芸術家であり生存者:アリス・ヘルツ・ゾマーの人生

2019年11月19日
アリス・ヘルツ・ゾマーの人生は、人生における2つの素晴らしい事実を私たちに伝えています。一つ目は、幸せな子供時代は人生最大の挑戦に対処するのに役立つということ、そして 2つ目は、前向きな姿勢があらゆる挑戦を乗り越えるのに役立つということです。

今回の記事では、アリス・ヘルツ・ゾマーの人生について学びます。彼女は、110歳まで生きたホロコーストからの生還者でした。

ユダヤ人であったアリスは、若い時に強制収容所に連行されました。しかし、あらゆることを乗り越えて生き残った彼女は、「世界で最も楽観的な女性」として知られるようになりました。

多くのインタビューで、アリス・ヘルツ・ゾマーは、彼女の一卵性双生児の姉について、似ている部分の多かったものの、性格や態度が異なっていたと語りました。

アリスの方が楽観主義であり、どんなに悪い状況であろうと、その状況のポジティブな面を常に見つけようと心がけていたと話しています。

「憎しみは憎しみをもたらします。私は、子供が憎しみを持って成長しないように、決して憎しみについては語りませんでした。この子育ては成功し、息子にはドイツにも良い友達がいます。息子はドイツの友人から演奏に招待されるなど、良好な友人関係を築いています。私は決して一度も憎しみを持ったことはありません。一度たりともです。」

-アリス・ヘルツ・ゾマー-

アリスは高齢にも関わらず、毎日ピアノの練習を行い、100歳近くなった時には大学に通い始めました。学習と自己改善のための熱意を決して失わなかったアリスを人々は賞賛しました。

長寿で楽観主義の人生を生きた素晴らしい例として、アリス・ヘルツ・ゾマーの人生から私たちは多くを学ぶことができるでしょう。

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アリス・ヘルツ・ゾマーの幸せな子供時代

幸せな子供時代を送っている人の多くは、様々な困難から回復する力を持っています。

アリス・ヘルツ・ゾマーは、1903年11月26日チェコ共和国プラハで、芸術文化を大切にしたユダヤ人音楽家の家族に生まれました。アリスの家には、当時最も有名な芸術家や知識人が頻繁に訪れており、その中でも、フランツ・カフカは頻繁に訪れていた一人でした。

アリスの姉は、文学の天才の親友とも結婚しました。グスタフ・マーラー、ライナー・マリア・リルケ、ステファン・ツヴァイク、トーマス・マン、さらにはジグムント・フロイトなどの有名人もヘルツ家を訪れていたそうです。

アリスは幼い頃から音楽を愛しており、8歳のときにピアノを弾き始めました。思春期になると、プラハ全土でコンサートを開くピアニストへと成長しました。

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ナチスの侵略

1931年、アリス・ヘルツ・ゾマーは音楽家仲間であるレオポルド・ゾマーと出会いました。その後二人は結婚し、1937年には、長男ラファエルが生まれました。

二人は愛し合う幸せな夫婦でしたが、ナチスが1939年にチェコ共和国に侵攻したとき、この幸せは奪われることとなります。

ほとんどのユダヤ人がゲットー(ユダヤ人隔離地域)へと送られる中、幸いにもアリスと彼女の家族はしばらくはアパートに滞在することが認められました。

しかし状況はすぐに悪化します。

戦争が進むにつれてチェコ人はユダヤ人を差別し始め、1942年、アリスの母親とレオポルドの両親は国外追放の手紙を受け取りました。これにより、幸せだった家族とその生活は崩壊しました。

アリスは72歳の母親を強制送還センターに連れて行き、そこで別れを告げなくてはいけませんでした。これは、母が死ぬことを意味していたため、アリスは自分の無力さを感じました。

この瞬間はアリスの人生で最も悲痛な瞬間の一つであり、数十年が経ってもこの記憶は彼女を悲しくそして憂鬱にさせる母親の記憶だとのちに語っています。

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収容所での生活

1943年に、アリス、彼女の夫、そして息子は国外追放命令を受け取り、テレージエンシュタット強制収容所に送られました。この収容所の人は殺されずに済むという話でしたが、それは嘘でした。

アリスはこの収容所で、ナチスのためにピアノを演奏しました。ナチスは、アリスの美しいピアノを聴きながら食事をし、ユダヤ人を絶滅させる方法を計画しました。

アリスは他の収容されている人々のためにもピアノを演奏し、合計で150回以上のコンサートで演奏したと話します。彼女の音楽が、強制収容所にいる人々の苦しむ心や魂を癒したと彼女は考えています。

その後、彼女の夫はアウシュヴィッツに移されました。別れの時、夫は彼女にこう告げました。

「何も志願してはいけない」

数日後、ナチスは夫と再会したい女性の「ボランティア」を募集しましたが、アリスは夫のアドバイスに従って、この申し出を拒否しました。これにより、彼女は生き延びることとなったのです。

アリスは常に笑顔を保つように努力しましたが、この経験の中で最も苦労をし辛かったのは、空腹の息子を見ることだったと語りました。

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生存者

アリス・ヘルツ・ゾマーと彼女の息子は、強制収容所の数少ない生存者でした。戦争が終わると、二人はイスラエルに移りました。

アリスは、過去に囚われるのではなく、憎しみや怒りを持たずに息子を育てようと決意しました。その結果、息子であるラファエルは両親の音楽家としての足跡をたどり、有名なチェロ奏者になりました。

アリスは、110歳の時にイギリスのロンドンで亡くなりました。彼女の人生は、人間の精神の信じられないような回復力の例となるでしょう。

態度や人生観が自分の未来を決めることを証明したのが、アリス・ヘルツ・ゾマーであり、これが彼女が残してくれた「遺産」です。

  • Stoessinger, C. (2012). El mundo de Alice: lecciones de vida de una superviviente del holocausto. Grupo Planeta (GBS).