「でも」を逆転させてネガティブ思考をやめよう!

ネガティブな思考が役に立つことなどほとんどありません。むしろそのせいで、疑問や心配事ばかりが頭を埋め尽くしてしまいます。本日は、心理学者マルセロ・セベリオがネガティヴな思考パターンを排除するために有効なテクニックを説明します。
「でも」を逆転させてネガティブ思考をやめよう!

最後の更新: 18 9月, 2020

人間がなぜ自分自身や周囲の人々についてネガティブで破滅的な考え方をしてしまいがちなのか、その決定的な答えはまだ見つかっていません。ポジティブ思考の方が私たちにとって有益であるのならば、なぜネガティブ思考というものがこの世に存在しているのでしょうか?本日、私たちはこの現象についてお話ししていき、思考を変えるのに役立つテクニックをご紹介します。「でも」を逆転させる準備はよろしいですか?

ご自身の強みについて考え、自分自身の好きなところを思い浮かべてみてください。例えばあらゆるスキル、能力、有用な特性などです。ここで、そういった自分の素晴らしい点を強調するのではなく、弱点や性格上の難点、そして足りていないスキルにばかり気を取られることが多いという事実について考えてみましょう。ほとんどの人にこの傾向があり、それが結果的に自分には価値がないのだ、という感覚に繋がってしまいます。

私たちが「思考」と呼ぶ認知機能の産物

認知心理学者が「認知の歪み」と呼ぶこういった感覚の影響で発達する行動の中には、いくらか些細な違いはあれど互いに関連し合っているものがあります。これに関して重要なのが、認知や情動、そして行動にはびこっているネガティブさや自身の価値を下げるような感覚の強さの度合いです。

こういった有害な考えの多くがこっそりと忍び寄り、その人の頭や心の中で山火事のように燃え広がります。頭の中に潜り込んで私たちを支配し始めるのです。

  • 例えば、「私にはそんなことができるわけがない」「私は無能だ」「これは私には荷が重い」などといった無力感と関連する思考。
  • 他人が考えていることに関する、まるでその人の心を読めるかのような思い込み。例えば、「あの人は私をじっと見ている。きっと私の服装が気にくわないのだろう」「あの人たちは私のことについて話しているに違いない」など。
  • また、ほんの些細な良くない出来事あるいは発言を、すでに起こった好ましい出来事よりも重視してしまう人々もいます。
  • すでに終わったことに対して「こうできたはずだ」、「こうすべきだった」などと強迫的に思い悩んでしまう人々。
  • ネガティブな、あるいは破滅的な未来を予期するような思考。
  • 常に他人と自分とを比較するような人々や、まるでそれが自分の宿命であるかのように、何か良いことが起こってもそれを考慮しようとしない人々。

本質的に、多くの思い込みが自己の価値を下げるような思考に繋がります。また、その結果自分自身および他者の欠点や不幸な側面にばかり目が行くようになることも多くあります。

問題なのは、この破滅を生むような認知の歪みを思考によって止めることができない点です。それどころか、それらが瞬く間に行動や次の感情に変換されてしまうのは避けられません。そしてそこから美しくも不運な自己満足的予言が生まれるのです。

でも…

他人の自分に対する考えを気にし過ぎながら暮らしたり、全員が自分の敵であるかのように想像しながら生きるのは健全とは言えません。そのようなネガティブ思想を持つ人たちが人を信用せず、時には誇大妄想をしがちなのも不思議なことではないのです。

「でも」という言葉が、キーワードです。この言語式はネガティブ思考の人の発言のほとんどに登場します。「でも」「〜なのは残念だ」「〜だとは言っても」など、これらすべての言い回しが主張内容を相殺します。これこそ真の言葉の罠です。

「でも」や「しかし」は、肯定文を壊してしまう頑なな言葉です。いくつか例を見てみましょう。「彼女は本当に良い人で、普段は何でもうまくやってくれる。でも、彼女が怒ると最悪なんだ」「私たちは今週とても楽しめたし、喧嘩もしなかった。でも彼女は性格が悪くて少し無礼だ」

