男性至上主義:社会が一丸となって解決すべき問題

男性至上主義:社会が一丸となって解決すべき問題
Valeria Sabater

によって書かれ、確認されています。 心理学者 Valeria Sabater.

最後の更新: 22 12月, 2022

性差別的な人々は、後進的で不条理な社会を形作り、それを持続させています。この姿勢は明白なときもあれば、さりげなく表現されていることもあります。今となっては時代遅れで有害でしかないこの姿勢は、権威主義に基づいたものです。男性至上主義を解決し、社会や人々の頭の中から排除することは社会の一員である私たちの責任でもあります。

ヴィクトル・ユーゴ―は、2世紀も前に次のように言いました。「平等とは、すなわち公平のことである」。また、メアリ・ウルストンクラフト、ヴァージニア・ウルフ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、エミリア・パルド=バサンなどの作家や思想家も、私たちを目覚めさせるためにあらゆることを訴えてきました。彼らの概念や思想は平等と自由を後押しする可能性を秘めていますが、男女平等に関して私たちは殆ど何も達成できていないというのが現実なのではないでしょうか。

例えば、自由で公平な選挙で当選したはずのアメリカの大統領は、女性について明確な見解を示しています。「女は本質的に美的に楽しめるオブジェクトだ。私たちが住むこの社会では女性が性的対象化され、あらゆる場面で女性は男性より劣っているかのように扱われているのです。それだけでなく、男性至上主義、権威主義、家父長制度をこれでもかと見せつけられるような法律があふれかえった世界なのです。このような法律や制度は、一つの世代から次の世代へ、一つの立法府から次の立法府へとタスキのように繋がれていくのです。

この制度は矛盾と偏見にむしばまれています。これは周知の事実です。心理的・社会的・政治的な基盤にメスを入れることは、気軽に1日で行えることでは決してありません。この制度を変えるということは、人々の考え方を変えることを意味するからです。これを実現するには、人々の意志の強さと協力がないことには不可能です。全員が同じ考えでいなくても、大多数の人が同じ視点を共有していることが大前提なのです。

「女性を花にたとえた最初の人は詩人だった。2番目は、ただの愚か者だ。」

―ヴォルテール

 

男性大なり女性という不等号

性差別的な人に悩まされている人々

性差別的な人はどこにでもいます。家庭や職場だけでなく、友人にもいます。そして、実はあなた自身にも性差別的な面があるのかもしれません。もしかすると気が付かないうちに性差別的な発言をし、その姿勢を社会に広めてしまっているかもしれません。

あなたの言動や反応の根底に性差別的なものが潜んでいる可能性は否定できません。しかし、だからといってあなたは悪人ではありません。むしろ、それはあなたの受けてきた教育を反映しているものだからです。また、それは習得された文化がひっそりと、しかし根強く私たちに影響を及ぼしていることを意味しているのです。ひょっとすると、あなたは女性に対する不平等と暴力を公然と非難できる人かもしれません。しかし、思ってもみない時に、知らず知らずのうちに性差別という罠に引っ掛かってしまうことがあるのです。

そこで、心に留めておきたい重要なポイントがあります。それは、性差別的な人は、生まれつき差別的なわけではないということです。決してその人の本質的な特徴でも、そのような言動になってしまう脳構造を持っているわけでもないのです。読み書き、自転車、九九などを覚えたように、性差別的な人はその言動を「学習」したのです。人はみな、他者と同じようなことをする生き物なのです。

両親の喧嘩を聞く少女

 

目に見えない性差別

性差別的な人は、男性の方が女性よりも優れているという考えが受け入れられている環境の産物です。幼少期や思春期にかけてこの概念を吸収し、習得していったのです。

例えば、男女をめぐる固定観念は幼少期に学習されることが分かっています。サイエンス・マガジンがつい最近発表した記事によると、女の子は既に6歳の時には「男の子より頭が良くない」と感じているそうです。

女の子が男の子より頭が良くないと感じてしまうのは、私たちがそのように育ててしまっているからです。子どもたちが日常的に目にすることや、大人たちの言葉の端々に込められた考えを子どもたちは吸収しているのです。もう一つ例を挙げると、男の子の子育ての時には私たちは常にその子の個性を支持します。これは、強さと優位性がコントロールを握る男性至上主義の最も重要な特徴であります。そして、これは男性が、何がなんでも守り通さなくてはいけない「顔」でもあるのです。男尊女卑な男性の社会では、唯一許されている感情は権威と性欲だけです。

性差別のくびきを振り落とす

性差別のくびきを振り落とすのは簡単なことではありません。しかし、性的被害について「#MeToo(私も)」と訴える最近のムーブメントなどは、この問題を明るみにしています。そして、このような騒動にはしっかりとした意味があります。このようなムーブメントは女性が告白する場を設けることで女性を支持しているのです。女性に力を与え、「自分だけではない」という安心感を与えているのです。

また非常に興味深いのは、このようなムーブメントがもう達成できるもう一つのことです。以前から存在はしていたけれども、注目を浴びていなかった不公平に対しての意識を高めることができます。差別、女性に対する暴力、女性の性対象化、常に存在していた性差別的な法律などを浮き彫りにしています。残念なことに、性差別的な人々はどこにでも必ずいます。しかし、私たちはそのような人たちの言動について声を大にして訴え始めるべきなのです。

窮屈な男性至上主義から解放されれば私たちの勝ちです。ほっと胸をなでおろし、自由を楽しめるようになります。中には、既に十分平等な世の中だと感じている人もいますが、共感を持って周りをよく見渡してみると、実際はそうではないということに気が付くでしょう。性差別的な言動はいたるところにあります。男性がパートナーと話しているときの様子、母親の息子の育て方、マーケティング、普段はあまり気に掛けていない歌の歌詞など・・・

性差別的な世界で競い合う女性

変化を起こすには、まずはこの古い家父長制度の基盤に気が付くことが不可欠です。しかし、ただ単にその存在を感じるだけではいけません。気が付いても行動に移さないと意味がありません。平等・尊敬・自由・真の正義に基づいた社会を作り出せないのであれば、家父長制度について知っていても何の意味もないのです。


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