため、彼自身についてはあまり知られていません。

「あなたにお返しをできない人のために何かをしてはじめて、あなたは今日生きたことになる」

-ジョン・バニヤン-

ドブリ長老が有名になったのは、亡くなる前18年間に続けたある行動のためです。彼は、故郷であるベイロボからソフィアへ約10㎞毎日歩き続けました。

そこで物乞いをし、すべてを教会や慈善団体に寄付したのです。高齢にもかかわらず、ドブリ長老はこれを毎日続けました。

ドブリ長老

謎めいた性格のドブリ長老

ドブリ長老の人生についてはあまり分かっていません。それでも、ソフィアに住む誰もが過去20年の間にどこかで彼に会っているだろうと言われます。多くの人が古い服を着たこの老人に気づかなかったかもしれません。しかし中には彼のストーリーを知り、聖人だとした人もいます

この男性の元へ子どもを連れていき、手にキスをもらう人もいました。天使の光輪をもち、人に影響を与える優れた人物だとされました。実際、彼が亡くなった時、多くの人が彼の列聖化を求めました。ドブリ長老は信仰と愛の真の手本だとされていたのです。

ドブリ長老はソフィアの街を歩き、通行人にお金を求めました。そして、そのお金は主に教会に寄付されました。この活動により、約40000€が集まり寄付されたと予想されています。

なぜこのような活動を続けるのか尋ねられた時、ドブリ長老は、過去に悪事を働いたために、日々苦行を行い、神の許しを得ようとしていると答えたそうです。彼はこれまでずっと物乞いをして暮らしていたわけではなく、この活動を始めたのは2000年のことです。

ドブリ長老の生まれは?

ドブリ長老の活動は、ソーシャルネットワークやメディアにより有名になりました。様々なインタビューで、彼の人生についていくらか分かりましたが、多くは謎に包まれたままです。

分かっているのは、父親の名はディミトーリで第一次世界大戦で亡くなったということです。そのため、母親カテリーナにより育てられました。そしてドブリ長老も第二次世界大戦に招集されたようです。戦時中、彼の側に爆弾が落ち、聴覚を失いました

彼は結婚し、4人の娘を授かりましたが、その内2人は若くして亡くなったようです。その他のことに関しては分からないままです。分かっているのは、2000年、持っている物すべてを教会や慈善団体に寄付したということです。そしてここから、すべてを寄付するために物乞いを始めました

ドブリ長老

素晴らしい人物像

ドブリ長老は、教会の聖具保管室で貧しく暮らしました。家具はほとんどなく、国の補助金を受け、食をつなぎました。そして「盗み、嘘、不貞はいけない。神が我々を愛すように、人を愛せ」と書かれた板の上で寝ました。

彼に出会った人は、笑顔と優しい言葉を受けました。素直な性格で、すべての会話が必然的に神に通じるものであったと言われます。彼に耳を傾けようとしない人がいても、苛立ちを示すことはありませんでした。そして、彼の人生を撮ったドキュメンタリー『Silent Angel』も作られました。

さらに、ブルガリアの有名なグラフィティアーティストNasimoは、ドブリ長老に捧げる巨大な壁画を作成し、この壁画は、ソフィアの高層ビルで今でも見ることができます。彼の死は、国全体で追悼されました。また、彼の親切心を受けた人々に彼が残したものは消えることなく、今も彼が一緒にいてくれると考える人も多くいます。

Iztueta Goizueta, G. (2013). “Hogar es una palabra mágica”: Hugo Scholz.