「セネカのプロザック」:もう苦しみたくない人へ

· 2017年10月16日

「Seneca’s Prozac(セネカのプロザック)」は、私達が現在ほど物資的に豊かでありながら精神的に貧しかったことはないということを気付かせてくれる哲学的・心理学的観点を用いた「書籍の形をした薬」です。

このことを裏付ける証拠を、増え続けるプロザックやアルプラゾラムなど多くの人が生活の中で切っても切り離せなくなっている薬の消費の中に見てとることができます。

未だ多くの人がこうした薬を手にすることができないと悩んでいます。しかし、彼らは薬がしてくれることは、苦しみを無くすのではなく、単に症状を鎮静化するだけだということに気づいていません。しかし、薬が解決策ではないと信じている人もいます。

クレイ・ニューマンの本はこうした人々に語りかけられた本です。この本はティベリウスやカリグラ、ネロなどの政権下に活躍したローマ帝国時代の議員であるセネカの実例的な格言に触発されたものです。ページをめくると、ストア学派哲学者の信条や幸せになるために学ぶべき知恵を目にすることができます。

苦しみの根源は通常、自分の人生の見方が唯一の見方であると信じ、他の見方をする人は間違っていると思い込むことから来ています。事実、私達はこの人達こそが理にかなった人たちだと信じ、周りを自分と全く同じように考える人でかためがちです。

自分の考えが他人や環境によって脅かされた時、私達は苦しみを生む心理的不快感に突入します。

「人生の目的は幸せになることを、自分らしくあることに平穏を見つけることを学ぶことにある。このことから、人生を全くそのままに愛さなければならないのである。」

―クレイ・ニューマン

 

なぜ自分の考え方に疑問を持たないのか

セネカが信じたように、無知は不幸を呼ぶばい菌であり、他の葛藤が育つ根源です。苦しみたいと願う人間はこの世に誰一人としていません。人々は自然と幸せになりたいと願うものです。しかしながら、私達は一般にそれをどうやって手にするのか全く分からないでいます。

最も一般的な嘘は私達が自分に言い聞かせる嘘です。自分の考えを疑い、人間的に変化を遂げるプロセスを開始する代わりに、私達のほとんどは被害者意識に根を下ろしてしまいます。憤慨、無力、または諦めに縛り付けられてしまうのです。

逆走することは止めましょう。自己欺瞞は正直さの欠如です。正直でいることは初めは大変な痛みを伴うものかもしれません。しかし、大変開放的なものでもあります。結局は、正直さが自分という人間についてや自分がどのように内面の世界と関わっているかという真実に直面させてくれるものなのです。

野原に寝そべる顔を隠した男性

「何が欲しいかということは人生において大切なことではない。悲劇は、自分が手にしている以上にいつも欲しがってしまうことにある。」

―クレイ・ニューマン

幸せを妨げている唯一の物は自分自身

セネカと彼のストア哲学は、自由と平穏は物質による安楽と外的な富を放棄することで手にすることができ、己の人生を理性と美徳の法則に捧げることを主張しています。東洋哲学はこの人生哲学を共有しており、今では近代的な心理治療でも用いられています。

所信は自分の精神的反応とつながっています。その結果として、所信が私達を苦しめたり、自身との葛藤を呼んだりするのです。最終的には、私達自身が自らの害の原因です。抑圧された痛みは私達を敏感にし、好戦的にします。自分を被害者と見ることを選ぶことは、苦しみの原因を理解することを妨げてしまうでしょう。結局のところ、苦しみは与えられる刺激ではなく、私達がどうそれに対処するかなのです。

現実に、他人を妨害できるのは私達自身の存在です。私達自身が自分の苦しみの原因であり、またそうあり続けるのです。他人は私達に対して身体的に害を及ぼすことができるでしょう。しかし、精神面で言えば、自分自身のみが自分を傷つける力を持っているのです。

心の中で自由を感じているにも関わらず、この錯覚による戦争がいくつもの感情を自らの中に沸き上がらせます。罪悪感や憤怒、憎悪、処罰の感情や復讐願望までもがそうした感情に含まれます。

オオカミの仮面をつけた女性の後ろ姿

こうした感情は行き過ぎた過剰解釈の結果です。それらは主観的であり、過去にあった事実と感情の歪曲が含まれています。しかしながら、過去の出来事は現在の人間関係の条件となります。これが未来へ進むことを阻み、許せていないことを顕著にしてしまうのです。

許しは、生産的で建設的で調和的な方法での対処の仕方を知らなかったことで自ら引き起こしてしまった痛みから、自分を解放することで育まれるのです。

「人類のためにできる最善の事は、幸せになり、自分らしくあることに平穏でいることを学ぶことだ。」

―セネカ