幸せになるために決断を下す

2018年2月22日 in 心理学 0 シェア済み
まっすぐな道を歩く

私達は、意識的にも無意識的にも絶えず決断を下しています。その時に見たい映画のようなよりありふれた出来事から、信条や仕事、教育、パートナーなどのより現実的な問題まで私達がする選択によって進む道が方向付けられていきます。しかし、こうした私達が下す決断はどの程度まで自分に自覚があるのでしょうか?

私達はあまりに多くの決断を下すあまり、しまいには、決断が既に自動的になってしまっており、そのほとんどを自覚しなくなっています。これは脳がエネルギーを節約しようとしているからであり、日々の些細な決断を下す時、その節約が直観的に素早い形で作動します。

決断を下す時に頭脳がどのようにはたらくかというこの理論の分析において、心理学者のダニエル・カーネマン人の理性的で直観的な行動を調査することで2002年に経済分野でノーベル賞を受賞するに至りました。

カーネマンは、脳には決断を下すのに2通りの方法があることを示しました。早い方法は直観的で感情的(私達が通常使うもの)で、もう一つはもっとゆっくりな方法で、努力を必要とし理性的なものです。どちらにせよ、私達は自分の決断の責任を担っており、それは無視できないことです。

自分の決断がどのように自分を条件づけているのか

自動的にこなしてしまっている決断は自らの経験や自分が受けた教育、持っている信条や犯した間違いに密接に関係しています。また、私達は多数の要因に影響を受けており、自分の行動を決定づけています。

この瞬間に、自分にとって最善の選択を自由にしていると思いますか?私達がする選択のほとんどは自分の経験と得た知識に基づいています。とっさに直観的に流されてしまっている時、その時点では自分にとって最善のことを、実は考慮していないのです。

現時点で、私達は下してきた決断の産物です。ある行動を選んだり選ばなかったりすることで、私達はこの瞬間、今ここで、自分という人間を決める一連の経験や癖を身に付けてきているのです。私達はこれに伴う責任を否定することはできません。

窓ガラスの向こうの女性

あなたが決めること全てには結果が付きまとう

責任とは、私達のあらゆる決断には結果が付いてくる、ということを自覚することです。結果に対して無関心を貫くことは無益なことです。なぜなら、いずれにせよ、その結果は私達に影響を及ぼすからです。私達は自分の経験の主役になるか、ただの観客になるかを選んでいるのです。

自分の決断を示唆するものや決断が招く結果を自覚することは、どのように自分の存在の手綱を取るかということです。例え決断を避けることを選択しても、そういう決断を下してしまっているのです。何も行動せず、経験することをやめ、無関心を装い、状況になされるままにしていたりします。

自分が送っている生活について文句を言い、自分の不幸について文句を言い、身の上にふりかかる不運について文句を言ったりします。被害者意識を使って理解できないことを解決しようとしたり、欲しい物を得ようとしたりするために他人を操作したりしています。私達は自分の生活を自らの手で作り出した監獄にしてしまっているのです。

私達は別の生活を送る決断をすることができるのです。恐怖や不安、不確かさや罪悪感に侵されながらも、各状況でどのように振る舞うかを選び、結果に対して責任を持つことで、ルールを設けた別の生活です。自分の弱点全てと闘うことができたなら、私達は悔やむことなく、自分の欲しい生活を確かに手に入れることができるでしょう。

窓辺に座る女性

幸せになることを選ぶ

もし私達が本当に欲しい物が幸せになることなのであれば、幸せが独りでに訪れることを立ち尽くして待っていたりできません。幸せは、生活の中で起こってくる避けられない状況に対して私達が取る態度によって獲得するものです。これは努力です。自分の根深い恐怖の糧になってしまう癖を断ち切る決断を下さなければいけないからです。

私は幸せになることを選びます。自分の恐怖に向き合います。できる範囲で自分の間違いを認め、受け入れ、正します。自分の不安定さを理解し、自分の要求を理解し、自分の苦痛を理解し、自分の不快感を理解します。そうしたことが全て自分の一部であることを拒否したりしません。孤独の中で自分自身と付き合い続け、自分の悲しみを解放します。私は状況の被疑者になることを避ける決断を下します。こうして私は幸せが宿る平和を獲得するのです。

あなたへおすすめ