ディズニーの描く恋愛のあり方を解き明かしてみよう

03 11月, 2020
世の中には、世代から世代へと受け継がれていくような物語がいくつも存在しています。それらは、ほとんど全員が知っているような古典的作品ばかりです。しかし注意深く分析してみれば、実はみなさんが思っているほど無垢なストーリーではないことがわかるでしょう。

ディズニー映画は国境というものを知りません。全世界の様々な世代の人々が、これまでにディズニー映画を見たり楽しんだりした経験があるはずです。みなさんもディズニーアニメを観ながら育ち、自分もお気に入りのキャラクターになりたい、と夢見ていたのではないでしょうか。子どもたちはスポンジと同じで、あらゆることを吸収します。そして目にしたものや耳にしたもの、そして感じたものは子どもにとって非常に重要で強烈です。だからこそ、こういった「名作」アニメを改めて見直し、そこから子どもたちに伝わるメッセージを分析する必要があります。今回は、ディズニーの描く恋愛についてお話ししていきましょう。

子ども時代の私たちには、これらのメッセージを拾えていなかったかもしれません。また、大人になってから鑑賞した場合や何度も繰り返し観ているという場合でも、気づかずに見過ごしてしまうことが多いでしょう。しかし、こういった映画が発するメッセージを誤った文脈に取り入れてしまうと色々と問題が出てくるのです。

ディズニー 恋愛のあり方

『シンデレラ』と『白雪姫』における女性描写

『シンデレラ』『白雪姫』は、ディズニーアニメの中でも特に歴史の長い二作品です。両者のあらすじにはかなりたくさんの共通点があります。まず、どちらの作品も、家の掃除や料理、そして家族の世話などを任された女性が主人公だという点が挙げられます。

二つ目の共通点は、ハンサムな王子様がやって来て彼女たちを不遇な生活から「救って」くれることです。『シンデレラ』では妖精のおかげで参加できたパーティーでシンデレラが落とした靴を、王子が返しに来てくれます。一方『白雪姫』の白雪姫は、悪い魔女の呪いから救ってくれた王子と恋に落ちました。

どちらの物語でも、この「かわいそうな女性たち」は王子によって救われた後、美しいお城で暮らし始めることとなります。彼女たちのライフスタイルは根本から様変わりしたので、もう料理や掃除など、他人に奉仕し続ける生活とはおさらばです。

この二つのお話のどこが危険なのでしょうか?実は、両作品からの若い鑑賞者へのメッセージは、「あなたが女の子で、別の世界へ行くことを望んでいるのならば、王子が来て救い出してくれるのを待つ必要がありますよ」というものなのです。また、他人に奉仕するような仕事をネガティブなことだと感じてしまう恐れもあります。これらの物語の中では、自分自身を「解放」するための唯一の方法は妖精を見つけて魔法を使ってもらい、ケージの外へ出してもらうことなのです。

どんな人にも、男性にも女性にも、自らの手で成功を掴む能力があります。他の誰かの助けが無いと人生を変えられない人などいないのです。この事実は一見シンプルに、あるいは論理的にすら思えるかもしれませんが、幼い子どもたちがそれほどはっきり判断できるわけではありません。「人生を変えたいのならヒーローの到来を待て」というメッセージは非常に危険です。

もう一つの古典的作品:『美女と野獣』

こちらも根強い人気のあるディズニー映画です。この物語はこれまでに様々な形で語られてきましたが、根底にあるメッセージは常に変わっておらず、ポジティブなものとは言えません。

ルミエールというキャラクターに笑わされたことはどれくらいありますか?彼は燭台付きロウソクの姿をした陽気なフランス人で、どうしようもないほどのイチャつきたがり屋です。しかし、彼の行動を注意深く観察していただければ、彼がフェザーダスター(ルミエールの恋人)にちょっかいを出すやり方がセクシャルハラスメントにかなり近い行為に見えてくると思います。

ルミエールは物語にコメディ要素を加えてくれるキャラクターという位置付けですが、彼の行動は女性を性的対象化するような思考態度を肯定しています。幼い男の子たちがこの映画を観たらどう感じるでしょうか?女性への接し方について、この映画から彼らはどんなことを学ぶでしょう?また、主人公の名前がベル、つまりフランス語で「美しい」を意味する言葉である点も見過ごせません。このことは、本当の美しさとは心の内側にあるのだ、という映画全体のテーマと矛盾していませんか?これが当てはまるのは野獣のみなのでしょうか?

