どんな形であれ、自分の体を愛する

2018年6月26日 in 心理学 0 シェア済み
花と女性

あなたの体の形や体重を気にせず、あなたの体を愛することを決めた瞬間は、あなたの大きな一歩です。それは、多くの人々が身体がどのようなものであるべきかという偏見があるために、なかなか取ることのできないステップです。

とは言え・・・。身体はどうあるべきなのでしょうか?私たちの身体の誇りを勝手に判断し壊す前に、自分自身に尋ねてみましょう。「体は本当はどんなものでなければなりませんか?」「だれがそう言うのですか?」もちろん、ファッションが私たちの体をどのように考えるかに大きな役割を果たします。ファッション業界は、私たちに何を考えるべきかを押し付けようとします。

私たち自身のアイデアや興味は完全に有効で、そして私たちにはその権利があります。結局のところ、他人やあなたが作った基準に従い、自分の身体を受け入れるかどうかの決定をするのは他ならぬあなたです。それは個人的な選択ではありますが、常に意識的なものではありません。

あなたの体を愛しなさい:受け入れられるべきであり、侮辱などではない

ファッション業界がもたらす気まぐれに変化する標準に基づいて私たちの体を受け入れるならば、私たちの人生全てをを私たちがコントロールできないものにしています。しかし、あなたが攻撃する代わりに自分の体を守る少数派の一人なら、あなたは受け入れられるでしょう。

私たちは自分自身に愛情をもって接していません。代わりに、私たちは自分の体を非常に批判的に見ています。「修理」が絶えず必要に感じています。私たちはいつも「十分ではない」と思っています。そして、この批判は時には、私たちの生活のとある部分で、残酷に変わることがあります。思春期はそのうち、とても大きなものです。

バラバラになった体

ほとんどすべての人間は、見られて賞賛されるべきだという必要性を感じています。多くの場合、その必要性は身体に限られています。だから、身体が見られるに値するものであるためには、ある特定の形である必要があります。それは私たちをユニークで特別なものとして認識します。しかし、変わっていない身体は、心の中で紛争で満たされてしまいます。

あなたの体を愛する―判断するのを止める

このように、私たちの体は戦場、まさに大惨事となります。社会は、私たちが自分の体について好きでないものに焦点を当てるよう教えます。自分の体を受け入れて愛するようには教えられません。評価する代わりに、興味を持って探索することを誰も勧めません。私たちは体を罰し、そして罰していることすら知らないのです。

したがって、多くの人にとって、体は刑務所に変わります。家でも、不思議な驚きと変化の場所でもありません。彼らにとって、それは重荷になっています。競争が激しく、見た目にこだわる世界の中で不利な点なのです。

羽の生えた女性が飛ぶ

自分の体が私たちに叫んでいるのに、私たちがそれを聞いていないとどうなるでしょうか? 『私を愛して!私をケアして!最高入札者に私を売らないで!』。世界が私たちに与えた判断レンズを取り外し、より友好的で健康なレンズに交換することができるのは、私たちを自由にしたときだけです。

私たちの体を愛することは、自分自身を愛することです
 

私たちの視点を変える必要があります。 「はい、私にはセルライトがありますが、私は嫌悪感ではなく、愛情で体を見ることにします」「はい、私は少しお腹が出てきますが、私は罰としてジムに行くのではなく、運動を楽しむためにジムに行通います」

もちろん、健康は生活の基本です。受容と愛情から私たちが自分を世話をするとき、私たちの体が快調になります。

エクササイズをし、ダンスに通い、体のケアを行い、体を見てください。やってきたものがすべて体につながっているのです。それがどのように体に影響するかを発見します。もっと優しく自分自身を見ることを学ぶことはそれに値することです。

あなたの体をあなたの魂の墓にしないでください。
ピタゴラス
 

あなたの体を「ケアしたい」という思いと、「罰する」との間には大きな違いがあります。あなたがそれを改変できるようになるまで一時的にあなたが住んでいる殻のようなものです。あなたの体の今と将来を受け入れましょう。体重や形にとらわれずに愛しましょう。なぜなら、あなたの体は、唯一のものだからです。

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