シザーハンズ:「違い」受け入れる物語

· 2018年5月21日

1990年に若き日のジョニー・デップとウィノナ・ライダーが主演した映画「シザーハンズ」を、多くの人がティム・バートン監督の最高傑作だと言います。ダニー・エルフマンが作曲したサウンドトラックも大きな反響を呼び、彼自身も注目を浴びるようになりました。

この映画の美しさは注目に値します。例えば「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(1993年)のような、同監督監督による他の作品を思い起こさせる作品です。この映画の最初、埃っぽくて古い屋敷に足を踏み入れた時、あなたは「ティム・バートン監督の世界」の純粋さを見ているのです。

バートン監督の作品は物語形式でほとんどは寓話であり、現実とファンタジーを混ぜ合わせ、私たちに感情溢れる映画を見せてくれます。彼は、「違いを受け入れることの重要性」と「偏見を持たないことの重要性」という2つのメッセージを映画を通して私たちに伝えようとしているのです。

映画「シザーハンズ」は自伝的な話であり、それがファンタジーとして表現されています。 ティム・バートン監督は、彼が子供時代に抱えていた問題をよく話していました。実際に彼は自分自身を孤独で、変人だと思ってきました。彼の元妻、ヘレナ・ボナム・カーターは、彼にアスペルガー症候群の特徴があることも認めました。

映画「シザーハンズ」が伝えるコントラスト

ティム・バートン監督はこの映画の物語を、老婦人が孫娘に話すスタイルで仕上げました。そして私たちはそこからファンタジーの世界へ入っていくのです。カラフルな庭と一戸建ての家から全ては始まります。

家の近所には黒い車、黒い扉、黒い衣服は1つとしてありません。逆に、古い老朽化し​​た大邸宅が丘の上にそびえているのを黒で表現することで、コントラストを表現しています。灰色と黒を使って、ドイツ式表現技法を利用しています。

私たちが映画の中で出会う最初のキャラクターは、化粧品会社Avonで働く2児の母、ペグです。彼女は製品を売るのに必死で、ついに不思議な大邸宅に行くことに決めました。彼女がそこに着くと、彼女は動物や人間の形に切られた奇妙な木々に出くわすのです。

いつも遠くから見ていた、黒く厳かな雰囲気の大邸宅には、実際にはまったく予想もしていなかった、美しく、そしてカラフルな庭がそこにはあったのです。それはその住人の内なる心の表れのようなものです。ここでは、ペグが大邸宅に入るときに流れる音楽が重要な役割を果たします。

ペグは建物で、何か恐ろしいものを見つけたり、悪い出来事が起きることを覚悟していました。しかしそれとは裏腹に、彼女は素晴らしい、魔法の場所を見つけるのです。その邸宅の中は、ほこりやクモの巣で覆われ、まったく掃除されている様子はありません。

いくつかの新聞の切り抜きが壁に貼り付いているのを発見します。「生まれつき目のない子どもは手で読む」というタイトルです。そのすぐ後、私たちは不思議な大邸宅の奇妙な住人、エドワードに出会います。彼は普通の手の代わりに、はさみが手になっているのです。

シザーハンズが住む家

外の世界と人々との接触

エドワードは無垢です。彼が父親について語ったとき、父親は「目を覚まさなかった」と言いました。これは世界、生と死についての知識が不足していることの明確な表れです。ペグは彼自身のはさみで彼の顔に付けてしまった傷跡に魅了され、彼女の化粧品を試してみることにし、彼を家に招待します。

エドワードが社会の一員として経験する全ての困難を私たちは目の当たりにするのです。悪と正義の区別、最初の頃の近所の人々からの拒絶、そしてそうこうするうちに、庭師や美容師として生きることに道を見出します。

近隣の人々は、集団的思考に従って行動する不健全さを象徴しています。エドワードに対する意見は彼ら自身ではなくむしろ集団的であり、それらの考え方がどのように変化するかを忠実に表しています。

ティム・バートン監督は、「『みんな』と違うことが受け入れられることがどれほど難しいか」を示しています。他人に好奇心を持ち、同時にそれはその人の恐怖へと変わってしまい兼ねません。私たちは隣人がいかにゴシップで、くだらない噂を広げ、ペグと彼女の奇妙なゲストを批判しているかをそこで見るのです。

キム:抱きしめて。

エドワード:できないよ。

隣人が美容師や庭師としての能力で彼を賞賛し始めると、エドワードは次第に人気者になり、彼らはエドワードにビューティーサロンを開くことを提案します。 エドワードとペグはテレビ番組のゲストとして呼ばれ、そして観客は次々にコメントをし、質問をします。 「異種」がアトラクションになるとき、それが魅力を引き出すスイッチになることは非常に興味深いです。 エドワードにはもはや「違い」ではありません。 彼は「特別」です。

観客:もし普通の手になってしまったら、ほかの人と同じになってしまいますよ

エドワード:はい、分かってます。

司会者:ほかの人と同じがいいんでしょうね

観客:そうしたら、誰もあなたを特別だと思わなくなる。テレビなんかに出られませんよ。

ペグ:なんであろうと、エドワードは特別なんです。

シザーハンズの住む家の庭にある動物の植栽や花

「違うこと」が恐怖に変わる

エドワードがキムとキムの彼氏のために犯罪を犯すのを手伝うことを同意したときに、衝突がやってきます。これは、エドワードが見下され、「特別なエドワード」からまた「違うエドワード」に戻った瞬間です。社会は彼を怪物として見始めます。危険なので、排除する必要がある人。かつて彼の才能を喜んでいた隣人たちはもはや恐れをなしているのです。彼らは根も葉もない噂話を作り、彼の死を願うのです。

映画の中で、強調するべき一瞬、小さな行動があります。エドワードが隣人に追われているシーンです。彼は一人で、他の人はみな彼の死を望んでいます…

しかし、犬は違いました。彼の横に座っていた犬。エドワードは彼の毛を切って、彼がよりよく見ることができるようにしてあげました。犬は彼に感謝をの意を示します。この小さな瞬間は本当に魔法です。なぜなら、このシーンでティム・バートン監督は、動物は偏見で物事を見ていないことを示しているからです。そして、時には彼らは人々よりはるかに理解していることがあるのです。

ティム・バートン監督は私たちに、彼がおかれた条件のせいで余りに長い間孤立させられ、社会関係には問題があるものの純粋な人間性を見せてくれます。エドワードを良い、無実の男として見る人はほとんどいません。彼の住む大邸宅は彼を表しています。巨大・印象的・暗い手すり等は魔法のように繊細な庭を守るための盾となっています。

ティム・バートン監督とアスペルガー症候群について多くのことが言われていますが、彼の幼少時代が実際どうであったのか、またそれが彼の人生にどう影響を与えているのかなどを正確に知ることは難しいでしょう。しかし、私たちはエドワードを通してアスペルガーの特徴を見ることができます。彼の手のひらの不器用さ、それ故の苦労や悩み、そして豊かな内なる世界です。

疑いもなく、映画「シザーハンズ」は「違いを受け入れること」についての素晴らしい教訓を示してくれています。違いを恐れず、人の中身を見ることでその人を知ること、を教えてくれます。

雪の中で踊っている私を、エドワードは見てくれているはずよ

映画「シザーハンズ」のキムのセリフより