私はより不完全で人間的になっていく

2018年1月5日 in 心理学 0 シェア済み
マフラーを撒いた女性

日に日に、私はより人間的になり、より不完全になっていく。それでいて、私は前よりも幸せです。私は、この世で最も重要な薬を飲んで、最高の状態になっているようなものです。きっと私の年齢のせいもあるでしょう。でも私はついに、私達は生き生かされる運命にある、ということを理解することができたのです。だって、他事に自分を見失ったり、自分らしくあることを止めてしまうことは意味のないことですから。私に私らしくあってほしいと思わない人は、単に私のことを愛していないのです。

己を知る事より他に勝る知識はない、とよく言います。これは確かにそうですが、己を知っている人が自身と強い協定を結び、自分で決めた行き先へと自らを導くことはもっと賢明なことです。なぜなら、行動なき知識は理にかなっていないからです。それは単なる幻想にすぎません。なぜなら、自らの悲しみを知っている人は、その悲しみを解き放つ勇気を見つけるべきだからです。

私は内面でも外面でも目を覚ました状態にいます。私は自分にとっての薬であり、お守りであり、囚われた愛などもう望まない反抗的な心です。私はもっと人間的で、もっと不完全。そして、幸せ。日に日に自分を愛せるほど、そして私の夢は大きすぎると言う視野の狭い人達から自分を解放できるほど、私は勇敢なのです。

興味深いのは、個人の成長について語るとき、人は二度生まれると言う人が多く存在することです。最初の誕生は私達が世界に現れる時で、二回目は感情的な痛み、喪失、そして初めて自分の土台が崩壊したことを知った時です。

時に、苦しみは再誕の先駆けとなります。苦しむ時、私達は己の治療者になるべきです。自分の巧みな指を使って包帯を巻き、見えない傷を焼灼する魔術師になるべきです。そして、私達はこのことから得られる知識を決して忘れたりしないでしょう。なぜなら、それは私達を「今日の自分」という美しい存在に変えてくれたからなのです。

心臓の映ったセーター

より不完全に、でもより賢く

女性は常に社会的規範に晒され、優秀さを求められています。良き娘、良き妻、そして完璧な母でいなければいけません。そして、もちろん、完璧な容姿を保たなければいけず、皺や、妊娠線、セルライト、余分な体重なんてものはもってのほかです。自分は不完全であり、こうした概念に堂々とかつ反抗的に立ち上がることを知った時に初めて、真の幸せを見つけることができるのです。

女性によく売り出されている興味深い事実に、「何があっても、私達は常に自分に対して悪い印象を抱いている」というものがあります。簡単なテストをして、「自尊心と女性」で検索してみて下さい。そうすると、すぐにこの件に関するアドバイスを提供する何千という資料を見つけることでしょう。

私達は即座に「脆くか弱いもの」として定義され、次に「好戦的」だと定義され、それから「ウェンディ症候群の影響を受けている」と定義されます。そして、その後にはすぐ、日々の苦労と家族の柱としての例と定義されるのです。社会は私達を定義して弄ぶことが好きです。現実には、私達は自分がどういう人間であるか、何を欲しているか、そしてそれをどのように手に入れたらよいかをよく知っているはずです  

しかし、私達の社会的環境はこうした抱負に対して障壁を設けているのです。

女性の顔に現れる言葉

幸せへの困難な闘い

米国大学女性協会によって行われた興味深い調査によると、多くの女子は青年期に入る頃に自尊心の低下を経験することが分かっています。その瞬間までは、青年期前の女子たちは特別な生き物であり、世界について面白くて大きなアイデアを抱き、良い自己概念を持っているのです。

しかし、この調査では、15歳か16歳あたりになると、多くの女子は自分の置かれている社会的状況に馴染めるように他人を喜ばせることを好むことを示しています。しかし、喜ばせるためには、彼女たちは型にはまり、ある一定の美的様式や行動様式に従わなければいけません。そして、彼女たちの自尊心はこの時期、明らかに擦り切れていくのです。

最も興味深いのは、男子の多くもこうした自己の探索や模索、そして自己概念に対する疑問を抱く時期を通過するということです。しかし、心理学者のジーン・トゥウェンジは、女性は往々にして「不変に低い自尊心」を持っていると勘違いされているが、それは実証できるものではなく、全くの誤りであると論文の中で説明しています。

靴を片手に持って歩く女性

女性と彼女たちの個人としての強さ

人類学者であり生物学者でもあるヘレン・フィッシャーは著書「女の直感が男社会を覆す―恋愛、家族はどう変わるか」の中で、「女性は生まれない、作られるのである」と説明しています。自分はより不完全な存在であると知覚し、そうあってもよいという権利を肯定する時、結果として彼女たちの強みが多く表れてきます。

青年期の間は、他人の欲求に流されてしまうといったことがあり得るでしょう。しかし結局、若い頃には、多くの選択肢を持っていないものです。自分の前を初めに通り過ぎたものを掴んでしまうだけです。少しずつ、私達は自分自身をフィルター越しに見て、自身に要求をするようになっていきます。このように、自己が強化され、自分が何を欲し、自分の手元には何が残っているのかを完全によく知ることができるようになるのです。

今日の女性はウェンディのようにピーター・パンを世話しているのではありません。今日の女性は、おとぎ話や大人になりたくない未熟な男性を信じていません。彼女たちは自分を愛し、自分の直感と本能を信じ、自分の夢を叶えたっていいんだ、ということを信じているのです。

女性は男性よりも不安や鬱に苦しむ可能性が高いということが真実である傍ら、彼女たちはこうした状況に対応する個人的資源や心理的資源は男性より優れたものを持っており、そうしたものからより強くなっていきます。彼女たちが得た物があるとすれば、それはレジリエンス(精神的回復力)なのです。

事実、多くの人は知らないかもしれませんが、女性は、先祖代々の知恵を持つ真の女性賢者のように、自分で内面を覗き見ることを学んでいます。彼女たちは、サイクル、再誕、失う事や克服すること、手放すことや受け取る方法を学ぶことを理解しているのです。彼女たちは脆くか弱い存在なんかでは全くありません。全ての女性は、太陽の光を浴びた光り輝く葉によって、そして最もひどい嵐も耐え抜いて育った根によってできているのです。

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