あなたの憤りは私を罪悪感に苛ませたりしない

· 2017年11月21日

誰かから攻撃や被害を被ったことで、その人に対して消えない憤りや嫌悪の感情を経験したことは誰にでもあるでしょう。言い換えると、憤りを感じたことのない人なんていないということです。この感情が深く根差し悪質なものになると、憎悪を生むことになります。

こうした感情は、ちょっとした苛立ちから深い敵対心まで様々な結果となり得ます。それは、危害を加えた人と人間関係を持つことを難しくしたり不可能にしたりします。憤りというのは報復の軽いバージョンです。もし憤りが危害をもたらそうとするならば、それは相手に恥をかかせたりダメージを与えたりすることではなく、以前コントロールできなかった状況や人をコントロールすることで満足を得ることなのです。

憤りとは、他人に危害がもたらされるであろうことを願いながら、自ら進んで飲む毒である。

憤りが視点を変える時

憤りは人間の心が持つ最も強力なフィルターの一つです。憤りが自分の感情に影響する時、自分に危害を与えたと思う人のネガティブな側面のみに焦点を当ててしまいます。その人のポジティブな面を歪ませ、好ましくない特性を強調してしまうのです。

憤りは痛みに対して盾としてはたらき、失った感情のコントロールを元に戻します。ですから、あなたが実際には行わなかったことを「した」と言ってしまったとき、他人があなたに対して向ける憤りを理解すべきです。あなたも他人がしていないことをしたと信じていて、そうじゃなかった時に傷ついたり気分を害されたりするという具合にです。

蛾と緑の顔の女性

振り返ってみると、憤りは他人があなたにしたことに対する個人的な評価付けであり、その評価はあなたが見ている観点によって変わります。あなたがこうした感情の状態とそれに含まれる全てを拒否する時、人々や人々があなたに対して行ってくれたポジティブな出来事という現実を見ることができます。人々が行った良いことは、彼らが引き起こした危害と同じくらい本物で現実のものなのです。

葛藤なく生きるためには、憤りのフィルターを取り換える必要があります。なぜなら、これよりも危険なフィルターなど存在しないからです。覗けるフィルターを選ばなければいけないとしたら、愛情のフィルターにしましょう。そのフィルターも憤りのフィルターと同じくらいに歪んでいるかもしれませんが、その方がより生産的であなたもあなたが見ている相手もどちらも気分が良くなることは間違いありません。

誰かがあなたを罪悪感に苛ませているとしたら?

誰かに罪悪感を感じさせ、その人に自分の思い通りに行動させることは古くからある他人を操作する形です。文化的に、私達は間違いを犯した時、罰されなければいけないと教えられてきました。憤りの感情を使うより他に他人に罪悪感を感じさせる方法などあるでしょうか?

罪悪感を感じることでどうしても罰や代償で償わなければいけないと信じていると、罪悪感の感情的サイクルが感情の迷路へと変わり果ててしまいます。この感情の迷路は相手に力を与え、憤りという感情を使ってあなたに罪悪感を感じるように駆り立て、しまいには気付かないうちに相手の操作に落ちてしまうことになります。

もしあなたがしてきたことや止めてしまったことに対して罪悪感を感じているとすれば、自分の人生を正直に生きることはできないでしょう。あなたは義務に追われて生きることになり、他人があなたに求めることに則って、途中で自分の興味を諦めるようになってしまいます。

相手を責める女性

明らかに、私達はみな、特に誇らしく思うことのできない間違いを犯したりします。しかし、定期的に過去を振り返り、同じ過ちのことで自分を責めたりすることは、不必要なエネルギーの浪費であり、あなたにとって何もいいことをもたらしません。

罪悪感を感じるのを止めるには、憤りや他人があなたに対して持っている歪んだ意見によるフィルターを通して自分を非難したりすることなく、自分の人生と思考をコントロールできるようにならなければいけないのです。

歪んだ魂は罪悪感の痛みに耐えている。