愛国的作品を生んだジュゼッペ・ヴェルディ

2019年9月8日
ジュゼッペ・ヴェルディは、オペラの世界では最も重要な人物の一人です。大衆のための作曲家であり愛国者でした。本記事ではそんなヴェルディについてご紹介します。

ジュゼッペ・ヴェルディは大衆の作曲家でした。作曲するときには国と国民のことを頭に浮かべ、彼の音楽は人類の情熱、愛、憎しみ、妬み、恐れなどの感情を表現しています。

“イタリアを手に入れるということは宇宙を手に入れるのと同じことです”

―ジュゼッペ・ヴェルディ―

ヴェルディは音楽を通して祖国の統一のために取り組みました。真の国家主義者である彼のオペラは、今でもイタリア人にとっては誇りなのです。

 

ジュゼッペ・ヴェルディの子ども時代

ジュゼッペ・ヴェルディは1813年10月10日にパルマの庶民の家に生まれました。父親のジュゼッペは宿屋の主人で、母親のルイーザは仕立屋でした。

8歳になったとき、ヴェルディは音楽に興味を示し始めたため、父親はヴェルディのために特別なスピネット(小型のチェンバロ)を作ってあげました。天才児ヴェルディは、後に保護者となったアントニオ・バレッツィによってその才能を発掘されました。

12歳のときヴェルディはバレッツィと一緒にブッセートに移り渡ります。バレッツィはヴェルディに最高の音楽教育を提供し、このときに彼はフェルナンド・プロベシに出会うのです。

愛国的作品 ジュゼッペ・ヴェルディ

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青年として

18歳になるとヴェルディはミラノに移り、市内の音楽院で勉強をしようとします。しかし、そこで彼は年をとりすぎていると言われてしまいます。また、ヴェルディのピアノの演奏方法も変だと思われてしまいました。しかし面白いことに、今ではこの音楽院は彼にちなんで名付けられています。

その後、1836年には23歳で保護者の娘マルゲリータ・バレッツィと結婚します。2人の子どもに恵まれましたが、幼い頃に死亡しました。このとき、ヴェルディはオペラプリマの「オベルト」を作曲している最中でした。

夫婦は「オベルト」をスカラ座で上演できるよう手配し、実に14回もの上演で成功を収めました。この後、ヴェルディは劇場と契約を結び、さらに3つの作品を上演しました。

マルゲリータは、脳炎のために1840年6月18日に26歳という若さで亡くなりました。悲しみに押しつぶされそうになったヴェルディでしたが、仕事は続けなくてはいけませんでした。この頃に作曲された喜劇「1日だけの王様」(Un giorno di regno)は、1840年9月5日に初演されましたが大失敗に終わりました。悲嘆に暮れたヴェルディは辞めることさえ考えたといいます。

悲しみに打ちひしがれる

起伏の多い国となってしまったイタリアですが、このことからヴェルディは「ナブッコ」を作曲します。このオペラはスカラ座で1842年に初演され、信じられないほどの成功を収めました。人々は劇場に足を運び、ヴェルディの戯曲に共感を覚えたのです。

「ナブッコ」は、作曲家として、またイタリア統一の取り組みの象徴として、ミラノでのヴェルディの存在を確立させました。人々は彼の「行けわが思いよ」(Va, pensiero)をレジスタンス国歌としてさえ捉えたのでした。

愛国的作品 ジュゼッペ・ヴェルディ

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ヴェルディの最初の傑作と最後の作品

彼の最高傑作の一つ「リゴレット」は1851年に初演されました。「イル・トロヴァトーレ」と「椿姫」はその2年後に初演が行われています。ヴェルディは作曲家として新境地を開き、「アイーダ」(1871)などの作品を生み出しました。「アイーダ」は前作よりも調和がとれていて、短いながらよく統合されたアリアと、よりまとまりのある楽章が特徴です。

ヴェルディは最後の2つの傑作「オテロ」と「ファルスタッフ」を作曲した後、第一線から退くことになります。

ジュゼッペ・ヴェルディの死と遺産

晩年、ヴェルディは田舎で静かな生活を送りました。ミラノに旅行中、ヴェルディは脳卒中に倒れ、1901年1月27日に亡くなりました。彼の死はイタリアと音楽界に衝撃を与えました

ヴェルディは亡くなる前に、引退しホームレスとなった音楽家のためにCasa di Riposo per Musicistiという施設を設立しました。財産をすべてこの施設に託し、彼の望み通り1897年に亡くなった2番目の妻ジュゼッピーナの隣に埋葬されました。現在、この施設は高齢となった音楽家のケアを提供しています。

愛国的作品 ジュゼッペ・ヴェルディ

ヴェルディのように政治哲学を音楽で表現できる音楽家や作曲家はほとんどいません。大衆は彼の作品を愛し、それが彼の成功の要でした。

ヴェルディは音楽を通して人々を結びつけることができた優れた人です。彼のオペラの多くは自殺、レイプ、自由な愛などについて語ったため、多くの人から批判を受けたのも事実です。しかし、ヴェルディは多くの困難を乗り越え、自分の思うがままに音楽を作り続けたのです。

  • Mila, M., de Aranda, C. G. P., & Tamargo, C. S. (1992). El arte de Verdi. Alianza.
  • Southwell-Sander, P. (2001). Giuseppe Verdi. Ediciones Robinbook.