あら探し、グチ、反芻思考のクセがある人

30 3月, 2020
生き方として、人のあらを探したり、グチを言ったり、反芻思考をする人がいます。なぜこのようなことをするのでしょう? この行為の裏には何があるのでしょう?心理学者マルセロ・セブリオの意見を聞いてみましょう。

人の行動を批判し文句を言うのに、自分については目をつぶることは簡単です。私たちは何についてグチを言うのでしょう? 誰に対し、何について批判するのでしょう? なぜ、人の批判を楽しめるのでしょうか? そしてこうすることには何の意味があるのでしょうか。

人を批判しグチを言うクセは、ライフスタイルの一部になっている、構造化された惰性のひとつです。このライフスタイルは次のように分けられます。

  • あら探しをする人は、非常に独特です。系統的に、人あるいは自分に足りないものを指摘します。
  • グチを言う人は、あら探しをする人の親戚のようなものです。一般的に、互いを強化しあいます。
  • そして、反芻思考をする人は何度も同じ考えを繰り返します。同じアイデアやイメージについて考え、さらに考え直すことを止められません。この思考の中には、口に出すものと頭の中で行われるものがあります。

このような行為は、突然起こることが多いものです。これに慣ている人は気づきもしません。この体系が普通になっているため、自分の考え方に意識を向けることがないのです。

実際、このような思考は、一部自己実現的予言からきています。これは、周囲や自分に対するネガティブな姿勢により生じる状態をいいます。最終的に結果となって現れる状況は、自らが課しているマインドゲームの結果なのです。

例を挙げましょう。仕事の面接を前に、上手くはずがないと繰り返し考えている人がいるとします。恥をかくことになり、自分が適格者だと面接官の目には映らないだろうと確信してます。このように考えていると、当然面接室に入る時から非常に緊張し、ストレスや不安を抱きます。このような状態で仕事を得るのは難しいでしょう。これに関し非常に悪いのは、この結果を自分がもたらしたものではないと考えてしまうことです。

さらに、あら探し、グチ、反芻思考のクセがある人が、他の障害にも悩まされている場合、状況はより悪いものです。不快感が非常に大きいため、深刻な問題へとつながります。

その障害が単純なものであるか複雑であるかは関係ありません。頭痛、パニック、摂食障害、胃腸の不快などが起こりえます。また、グチを言うことで不快感はさらに大きくなります。

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頭の中で「グチの台本」を作る

あら探し、グチ、反芻思考のクセのある人は、多くの場合頭の中に台本があります。言い換えると、不快感を起こす状況の原型があります。このネガティブなシナリオ全体が、(周囲や自分に対し)グチを言い、批判するためにあります。

この3つの態度をとる人の多くが、頭の中の台本を完成できずにいます。それは、ストーリーを展開させるための文章が思い浮かばないためです。そして問題のある状況を変えたがりません。では批判やグチを言えなくなったらどうするでしょう?自分の態度を維持するために問題を長引かせようとするのです。

さて、あら捜し、グチ、反芻思考は同じものではありません。考えるべき相違点はいくつもあります。

  • あら捜しをする人やグチを言う人は、自分の考えを露骨に口に出します。一方で、反芻思考は内的です。反芻思考が露骨になる時、それがグチや批判になります。
  • グチは非人称的です。自分を卑下して話し、自分の欠点に目を向けます。一方であら探しは、より対人的です。中には対象を自分に向ける人もいますが(自己批判)、対象になるのは他人です。いずれにしても、あら探し、グチ、反芻思考のいずれかのクセがある人は、ネガティブな面に目を向けます。

お分かりいただけたように、あら探し、グチ、反芻思考のクセがある人は、見るものやすることすべてに欠点を見つけます。どんなに小さな欠点にも目が留まります。これはまるで平静を保つことで、不快感が生まれるかのようなのです。またおかしなことに、どんな状況であっても物事や人に対しバカにしたような態度をとります。

