前向性健忘症:新しい情報を覚えられない記憶障害

2019年4月7日

電話番号をパッと思い出す、道で知り合いに会って相手の名前を思い出す、去年の夏にどこへ旅行したか思い出す…これらの機能は全て、基本的ながらとても重要な心理過程である記憶の要素です

過去の出来事を思い出せないときや、新たな情報を覚えることができないとき、あなたの記憶はダメージを受けているかもしれません。前向性健忘を患っている可能性さえもあります。

記憶がうまくはたらいていればそれだけ時間が節約されるため、その役割は重要であるとされています。「記憶力の良い」人は、以前に解決したことのある問題をより素早く解決することができます。解決に必要なプロセスをすでに経験したことがあるからです。

水泳や、素早いタイピング、自転車の運転などの能力についても同じことが言えます。一度やり方を覚えたら、長期間それを行わなかったとしても忘れることはありません。しばらく練習しないと少し腕が落ちるかもしれませんが、すぐに以前のレベルに戻すことができるのです。

この視点から考えると、人間の記憶は幅広い機能を担っていることが分かります。しかし、記憶が常に望ましい水準で働いてくれるとは限りません。鍵をどこに置いたか忘れてしまう、などの記憶の失敗は、さほど深刻でないようにも思えます。しかし、たった今話していた相手が誰だか思い出せないなど、中には深刻な場合もあるのです。

頭の上の波と船

記憶には何ができる?

私たちは記憶によって、情報や過去の出来事を学習し、整理し、強化することができます。もう一つの心理過程である注意力と密接に関わるものです。記憶のプロセスには、記銘、保持、想起という3つの段階があります。

記憶は、情報を符号化し、脳に保持し、必要なときに思い出す、という3つのパートから成る心理過程として考えることができます。最も重要なのは、学習した情報を目の前にない記憶から引っ張り出してくることです。情報を素早く正確に思い出せるときもあれば、それが難しいときもあります。

認知心理学、認知神経科学の分野における記憶の研究では、脳は複数の記憶システムをもっていることが明らかにされています。そのそれぞれには、独自の特徴、機能、プロセスがあります。

記憶は、情報を符号化し、脳に保持し、必要なときに思い出す、という3つのパートから成る心理過程として定義できます。

記憶を思い出せない、新しいことを覚えられない障害

健忘症は、記憶に深刻な問題がみられるときに診断されます。例えば、新しい情報の保持や、過去に銘記された情報の想起の障害です。

器質性健忘は、病気やケガ、さらには薬物乱用などによる脳の損傷によって引き起こされます一方、解離性健忘は、抑制や防御機構などの心理的な要因によるものです

また、一過性全健忘のような、自然発生的な健忘症があります。これは明らかな理由なく突然記憶が失われる健忘です。高齢の男性に起こりやすく、持続時間は20時間以内である傾向があります。

健忘は、患者が思い出せない、あるいは形成できない記憶の種類によっても分類することができます。前向性健忘は新しい記憶を形成できない障害です。逆行性健忘は、以前は思い出せた記憶が思い出せなくなる障害です。

前向性健忘症の人は、自分の若い頃に起こった物事を思い出すことはできます。しかし、健忘を引き起こした損傷以降の物事は、覚えたり、思い出したりすることができないのです。

コルサコフ症候群

器質性の健忘の中でも最も一般的なのがコルサコフ症候群です。通常、アルコール依存症による脳のチアミン(ビタミンB1)欠乏によって引き起こされます。この症候群を発見したセルゲイ・コルサコフにちなんで命名されました。

コルサコフ症候群の特徴は、精神錯乱や時空感覚の喪失です慢性的である場合には、錯乱状態が長期化します。

しばしば、コルサコフ症候群の発症は、急性のウェルニッケ脳症に続いて引き起こされます。両者が同時に起こる場合、ウェルニッケ・コルサコフ症候群と呼ばれます。

ウェルニッケ・コルサコフ症候群の主な症状は以下の通りです。

  • 運動失調(動きの協調性の欠如)
  • 眼筋麻痺
  • 多発神経炎(体の左右対称的に同じ部分に見られる痛みや虚弱)