また、話の筋自体にも問題があります。あなたは、ある女性が誘拐され、誘拐者は彼女を無礼に扱って「余計なことを詮索したから」などというくだらない理由で部屋に閉じ込めるような映画をお子さんに観せるべきだと思いますか?そしてその後二人は雪が降る中で楽しい一日を過ごし、最終的に彼女は自分をさらった張本人と恋に落ちるのです。これが果たして誰にとっても優れたメッセージだと言えるでしょうか?『美女と野獣』の中で描かれるディズニー流の恋愛にはかなり問題があります。

『リトル・マーメイド』

残念ながら、『リトル・マーメイド』も今一度考え直す必要のあるディズニー古典作品の一つです。主人公アリエルは人生をどう生きるべきかわからず、よく知りもしない王子に全てを賭けています。彼女はこれ以上人魚でいるのが嫌になり、両脚を手に入れて地面を歩きたいと願います。そう願うこと自体は悪いことではありませんが、その唯一のモチベーションが「王子と一緒に居たいから」なのは問題です。

この映画にはもう一つ好ましいとは言えないメッセージが含まれています。本作の悪役であるアースラがアリエルの声を奪う時に発するのが、「地上の男たちはおしゃべり屋が嫌いなんだ…噂話をする女にうんざりしているんだよ!そうだ、地上では口を聞かない女性たちの方がよっぽど好まれるんだ」というようなセリフです。幸運なことに今の私たちにはそれが事実ではないことがわかっていますし、女性たちが男性たちの望む通りにしなければいけない義務など一切ないこともわかっています。だからこそ、そのようなメッセージを伝える映画は避けるのが賢明なのです。

『ピーター・パン』

子どもの頃、ピーター・パンと一緒にネバーランドへ飛んで行きたいと願ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、ティンカー・ベルとウェンディが何を象徴しているかについて考えてみたことはありますか?この両キャラクターの行動の仕方からは、嫉妬心は良いものであるというメッセージが発せられています。つまり、好きな男のために戦うことが美徳であるかのように描かれているのです。

しかし、嫉妬心は誰にとってもプラスにはなりません。苦しみを生み出すだけなのです。それにもかかわらず、この物語におけるキャラクターたちの関係性はそれとは真逆のことを言っているように思えます。

このように嫉妬をポジティブなものとして扱っている点こそ、『ピーター・パン』に再考が必要な理由です。「嫉妬心が強ければ強いほど、その人に対する愛が強いのだ」などという考え方を、幼い子どもたちに押し付けるのは嫌ですよね。代わりに私たちがすべきなのは、嫉妬心がいかに人の気分を悪くさせるかについて、そして愛する人を信用することがいかに重要かについて教えてあげることなのです。

ディズニー 恋愛のあり方

時代に合わせて変わっていくディズニー版ラブストーリー

ここで注意しておきたいのは、今回お話ししてきた映画は全て過去の時代の作品だということです。そのため、これらのディズニー映画には当時の社会規範がある程度反映されています。

現実世界が変わりつつあるのと同様、喜ばしいことにディズニー作品における女性たちの描かれ方も変化し、進化しつつあります。この変革が(あるいは少なくとも変えようという意図が)最も最初にはっきりと現れた例が映画『ムーラン』です。主人公ムーランは、「女はこうあるべき」という型にはまらない若い女性で、誰かに救ってもらう必要などありません。それどころか、彼女自身が自分や他人を助ける力を持っています。

時代や社会が変化しつつあることを、ディズニー社も理解しているようです。そういった進歩を続ける規範に合わせることも大切ですが、ディズニー社には、持てる影響力を駆使してポジティブでエンパワメントに繋がるようなメッセージを若い聴衆に届けていく責任もあります。この大企業は、その権力を善行のために使うチャンスと義務を有しているのです。