「先生へ」:ADHDを持つ生徒を理解する

· 2017年12月10日

注意欠陥・多動性障害(ADHD)と診断された子供達は教室の中で教師が望むのとは違った風に行動する傾向があります。このせいで、教師は必ずしも最適とは言えない対策を取ってしまったりします。ADHDの子供の立場になってみれば、そうした子供が学校でその状況をどのように見ているかが分かるかもしれません。ADHDを持つ生徒をもっと良く理解するにはどうしたらよいでしょうか?

勝手に決めつけたり、腹を立てたり、自分の観点から有効だと思える解決策を押し付けることは簡単なことです。そのせいで私達はこうした子供達への教育により多くの壁を作ってしまっているかもしれないのです。きっと彼らは注意はしているのだけれど、ただそれが従来通りの方法でなかったり、社会的に正しい形ではないというだけなのかもしれません。きっと私達の方が彼らは学びたくないと思っているだけで、実際には彼らは学ぶことを心の底から楽しんでいるのかもしれません。ADHDを持つ生徒は先生に(または親に、祖父母に、あるいは友達に)言いたいことがあります。あなたは聞く耳を持っていますか?

感情の自己規制とADHDの生徒

ADHDを持つ生徒は感情をコントロールしたり、規制したり、うまく対処したりするのが大変難しいことが多いです。そのため、周りには完全に不適切な行動のように見えてしまうことがあります。このコントロールの欠如から、ADHDを持つ子供は感情を強烈で手に負えない形で表現してしまいます。大人の目からすると、この表現方法は未熟な行動に相当しているのです。

しかしながら、この場合、未熟さが原因ではありません。少なくとも未熟という言葉の古典的な語意においてはです。私達は子供と接しているのです。彼らは若いのですから、未熟です。それとも、皆、成熟に生まれてくるとでもいうのでしょうか?ADHDを持つ生徒に対して、不適切な行動を変えるようにと罰を与えるのは無駄なことです。子供の意図しない悪い行動を問い詰めるのではなく、感情の取り扱い方について学ばなければいけません。

黒人の男の子

ADHDを持つ生徒が感情をコントロールし抑制するようにと罰を受けた時に、私達が予想できる結果があります。その生徒は防衛的になるのです。そのことに気づかなければ、私達がしていること全てはADHDの生徒を指摘し、そうだとレッテルを貼り、不安な感情を促すことになってしまいます。こうしたことはどれも全く生徒のためになりません。

私は「普通」未満じゃありません。人より価値のない人間じゃありません。人よりできない人間じゃありません。ただ人とは違うやり方をするだけなのです。

私達はこの障害を持った子供達に、低い自尊心を持ってほしいと本当に思うでしょうか?これが私達が教室で教えていることでしょうか?彼らは従来通りの方法で学ばないので私達は心配になります。しかし、おそらく彼らを変えようとするのは止めるべきではないのか、代わりに私達の教え方を変えるべきなのではないかと自分に問いかけるべきではないでしょうか。私達は子供達がわからない情報を耳にする時には彼らに座り、じっとして、静かでいるように求めます。私達は彼らに大人になって、大人のように行動してほしいと願っていますが、彼らはまだ子供だということを忘れてしまっているのです。

ADHDを持つ生徒を理解する方法

ADHDを持つ幼い子たちは動き、自由な創造性を与えられる必要があります。長い間じっと座ってとても静かにしていられる子供なんていません!ただ動き回っているからといってその子たちの集中力が途切れてしまったということではありません。それは単純に彼らなりに学べる方法なだけなのです。もし子供達が銅像のようにじっとしていたら、学ぶことはできないのです。

生徒が窓の外やどこか違うところを見ているからといって叱ったり、罰したりする必要はありません。私達だって皆何度となくそうしてきたのですから、それでもいいのです。一分するかしないかすれば、また集中します。全くもって自然なことです。生徒に休憩時間を取らせないなどの何か罰を用いたりすることはADHDを持つ子供にとってひどいことです。彼らは身体的な活動が必要なのです。子供達だって私達がそうであるように息抜きが必要なのです。休憩やリラックス、遊びの時間を与えないことで彼らが学べるようになると本当に思えるでしょうか?

笑顔の女の子

ADHDを持つ子供達はもっとサポートと助けが必要です。もし私達がそれらを与えなければ、彼らは私達の言う通りにできません。なぜなら、彼らはどうすればいいのか分からないからです。忍耐と平静な心の2つが彼らが必要としていることを説明し、彼らが持っている疑念を取り払うことができる重要な性質です。ただ、問題は私達が説明したことの情報量が多いということかもしれかもしれませんが。

これは重要なポイントです。多くの子供達は理解できない情報をたくさん受け取ってしまって途切れてしまうのです。また逆の状況になることもあります。子供達が十分な情報を得られないことで退屈してしまうのです。これら両極端の間のバランスを見つけることが教えることの極意と大きく関係します。ADHDを持つ子供においては、彼らにとって大量の情報を一度に扱うことは特に難しいこと、その情報を非動的な形で受け取るとなると特にそうであることを私達は念頭に入れておかなければいけません。

この障害を持つ子供達が一つだけ必要とするものがあるとすれば、それは彼らの学び方、理解の仕方に対する受容です。彼らの脳は他の皆と同じではありませんが、それは彼らに他の生徒と同じくらいの能力がないということではありません。ただ彼らにはもっと忍耐が、もっと理解が必要であり、罰はなくていいのです。

こうした障害の原因を理解しなかったり、障害と共に生きる人にとってどのような感じなのかということを理解しないと、私達は学びたいと思っている子供達に対して無知に振る舞っていくようになります。理解しないから、彼らが必要とすることを与えてあげられなくなります。私達は彼らに情報を浴びせるべきではありませんし、情報を吸収させようとする意図で退屈させるべきではありませんし、罰を与えるべきではありません。もしそのように接してしまっていたら、ただ自分の欲求不満を彼らに吐き出しているだけです。ADHDを持つ子供達は賢く、学びたいと思っています。彼らは最大限に頑張っています。彼らのために私達も最善を尽くすことが彼らが受けるべき待遇なのです。