ウェルニッケ・コルサコフ症候群には以下のような症状も見られます。

  • 時間、場所、人の失見当識
  • 家族を認識できない
  • 無感動
  • 注意欠如
  • 筋の通った会話ができない
頭の形の木

逆行性健忘:過去を忘れる

転倒や事故、電気ショックなど、脳の大きな損傷によって逆行性健忘が引き起こされます。逆行性健忘は、過去の出来事を思い出せない障害と定義されます。多くの場合、健忘は解消し、患者は徐々に記憶を回復していきます。最善のケースでは、記憶は完全に回復します。

逆行性健忘は概して、損傷前の数分間の記憶を消すものです。打撃が非常に強ければ、数か月、あるいは数年間も前の記憶に影響を及ぼすこともあります。

前向性健忘:未来なしで生きる

損傷の程度によっては、その他の知能を低下させることなく、永久的で広範囲の記憶欠乏を引き起こすことがあります。こういった場合には、患者の言語や、認知、注意には問題が見られません。さらに、損傷の前に身に付けていたスキルも維持されます。

前向性健忘症の人にとって、新しい情報を保持することは非常に難しいものの、会話をすることはできます。作業記憶は通常通りはたらきますが、数分後には起こったことが思い出せなくなります。

そのため、前向性健忘の人は新たな物事を記憶できません(あるいはそれが非常に困難です)。過去の出来事すら思い出せなくなることもあります。まるで永久に現在だけに生きているような感じなのです。過去はほとんど存在せず、未来のための予定は忘れてしまうので立てることができません。

しかし、一般的な人たちよりもずっとゆっくりとではありますが、彼らにも新たなスキルを身に付けることができます。

関連する脳の部位

現代の神経科学における主たる課題の一つに、脳のどの部分が前向性健忘での役割を担っているのか解明することが挙げられます。一般的に、前向性健忘をもたらす脳の損傷は、海馬や内側側頭葉にあると言われています。

これらの脳の領域は、出来事や事実などの記憶が前頭葉に永久的に保持されるまでの、一時的な保管のための通路のような役割をしています。海馬は短期記憶の保管場所のようなものとして考えてください。

そこで情報が正しく保管されなければ、その情報が前頭葉に到達することはできません。つまり脳が長期記憶を形成できないということなのです。部分健忘の場合には、記憶が形成されたとしても、そこに事実的な詳細はほとんどありません。

海馬は前向性健忘に関連する中で最も重要な領域であるようにも思われますが、最近の研究ではその他の脳構造にも役割があることが分かっています。特に、前脳基底部の損傷もまた、記憶の形成プロセスに支障を来すようです。

この領域はアセチルコリンの生成を担っています。これは、記憶に関連するプロセスの開始や調節など、記憶機能にとって非常に重要な物資です。前脳基底部における脳損傷で最も一般的なのは動脈瘤で、これはしばしば前向性健忘と関連付けられています。

最後に、健忘とコルサコフ症候群との関係を見ると、前向性健忘の発達に関わる3つ目の領域が分かります。間脳は、コルサコフ症候群によるダメージに影響を受ける領域です。昨今、健忘と間脳の関わりが研究され始めました。

海馬

 

前向性健忘のサイン

前向性健忘の最も明らかなサインは、従来の記憶・認知テストでの不振です。15~20語から成るリストを見た数分後、前向性健忘症の人はほんの数語しか思い出すことができません。

さらに、ほとんどの患者はリストの初めと半ばの単語は忘れますが、終わりの方の単語はほとんど正常レベルで思い出すことができます。会話や映画、テレビ番組を使っても同じことが起こります。日常生活においては、物をどこに置いたのか、何をしたのか、誰に会ったのか忘れてしまうため、活動が困難になります。