この「でも」は文章の前半部分で表明された肯定的な側面を完全に否定してしまいます。

ネガティブで破滅的な人々は一般的に、物事をポジティブな光の中で見ることに困難を覚えます。何かポジティブなことを言おうとしたとしても、文章の最後でそれを台無しにしてしまうのです。その最後の一言が冒頭の発言の価値を完璧に引き下げてしまいます。

この「でも」が自分自身に向けられることもあるということを覚えておきましょう。例えば、「宿題をはやく終えられたのは嬉しい、でも私はいつもギリギリにならないとやらない」「私は一生懸命勉強している、でもまだこの言語を流暢に喋れないのは恥ずかしいことだ」などと言った具合です。

「でも」は常に思考をネガティブな方へ向けさせるので、このような形でこの言葉を使用する習慣から脱却するのは困難です。それはまるで、すべてを自動で繰り返す止めることのできないマシンのように、ネガティブな思いを永続化させます。ネガティブ思考には惰性が働くため、180度の大転換を実現するのは難しいのですが、決して不可能ではありません。

「でも」を逆転させよう

これに関して最も効果的な対策の一つは、段階を踏んで「でも」を逆転させるテクニックを用いることです。少し奇妙に聞こえるかもしれませんが、驚くほど有益な手段なのです。このテクニックには、ネガティブな思考をあえて押しつぶそうと努力する必要がない、という魔法のような利点があります。反対に、ネガティブ思考をただ流れ行くままにさせ、放出し、声に出して言って良いのです。ここで先ほどの例と異なるのは、まずネガティブな思いを口に出したら、「でも」という言葉を使ってそれをポジティブな形へ方向付けるというところです。

このメカニズムはそれまで行なわれていた不健全なものと似てはいますが、こちらはネガティブさをポジティブさに変えてしまおうというものです。以下にその例を挙げていきます。

  • 「私の気管支炎はひどくて、数日間の間働くことができなかった。でも私は休息することができた。あれは私が取るべきミニバケーションだったのだ」
  • 「彼女が悪人だということに気づくべきだった。最終的に私は騙されていくらかお金も失ってしまった、でもあれ以上自分の金を危険にさらすことにならなかったのは幸いだった。このことは将来はもっと注意深くならなくてはという教訓になった」
  • 「この花柄のシャツを着ている私を誰もがジロジロと見てくる。彼らはたぶん私の格好が馬鹿馬鹿しいと言いたいのだろう、でも着たいものを着られることは素晴らしいことだ。私は自由だ。見たいなら見させておけばいい、私は気にしない。私は自分自身のことに集中し、他人の意見はあまり気にしないようにする必要がある」

ここから学べることは?

「でも」を逆転させるテクニックには、どんな状況からも教訓を見つけ出すという作業が含まれます。それは、「このアイディアは私に何を教えようとしているのだろう?」「このシチュエーションが伝えようとしているメッセージは何なのだろう?」「この状況から私は何を学ぶことができるだろう?」といった問いかけを自分自身にするような感じです。

このシンプルなテクニックは、自己を卑下しようとする心と自己の価値を感じられるよう鼓舞する心との間にある種の交渉のようなものを引き出します。長年当たり前だった習慣を突然破壊するのは難しいことですが、「でも」を逆転させる手法は何もかも全てが壊滅的な訳ではないのだと気づくための初めの一歩となってくれるでしょう。このテクニックを用いれば、物事が元からネガティブだったわけではないことに気づくことができます。全ては私たちの捉え方次第なのです。

さて、次はあなたの番ですよ!まずは三つのポジティブな「でも」を思い浮かべ、どう感じるか試してみてください!


このテキストは情報提供のみを目的としており、専門家との相談を代替するものではありません。疑問がある場合は、専門家に相談してください。