エーリヒ・フロムによる愛の学び方

愛する前に、その方法を学ぶことが必要なのです。そうでなければ、実を結ぶのは悲しみと失望だけ。
エーリヒ・フロムによる愛の学び方
Sergio De Dios González

によってレビューと承認されています。 心理学者 Sergio De Dios González.

によって書かれた Valeria Sabater

最後の更新: 14 5月, 2024

エーリヒ・フロムによれば、開放的で豊かな行いとして人は毎日愛を賞賛すべきです。成熟した意識的な方法で愛を学んだ人は、愛を所有物でも条件でもないと理解できます。愛は思いやることで、愛するすべての人の成長を促します。

エーリヒ・フロムは、自身の著書である『愛するということ』がこんなにも重要視されるとは、おそらく思っていなかったでしょう。さらに、この面白い本を執筆した時の彼の状況を知っている人もあまりいないかもしれません。 このユダヤ人精神分析学者・人文主義思想家にお目にかかるチャンスに恵まれた人は、彼ほど大きな変化を遂げた人はいないと話します。

50年代まで、フロムは優れたタルムード学者でマルクス主義の精神分析学者であり、ジークムント・フロイトの理論的基礎からは距離を置いていました。

寡黙な知識人で、第二次世界大戦の後アメリカに定住しています。離婚の重荷、最後の奥さんの死(自殺)、ボロボロになったヨーロッパの思い出を後にした結果でした。

彼はメキシコへ移住して、平和と女性の権利のための活動家になりました。人生における自分自身の見方を変えて、幸福や世界のためにオープンになって、信じる者のために戦いたいと願います。とても影響力のあるカウンセラーとなり、ケネディー大統領とも友人関係になります。アニス・フリーマンという素晴らしい女性と恋にも落ちました。

過去の妻たちとの辛い思い出があったものの、フロムは固い目標を確立します。愛することを学ぶということです。自分の人生のステージの中で一番いい時期にしたいと考えていました。彼女を愛したかっただけでなく、世界中に愛というものを学んでほしかったのです。だから彼の有名な本は、彼の人生の後期で経験した幸福から生まれました。

エーリヒ・フロム


エーリヒ・フロムによる愛を学ぶこと

愛する人が持つ傷の愛し方を知らずに愛することはできない。」ティク・ナット・ハンのこの言葉は、現実をうまくまとめています。多くの人は愛の技術をマスターできていません。むしろ、たまたま足を踏み入れた現実の初心者です。主に文化が原因で、時に大人としてではなく、子供のように人を愛することに自らを制限してしまいます。

人は様々な規範の型にはめられてしまっています。これによって、わたしたちは愛を魔法と理想の塊として認識します。現代の社会では、未だに男性が女性を魅了するべきであるとする愛の形が信じられています。私たちは運命のキューピットによって結ばれ、シェイクスピア作品の永遠の愛人べロニカが感じたような情熱こそが本当の情熱だと信じます。私たちは、運命の赤い糸で誰かを愛するように運命づけられていると信じているのです。

著名な社会心理学者であるエーリヒ・フロムは、自身の本、『愛するということ』の中で、愛には責任が付き物であるということを明確にしています。愛することは、熟練したアーティストが行うことです。愛することを学ぶのには、偶然でも運命でもない努力と忍耐の練習、熟達、絶え間ない働きが必要です。

「愛は自然ではない。鍛錬、集中、忍耐、信仰、ナルシシズムの克服を必要とする。感情ではない。実践だ。」

-エーリヒ・フロム-

愛についてエーリヒ・フロムが説いていることを見てみましょう。

アクティブな愛

わたしたちはみな、本気で愛されたいと思っています。その存在、自分の持っているものを思いやってもらって、大切にされて、感謝されて、尊敬されて、認められたいのです。しかし、こころにとめておかなくてはいけないことがあります。受け身の愛は未熟で機能しないということです。

「成熟していない愛は言う。『君が必要だから愛している。』成熟した愛は言う。『愛しているから君が必要だ。』」

-エーリヒ・フロム-

愛は寄りかかるものではありません。アクティブで今起こるシナリオです。お互いのことを思いやり、お互いを尊敬しなくてはいけません。相手の人を本当の意味で知ることができたら、積極的になって、与え受け取り、精神的・感情的成長が常に起こる状態に積極的に参加できます。

キス


完璧な人を見つけるという永遠の心配

愛することを学ぶということは、その他の面も意識することを意味します。私たちは時に、自分の夢と欲にマッチした理想の相手を見つけられないのではないかと心配しすぎることがあります。さらに、現実には自分がそれを維持するために努力もしていないのに、「真の愛」を見つけられないといらだつことすらあります。

ロマンチックな部分ばかりに気を取られて、時たま大事なことを忘れがちです。愛には努力が付き物です。良い関係のために必要な挑戦への対峙方法を知っていることが重要です。

固くハグ


ニーズとしての愛

愛することを学ぶというのには、すべてのニーズを取り除くことを示唆しています。自分の欠点を埋めるためにロマンチックな関係を求めている人は、関係に満足して相手の永遠の奴隷に成り下がってしまいます。

「矛盾しているようだが、1人でいることができる能力は愛する能力への条件だ。」

-エーリヒ・フロム-

愛することは創造的

エーリヒ・フロムによれば、愛というのはエネルギーの形です。これはわたしたちに動き、表現し、想像することを促してくれます。この広い創造的な力は、すでに基本的なニーズを満たしているときにあわられます。

同じように、『愛するということ』の中で、フロムはそのエネルギーを感じるだけでは不十分であると主張しています。愛は私たちが生き形作っていくものであるということを忘れてはいけません。本当の情熱とは、感情、成熟性、バランスから成り、かなりの努力と献身を必要とする美しい作品をも理解できるものです。

森

愛は音楽、絵画、大工仕事、書き物、建造物のようです。理論を理解した上で、マスターするには実践しなくてはいけません。かなりクリエイティブなエンジニアのように、毎日の困難、挑戦といったでこぼこ道を効果的に超える方法を見つけなくてはいけません。

結論として、フロムによれば、愛は(社会に押し付けられたものを含む)自分を定義している子どもっぽい見方を捨てることです。愛を受け身な行いや、魔法のように2人の人間を繋げてくれるものであると見ることをやめなくてはいけません。愛は、物質であり、基礎であり、分子です。素晴らしいプロジェクトを作り出すための材料ですが、本当にそれを求め、責任を持たなくてはいけません。

「愛するということは、保証なく献身し、自分の愛が愛する人のこころに愛が生み出すことを完全に信じることである。愛は信仰だ。ちょっとしか信仰が持てない人は、ちょっとしか愛せない。」

-エーリヒ・フロム-


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