エド・ウッド:史上最悪の映画監督

エド・ウッド:史上最悪の映画監督
Leah Padalino

によって書かれ、確認されています。 映画批評 Leah Padalino.

最後の更新: 21 12月, 2022

エド・ウッドは、自分の作品を大きなスクリーンでみることや、映画史に名を刻むことを何よりも望んでいた映画監督でした。また彼は脚本家、俳優、プロデューサーでもありました。

ある意味、彼はその偉業を成し遂げましたが、それは彼の期待していたものとは異なっていたでしょう。彼の死後、批判家たちは彼のことを「史上最悪の映画監督」と呼んだのです。それと同時に彼の作品である「プラン9・フロム・アウタースペース」も史上最悪の映画と呼ばれ、B級映画の更に下を行くZ級という言葉を作り出したほどでした。

しかし時間が経つにつれ、ウッドは映画界でカルト的な人気を博すようになり、ジョン・ウォーターズやティム・バートンなどの著名な映画監督も彼に影響されたと認めています。果たして彼は本当に史上最悪の映画監督なのでしょうか?確かに、彼の映画には改善されるべき点が沢山ありました。プロットの穴、台本の問題、画面に映ってしまったマイク、段ボールで作られたセット、その他にも信じられないような点が沢山あります。

彼の作品はプロデューサーたちに受け入れられなかったため、低予算の中で映画は製作されていました。それが低技術と重なりあり、クオリティの低い映画を生み出す原因となったのです。

しかし彼自身は完璧主義者でもなく、失敗や一貫性がないことをなんとも思っていませんでした。彼はただ、映画が完璧を超えたものであり、そこに映し出されるもの全てに信ぴょう性があると信じて映画を撮っていたのです。

彼は数多くの失敗をしてきましたが、彼の作品にはユニークで愛すべき点もあります。当時(1950年代)、彼のテーマの多くは挑発的と見なされ、真剣に受け止められませんでした。 「グレンとグレンダ」がその主な例です。ウッドは服装倒錯者に関する心を動かす話を作ったのにもかかわらず、人々はそれをただのコメディーだとみなしたのです。

エド・ウッドの伝記映画

1994年、ティム・バートンはエド・ウッドの人生を題材にした映画を作りました。彼はB級映画が自分自身に与えた影響(特にホラー映画)を常々言及しており、これはバートンの映画作品にも見て取れます。

エド・ウッドも彼に影響を与えたうちの1人でした。バートンは子供の時に「プラン9・フロム・アウタースペース」

を見て、強い印象を受けたといいます。確かに、ウッドの映画作品には失敗が多いかもしれませんが、そこには情熱が垣間見えます。そして、それこそがバートンがウッドの伝記映画に映し出そうとしたものでした。

ウッドと異なり、バートンは一貫性のある映画監督で、彼の作品は完璧に構成され、誰もが楽しめる作りになっています。バートンが書くスクリプトは素晴らしく、俳優もジョニー・デップやマーティン・ランドーなどのベテラン俳優を起用しています。しかし、この伝記映画の製作も順風満帆であったわけではなく、彼が白黒で映画を撮ると宣言したことで、プロデューサーがプロジェクトの中止を決めたこともありました。

その時、バートンは俳優のルゴシ・ベーラの映画や、1950年代のB級映画のエッセンスを捉えたかったといいます。そして、そのために白黒で映画を撮ることを望んだのです。1994年に公開されたこの映画の売り上げは、当初芳しくなかったものの、アカデミー賞でメイクアップ賞や助演男優賞を受賞するに至りました。

これらの賞は、どちらも映画の主要人物の一人であるルゴシ・ベーラに関係しています。 特殊メイクとランドーの素晴らしい演技で、ベーラが蘇ったのです。

「エド・ウッド」はティム・バートンの最高傑作であると考える人も多くいます。彼が手掛けた多くの作品の中でも、この映画は独特の個性があり異彩を放っています。バートンはこの映画で、ハリウッドの闇の部分を伝え、ルゴシとウッドの美しさをみごとに描いたのです

映画界へのトリビュート

バートンが製作した映画は「エド・ウッド」に対する称賛であるだけでなく、それはB級映画全体に対するものでした。ルゴシ・ベーラのように、バートンの映画は50年代の白黒の「黄金時代」の栄光を映し出した映像なのです。オープニングクレジットから、今日の映画には失われた魅力やノスタルジーを感じ取ることができます。

また、映画のスタイルはエド・ウッドそのものです。俳優の名前が書かれた墓石と触手、空飛ぶ円盤の映像から始まります。そして、奇妙な音楽と共に暗くミステリアスな部屋が浮かび上がり、外で嵐が吹き荒れる窓の下にある棺が映し出されます。

白黒映画

その後棺が開き、アメージング・クリズウェル(ジェフリー・ジョーンズ演)が登場し、これから見せるものがエド・ウッドの本当の人生であることを観客に告げます。このB級映画独特のイントロダクションは観客を引き込みます。その後カメラがズームして窓に焦点を合わせ、視聴者を嵐の奥へと引きずりこんでいきます。

そして、映画の最後では冒頭のシーンが逆再生され、嵐からカメラがズームアウトして部屋に引き戻されます。そして棺が閉じるのです。とても素敵な演出ですよね。

もう一つ印象的なのが、映画の中で稲妻によって暗闇の中に何度か映し出さる「Hollywood(ハリウッド)」のサインです。これを見ていると、映画製作のメッカであるハリウッドが、自分たちが信じて来たほど素晴らしい所なのか疑問に思うようになります。その他にも、バートンはハリウッドの暗い面を象徴する小さなシンプルなアパートを見せることで、鮮明なコントラストを生み出しています。

エド・ウッドの情熱

ウッドは情熱家であり、映画を心の底から愛していましたが、人々は常に彼の才能を疑っていました。彼は自分がオーソン・ウェルズであるかのように感じ、何か重要で大きなことを成し遂げると思っていました。自分の能力をそこまで信じていた彼は、自らがシナリオライター、プロデューサー、俳優全てをやるほどでした。

バートンの映画において、ウッドは子供じみた夢や希望を持った親しみのある男として描かれています。多くの批判や酷評を受けたのにも関わらず、彼は笑顔を絶やすことはありませんでした。自分自身を信じて、どれだけ小さな予算でも映画作りをやめなかったのです。

そしてある時から、ウッドはドラキュラの肖像画で有名なハンガリー出身のアメリカ人俳優であるルゴシ・ベーラと親睦を深めるようになります。バートンは、彼らの親交の中に、自らとヴィンセント・プライスの関係を見たのでした。ヴィンセント・プライスは、ウッドがルゴシにしたように、人生最期となる役をバートンに与えられた人だったのです。

エド・ウッド

ウッドにはカリスマ性があり、映画業界からの拒絶に耐えるよう助けてくれたのは、彼の友人たちでした。友人たちは「プラン9・フロム・アウタースペース」の撮影資金を宗教団体から得るために、自ら洗礼をうけたといいます。彼の圧倒的な楽観主義はカルト的な人物像を作り上げ、今では彼を崇拝する境界もあります。

しかし、歳をとるにつれウッドの楽観主義は陰りをみせ、最終的にはアルコール中毒によって命を落とします。それでもバートンの映画では、ウッドの楽観的な部分と希望が大いに組み込まれています。

このノスタルジーを感じさせてくれるバートンの映画では、希望をもって困難に立ち向かう奇妙な映画監督が映し出されており、もしウッドが他の時代に生まれていたなら、どうなっていなのか楽しみにさせてくれるものです。

「だれかの異常さとは誰かの現実である。」

-ティム・バートン-


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