私は飾らない人間、偽の装いは好きじゃない

· 2018年4月15日

私は飾らない人間で、自分の主義を貫きます。自分を他人よりすごい人間のように見せたり、ただ他人に譲歩するためだけに自分らしくないものを盛大にやらかしたりしようとしません。私はあなたが見ている全てであり、誠実という名の一つの言語しか理解しません。

心、精神、意志の真正さはあまり実践されていません。その理由は単純です。人は時に、承認を得たり、日々の社交関係に交じるために特定の装いをする必要があるのです。

飾らない人は、独りになる恐怖、不安定さ、偏見、他人を喜ばせる必要性など、幸せを蝕んでいく多くのことを徐々に除去していくという長い道のりを歩んできました。

人生とは、自分は本当はどういう人間なのかを継続的に思い起こさなければいけない実に長い道のりです。自分自身、誠実さ、そして自他の尊重を愛することといった基本的な柱が、自分という人間を形どるべき性質です。

しかし、明らかにそうした誠実な態度を保つことは必ずしも簡単なことではありません。時に、人生の道のりを歩き、自分が本当はどういう人間であるかということを見せることは、他人との衝突や、いずれにせよ矛盾する感情と衝突する摩擦を幾度と招きます。

何よりも、真正さには尊重の念があります。それは「私は私、でも、あなたという人間を尊重します」ということです。私達は、皆に自分の場所があり、自分を一番傷つけるものの一つは偽りの装いである世界に暮らしているのです。

飾らない人は物事の本質を求めている

黒いシルエットに浮かぶカラス

物事の本質を求めることとは、人生において何よりも真正さに価値を置くことを意味します。心から生き、本当に重要なことを見きわめることを知ることで、真正さに価値を置くのです。

飾らない人は、自分に正直に、かつ同時に自身の運命を定めながら、日常生活の本質を求めます。なぜなら、彼らは過去の偽りや負の鎖を全て断ってきた自由な存在だからです。

また、近年、「飾らない人」という語が大変人気になってきています。あまりに人気なために、こうした語をまるで皆が本来「本物で飾らない」人間ではないかのように懐疑的に見てしまう人が少なからずいます。

こうした理由から、またその語をもう少しうまく定義できるように、以下のような些細なことを考慮する時間を取ることは意味があることです。

  • 2015年の初めに「サイコロジー・トゥデイ」という雑誌に掲載されていた記事の中で、飾らない真正な人は、とりわけ偽りを使わず、また同時に偽りというものに不快感を抱く性格の人であると説明されました。
  • 更に、興味深い点は、彼らは内面から日々を生きる人であると見なされることです。彼らは、自身の思考や態度に関心を向け、それらを分析、熟考し、またそれらに価値を置きます。そして、同じことを身の周りにある事一つ一つにするのです。
  • 彼らは自立した人であり、自分の内面から寄せられる期待にしか応えません。何かをするのに、他人からの承認を求めたりすることは決してありません。そして、決して自身の幸せを「他人のポケットに囚われた」状態にさせたりもしません。
  • 飾らない、または真正な人は自身の失敗や間違いから学び、それらに対して責任を持ち、受け入れ、自分の道をまた定め直します。彼らは努力と人としての勝利の価値を理解しています。
  • 彼らの自尊心は強く、確かなものです。しかし、彼らが今いる場所に辿りつくことは簡単ではありませんでした。往々にして、混乱という長い道のりや、本質の価値、真実の価値、自由の価値、謙虚さの価値、自己愛の価値、幸せの価値をようやく見つけることになる教訓がその道のりにはあるのです。
夜の窓辺の女性

偽りの装い:仮面の裏にある性格

冒頭で指摘したように、私達はみな、ある時点で、自分ではない誰かのフリをしたことがありますテーンエイジャーは自分の社交グループに溶け込んでいると感じるためにそうしますし、大人も時に誰かを不快にしないために、その時に見せ掛けの調和を保つために、そうする義務があるように感じたりします。飾らない人が我慢できないものがあるとすれば、自分の嘘臭さについて愚痴をこぼしている偽の装いをした人です。

人間であることがいかに複雑であるかというのには驚かされるものです。ある人は自分の性格を他人が期待する自分に合うように型にはめ、ある人は本当は自分の友人や家族を拒絶していながらも彼らに真心の愛情を偽って接しています。どうして私達はそんなことをするのでしょうか?

時に、偽りの装いやしばしば被る義務がある仮面といったものは、単純に「社交」の一部だったりします。しかし、長期間にわかってこうしたことをし続けていると、もはや自分自身が誰かを認識できなくなるリスクを冒すことになります。

飾らない人はそうした時期をくぐり抜けてきたかもしれません。しかし、最終的には、彼らはもうそんなことはしないと決め、自身の本質や自身の行動規範にはそぐわないと決めるのです。

自分の人生の教訓の一部は、誠実さと共に自分のイメージを形成し続けることであり、そのイメージを「これが私だ」と、自身と自分の外面に向かって強固にすることであるということを忘れてはいけません。

他人が考えるあなた、他人があなたに期待するものを視野に入れてみましょう。それは単なる空気であり、雑音であり、空の器です。重要なことは、あなたの偽りない本質であり、あなたの誠実さです。飾らない人でありましょう。自由でありましょう。

男性の横顔と小鳥

映像提供:トゥグバ・サイン、パスカル・カンピオン