ここで、とても重要な事実について考えてみましょう。あら探しをする人は嫉妬しやすい性格の持ち主でもあります。嫉妬は暗く、不適格な感情で、批判を通して表出します。信じられないかもしれませんが、非常に強力で、どんな成功や達成からも相手をくじかせる力を持っています。自分に欠けているものをその人が持っているというだけで、友達を敵対視するのです。

あら探し、グチ、反芻思考のクセがある人は、水がコップにまだ半分あると考えるか、コップ半分しかないと考えるかという状況に直面することがよくあります。このような人は、当然水はコップ半分しかないと考えます。ポジティブな面を見る機会があったとしても、それを見ようとはしません。批判やグチの態度に隠れ、できたことよりできなかったことを強調しようとします。

しかし、ここで大事なのは、物事のネガティブな面をみることでも、足りない物を認識することでもありません。人は、内なる自己に目を向けてこそ、より良い自分になり、間違いを正し、結果を高めることができるようになります。ここで私達が強調したいのは、グチや批判の優位性から生じているネガティブな面や変化の難しさです。

 

あら探し、グチ、反芻思考が行動を阻害する

グチは、行動を修正し、より良く変化させるための可能性を阻害します。グチを言い、批判する人は、問題が起こった時に感情に流されやすくなります。その結果、フラストレーションがたまり、真の問題解決から遠ざかってしまうのです。

このフラストレーションにさらに加わるものがあります。それは、足りない物に目を向けたいという欲望です。絶対に何かが足りないと考えます。何をするにしても、もっとうまくいったはずだと考えるのです。

さらに、グチには、「行動しない」という大きな問題があります。グチを言う人は、ただ批判するだけで何かを変えようと行動はしません。エネルギーをすべてグチや批判の対象となる自分や周囲に向けます。解決に向かう具体的な行動をしなければ、グチの味方になる大きな障害物が生まれます。こうして終わることのない悪循環を作り出します。

お分かりいただけたように、グチと批判は自尊心を害するものです。時間とともに周りの人は離れていってしまいます。できていないこと、足りないこと、ミスばかり指摘する人には誰も近寄りたくないですよね。

一方で、建設的な批判は難しいものだというのも事実です。人は批判により、足りない物、不適格な物を指摘します。そこで重要になるのが、批判の内容だけでなく、その表現の仕方です。トーン、抑揚、表情、手の動き、体の全体的な表現が大切になります。

グチを言う人には、人から拒絶を生むという目的があるかのように見えます。しかし彼らは実際批判することにより、人を下げ、自分を優位な立場に置こうとしています。これには自尊心の低さが関係しています。劣等感があるせいでこうしなければならないと感じるのです

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批判をお願いに変える

批判の多く、特に人間関係(カップルや親子関係など)には、お願いが隠れています。個人の批判の裏には、相手に頼みたいことがあるのです

例を元に分析していきましょう。「いつも忙しそうで、一緒にくれない。話を聞いてくれない!」と10代の男の子が親に向かって叫んでいます。これはグチのように聞こえます。しかし本当は、「大好きだよ。もっと一緒に時間を過ごしたい」と伝えたいのです。もう一つ例を見てみましょう。「いつも寝るのが早い、夜一緒に過ごすことがない!」と夫が妻に言います。これは、「僕と一緒にもう少し起きていてくれれば、一緒に話ができるのに」と解釈することができます。

ここで、このようなお願いをする時に頭に入れておくべきことがあります。それは、相手の可能性やリソースを考慮することです。これを考慮しないと、そのお願いは失敗に終わります。自分ができることは人によって違います。あなたができることが他の人もできるとは限りません。お願いをする前に、それが叶えられるお願いかをきちんと考えましょう

さいごに、あら探しやグチを言うクセがある人は、批判をする時に自分を人より上に置きたがります。自分は好きなように人を批判する権利があるという完璧な立場から批判は起こるということを忘れてはいけません。そして、相手は当然これに対し怒りを覚えます。

お願いをすることはこれとは違います。お願いをする場合、立場に低いも高いもありません。これには価値観が関係してきます。相手のことを考え、お願いし、相手が重要だと感情に訴えることが大切です。一方で批判はその反対で、すべて批判や不適格に関わるものなのです。