真のレジリエンス物語:アンネ・フランク

21 7月, 2020
アンネ・フランクは日記を書くことで過酷な状況の中で内省や肯定に役立てました。アンネの日記は70カ国で翻訳され、3500万部が世に出回っています。ネルソン・マンデラは、獄中で彼女の日記に勇気づけられたと言います。

アンネ・フランクは、ジャーナリストになり、有名な小説家になることをずっと夢見ていました。そして将来のプロジェクトとして、日記を書き始めました。戦争が終わって日常が戻ってきた時、この日記を出版できるだろうと考えていたのです。しかし残念なことに、思い描いた通りにはいきませんでした。アンネの夢は叶ったのですが、それを体感することはできなかったのです。

『アンネの日記』は、歴史を通して見ても心動かされる証言のひとつです。この作品が特別なのは、戦争の恐怖が純粋に率直に語られているためです。今では世界で最も広く読まれてる本のひとつになっています。また、ユネスコの「世界の記憶」にも登録されています。

アンネ・フランクは家族と共に、ナチスの憎悪から逃れるために、アパートの小さな屋根裏部屋に隠れて暮らしました。この生活は2年以上続き、この間アンネは日記を書き続けました。恐怖という現実にさらされながらも成長していく少女の生活がチャーミングにつづられています。

「恐がることなく空を眺めることができるのであれば、自分の内側はピュアで、また、幸せがもう一度訪れるだろうということが分かる」

-アンネ・フランク-

アンネ・フランク

アンネ・フランクの短い人生

アンネ・フランクは1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで誕生しました。父親の名はオットー・フランクで、第一次世界大戦中はドイツ軍に仕えました。彼は中尉に昇進し、また勇敢の印である一級鉄十字章を受賞しています。その後、銀行員になり、1925年エーディト・ホーレンダーと結婚しました。

1926年にはマルゴット、その3年後にはアンネが誕生しています。由緒ある中流階級のユダヤ家系でした。

1933年、ドイツでヒトラーが力を持つと、ユダヤ人への迫害が始まりました。そしてフランク一家は、オランダのアムステルダムへと引っ越します。

新しい家で、オットーは、ペクチンやスパイスを売る店を開きました。すべてが順調だった日々は、1942年ナチスがオランダに侵略したことで終わりを告げます。ナチスの邪悪な風習により、ユダヤ人は捕虜となっていきました。オランダ人は、ヨーロッパで唯一公然と迫害に反対していましたが、抗議の効果はほとんどありませんでした。

迫害からの逃避

ユダヤ人の状況はますます悪化していきました。オットー・フランクは、一家が非常に危険であり、捕まるのも時間の問題だと感じるようになります。そこで、同僚の助けを借り、自分の店の入っている建物に隠れ場所を用意しました

中庭をはさんだ所に、別の建物がありました。3階建ての建物で、3階には屋根裏へと続く隠し扉があります。入り口は棚で隠されており、階段へと繋がっています。そして、そこには小さな2つの部屋とトイレがついていました。

オット―は、妻と長女には計画を明かしていましたが、アンネには隠れることになる時まで知らされていませんでした。アンネが計画を知ったのは、1942年7月9日のことです。3日前、長女マルゴットはドイツ当局へ出頭を命じる通知を受けていたのです。これは、マルゴットが逮捕され追放されてしまうことを意味していました。

このような状況におかれ、オットーは一家で隠れることを決意しました。スーツケースをもっていくことは非常に危険なため、できる限りの服を身につけ、夜に引っ越さなければなりませんでした。家は散らかしたままにし、スイスへ逃げるというメモを残して行きました。

アンネ・フランク

隠れ家生活

その後2年間、フランク一家は隠れて暮らし、そこにもう一家族と歯科医が加わりました。隠れ家に住んだのは計8名です。アンネ・フランクは、それぞれをその才能をもって深く描写し、作品の登場人物へと仕立てていきます

日記では全員について語られ、また彼らが生活する厳しい状況の中で直面する緊張についても描かれています。避難生活が2年間続いたのは、食料を供給し、状況を支えてくれたオランダ人の友達のおかげです。この場所でアンネは人生や世界について考え、自分がどのように恋に落ちたかを記したのでした

1944年8月4日、一家と同居人はドイツゲシュタポ当局による日常調査で見つかってしまいます。彼らは強制収容所に送られ、フランク一家はアウシュビッツで離ればなれになりました。

最後、アンネは姉と2人になり、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送還され、悲しいことに2人共チフスで亡くなりました

生き残ったのはアンネの父オットーです。家族の手がかりを求め、隠れ家に戻った時、赤十字から全員亡くなったと知らされました。そして、それまでまったく知らなかったアンネの日記を受け取ることになったのです。

受け取った瞬間から、彼はこの日記が歴史的に素晴らしい文書であることを確信します。そして2年後、日記は出版され、15歳で亡くなった娘の夢が叶えられたのでした。

Frank, A., Rops, D., & Lozano, J. B. (1962). Diario de Ana Frank. Editorial Hemisferio.