愛する人への間違った期待

2017年11月11日 in 感情 0 シェア済み
望遠鏡をのぞく操り人形

誰かを愛することは決して過ちなんかではありません。なぜなら、愛するという行為は高貴で、純粋で、偽りのない、本能的なものだからです。しかしながら、愛したことを後悔していなかったとしても、愛するに値すべきでない人、つまり、あなたの期待にそぐわなかった人を愛してしまうと傷つきます。

間違った人を愛してしまうことは、無傷のままではめったに生き残ることのできない深刻な状況です。しかし、持てるだけの強さをかき集めて、自尊心の火をもう一度燃えたぎらせるために、火種を再度灯さなければいけません。もしどうしても自分のスペースを確保し立ち直りたいと思うのならば、愛のために苦しむことを止め、壊れた愛を引き延ばそうとすることを止めなければいけません。

今日存在するあらゆるソーシャルメディアやオンライン出会い系サイトは興味深い現象を引き起こしています。多くの人がいつも間違った人と恋に落ちているように感じているのです。しかし、それでも人々は愛を信じ続け、そして何よりも、ふさわしい時にふさわしい人と恋に落ちたくて仕方がないと思っています。欲され、尊重され、愛されたいと切に願っているのです。

出会い系サイトでのプロフィール表示には面白いオプションがあります。それは、興味や特徴をふるいにかける機能です。こうした機能は完璧な法則を見つけることができるように欲しい物や欲しくない物に対して一定のコントロールを提供します。しかし、感情による人間関係の専門家は愛はアルゴリズムではないことを指摘しています。

しばしば愛について間違いを犯してしまうことはほぼ人生には付き物だと言えます。しかし、時によっては、混乱が起こり、欲しくてたまらなかったものを予期せぬ形で手に入れることがあります。それは成熟した、意識的で、幸せな人間関係です。ですから、心配しないで下さい。希望を失う理由など決してないのです。

タンポポの綿毛を吹く女性

間違った期待

冒頭でも言いましたが、愛することは決して過ちではありません。人は息をし、学び、愛し、泣き、笑い、前へ進みます。人生の歯車は回り続け、私達はその歯車が生み出す激しくて美しい動きの一部へといざなわれるのです。自分の本質から逃げなければいけない理由などありません。しかし、愛する人が自分を愛してくれない時、それは問題になります。

よく「人は変わらない。ただあなたが思っているような人では全くなかったというだけのことだ」というような事を言います。もちろん、私達は皆経験に基づいてある程度変わりはしますが、根っこの部分は常に変わらずにあります。しばしば私達はその根っこの部分を見ず、現実とそぐわない間違った期待を生み出すように自分を制限してしまうのです。

ということは、愛すべきでない人を愛してしまうのはいつも自分のせいということなのでしょうか?何もないところに突然お城を建ててしまうような非現実なことを想像するほど自分が単純だということなのでしょうか?いいえ、全くそうではありません。「The 7-Minute Marriage Solution(7分で解決できる結婚生活)」という興味深い本では、夫婦関係において間違った期待がどのようにして生み出され、強化されるのかが説明されています。

鳥に引っ張られて雲の上をいく女性

一方では、自分の妄想を幸せを見つけようとする必死の努力の中に永続させ、ついには相手の欠点までもを美徳に変えてしまうような人がいます。そして、そうした間違った期待に自らを陥れてしまう人がいます。

彼らは大変特殊な理由でこうしたことをします。一つは孤独を避けるため、つまり、相手は誰でもよいということです。そして二つ目には、相手に持続する何かという希望を与えることで使い捨ての関係を確保するためです。

間違った人を愛し続けることは過ちである

愛すべきでなかった人を愛してしまったことについて辛く当たる必要はありません。その人を愛し、手放すべき時を知ることができた自分を誇りに思うべきです。なぜなら、愛は高貴なものなのですから。その恋の章を終わらせるべき時を知ることができた時、あなたは前よりも賢くなっているのです。あなたに涙や嘘や恐喝しかもたらさなかった人と知り合ってしまったことで自分を罰する必要などないのです。

「あなたが私を愛してくれた可能性はあるが、これはあなたしか知り得ないことだ。しかし、本当のところはあなたには私を傷つける特殊な能力があったということなのだ。」

―マリオ・ベネデッティ

人生の全ては学ぶことにありますが、その教訓を教えてくれる教師によっては有毒な愛を作り上げることに長けていたりします。そうした人達を乗り越え制圧できたなら、より落ち着き払って、威厳を持って、平静を保って歩くことができるようになるでしょう。感情のこととなると、一生学び続けなければいけません。傷ついた魂への最善の治療はこうした人生の教訓を取り入れていくことです。それは、他の全てにおいても言えることですが、「何よりもまず自分自身を愛する」という原理に従うことです。感情的な搾取や無関心の虜になってしまうくらいなら、威厳を持って痛みに苦しむ方がいつだってずっといいのです。

靴下を干す女性

パブロ・ネルーダはかつてこう言いました。「私は人生に恋をしました。なぜなら、人生は、私が先に去ってしまわなければ私の元を去ることのない唯一のものだからです。」もちろん、これほど極端なことをする必要はありませんが、事によっては人生という多くを与えては奪っていく旅路にしっかりとしがみつくこと程、健全なことはないのです。

全ての過ちは何かを学ぶ土台となります。そして、あなたが出会う全ての人は途中で去ってしまったとしても何かを置いていきます。大事なことは前へ進み、愛はいつだって、必ず価値のあることだと覚えておくことです。ただあなた自身という、美しい自分という船の船長を労わることを忘れないで下さい。

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