したがって、会話をしたり、相手と以前の出来事について何を話したのか思い出したりすることが難しくなるため、他人と一緒に暮らすと問題が生じることがあります。現在に生きていないかのような印象を与えてしまうこともあります。

日常生活においては、物をどこに置いたのか、何をしたのか、誰に会ったのか忘れてしまうため、活動が困難になります。

前向性健忘症の人は、過去の人や出来事について、まるでそれが今起こっているかのように話すことがあります。明日何をするつもりなのか分からないため、未来の予定を立てることができません。彼らが過去の記憶や将来の希望について話すときに温かい感情や親密さが欠けているように見えるのは、これが原因なのかもしれません。

それと同時に、記憶の問題は明らかに日常生活にも大きな支障をきたします。自宅では、常に世話や監督が必要になるかもしれません。薬を飲むことを思い出せなかったり、複数の段階を踏んで行う物事を上手くできなかったりするのです。

しかし、例えば自宅から近くのお店までの短い距離を歩くなど、何かを出来るようになることは可能です。ちょうど逆行性健忘の人と同じように、彼らもたくさんの知識を保持しているようです。

何かを思い出そうとする男性

新しい物事を覚えられるか?

ガブリエリ、コーエン、コーキン(Gabrieli, Cohen and Corkin, 1983)は、患者H.M.と共にこの疑問に答えようと試みました。彼らはこの患者に、彼がすでに健忘症にかかっていたときに人々が使い始めた言葉やフレーズを定義するように頼んでみました。彼はロックンロールが何かは知っていたものの、定義は上手くいきませんでした。また、馴染みのない言葉の意味を彼に教えようともしました。訓練は長期に及びましたが、彼が出来るようになったのは、単語とその定義を結びつけることだけでした。

他の事例もあります。酸素欠乏症による深刻な前向性健忘を患う10歳の少年は、発症後に読解力を上げることができませんでした。また、様々な意味記憶テストにおいてもかなり悪い結果が出ました。しかし、彼は友人たちと同じくらい簡単にコンピュータゲームのプレイ方法を学ぶことができたのです。(Wood, Ebert and Kinsbourne 1982)

ある機能の保持はどのように説明できる?

複数記憶システムという概念を提唱する理論があります。あるテストにおける通常の機能を担っている記憶システムの中には、健忘症になっても残るものもあれば、ダメージを受けるものもあります。一般の人々に比べて、様々なテストのあいだでパフォーマンスにばらつきがあるのはそのためです。

エピソード記憶と意味記憶を区別することで、健忘症でも意味記憶は通常通りはたらくと述べる著者がいますが、これによって一定の言語機能が無傷で残るということに説明がつきます。エピソード記憶へのダメージによって、想起や認知機能の障害にも説明がつくのです。

健忘症の人は言語機能を損なっていないように見え、過去の知識に関するテストでは良い結果を残します。つまり人は、これらのテストを上手く行うための概念やルールは、人生のとても早いうちに獲得するということです。

結論

人がどのように健忘症を発達させるかはさておき、主に覚えておきたいことは、前向性健忘は脳損傷の結果として生じる選択的な記憶障害だということです。こういった人々のもつ最も大きな問題は、新たな情報の保持が非常に困難であることです。新たな物事を覚えることができず、学習にもたくさんの問題が生じます。

しかし、前向性健忘は過去の情報の記憶には影響しません。損傷が起こる前に記憶された情報は全て無事で、本人はそれを問題なく思い出すことができます。しかし、前向性健忘症の特徴はケースバイケースであることを覚えておくのも大切です。

References: Belloch, A., Sandín, B. and Ramos, F. (Eds.) (1995). Manual de Psicopatología(2 vols.). Madrid: McGraw Hill. Freedman, A.M., Kaplan, H.I. and Sadock, B.J. (Eds.) (1983). Tratado de Psiquiatría. (2 vols.). Barcelona: Salvat. (Orig.: 1980).