「グリース」は今の社会でも通じる?

2019年7月30日
「グリース」は時を越えて今も楽しまれている不滅の映画作品の一つです。この映画で使用された歌は多くの人に口ずさまれています。ですが、現代の視点に立つと、少し見にくい映画かもしれません。もはや時代遅れとなった作品なのでしょうか?

近年、昔の歌や映画、本などに関心が集まっていますが、そうした作品は今日の視点からすると、もはや無垢とは呼べず、政治的にも正しいと言えなかったりします。このような場合、私達はどうすれば良いのでしょうか?ゆっくりと私達の生活の一部となったこうした歌を突如として聴くのを止めるべきでしょうか?大好きな映画をボイコットするべきでしょうか?

今の社会において、人種差別や同性愛者差別、性差別的な映画というのは許されることではありません。ですが、昔の映画を軽視するとなると、歴史や文化の一部を失ってしまうことになります。よくよく考えた後、私はお気に入りの昔の映画の一つを見ることにしました。R・クレイザーによる1978年のミュージカル&ラブコメディ映画、「グリース」です

「グリース」はいくつかの流行を生み出しました。人々は出演俳優達の服装や髪型を真似し、作中の歌を歌いました。そして、あらゆる大ヒット映画がそうであるように、この映画には続編も生まれました。サウンドトラックも不滅のベストセラーとなるなど、こうした偉業に匹敵する他映画作品はそうそうありません。

私は再度、この映画を見て、何年という時が過ぎたにもかかわらず、作中の会話や歌の歌詞をまだ覚えている自分に驚きました。ですが、このラブストーリーがもう魅力的でも、説得力のあるものでもなくなってしまったことにも驚きました。おそらく、この映画を楽しむには、この映画が公開された時代背景に戻るしかないのでしょう。

芸術一般がそうであるように映画も時と共に変化する基準に則った作品です。「グリース」は当時、秀でた成功を収め、また長年そうでした。ですが、今の時代に「グリース」のような映画が公開されたとしたら、当時と同じような影響をもたらすことはなく、またきっと物議を醸すものになるでしょう。

この記事では、この映画を再評価するために、現代社会の観点から分析し、時と共に映画や基準、そして私達の好みがどう進展していったのか見てみたいと思います。

「グリース」こそが私達の生きた時代であり、場所であり、動作だ。「グリース」こそが私達の感じ方なのだ。

「グリース」:質に対する嗜好

この映画を見てから随分経っても、内容を実質的に全部覚えていますが、この映画の質がこんなに低かったなんてことは記憶にありません。コスチュームや設定は懐かしい「恋に落ちる」雰囲気を醸し出しています。「グリース」は当時にして既にビンテージ調でした。ですが、ストーリーや登場人物、全般的な質に関して言えば、正直、良いとは言い難いものがあります。

ストーリーに関しては、これ以上単純なものはありません。二人のティーンエージャーが夏休みの間に恋に落ちるというものです。二人ともこの夏が終われば、もう二度と会うことはないと分かっています。ですが、恋のキューピッドのおかげで、同じ学校に通うことになるのです。

夏が終わって、二人が初めて再会すると、ダニーは闇の顔を表に出し、サンディーは失望し、そこから全てが紐解かれていきます。全く典型的な話なので、あらすじはこれ以上説明する必要はないと思います。私の個人的な見解では、耐え難いほど安っぽい会話が始まり、映画全体を通してずっとそんな会話が続きます。

出演俳優のほとんどが20歳以上でそれが目に見えて分かるので、この映画の強みは信憑性ではありません。女子はみなピンクの服を着て、男子はみな黒の服・・・これは偶然でしょうか?いや、違うでしょう。ジェンダー間の格差が浮き彫りになっているのです。「サマー・ナイト」という歌を聴けばその意味が分かります。女子はロマンチックで浅はか、男子はセックスのことしか考えていない、というものです。

「グリース」は愉快で無垢な映画であろうとしていただけで、誰も傷つけるつもりはありませんでした。ただ当時の人が好きだったものに適応しただけなのです。かつて受け入れられていたものが、今では侮蔑的となり物議を醸すものとなることがありますが、「グリース」も例外ではありません。とはいえ、時代遅れながら、今でも楽しめる作品ではあります。

時を越えたサウンドトラックアルバム

「グリース」の強みの一つは、間違いなく、サウンドトラックアルバムです。世界中でダンスフロアを埋め尽くしてきた、一度聴いたら忘れられない曲が詰まったものです。

実のところこれなしでは「グリース」は成功しなかったでしょう。ですが、キャストの仕事ぶりや息ぴったりの登場人物同士のからみ、そしてもちろん、ジョン・トラボルタのダンスも評価すべきでしょう。キャッチーでアップビートな歌、カラフルなセット、ヴィンテージのコスチューム、そして恋愛。成功は約束されていたのです。

歌詞

ですが、「グリース」はサウンドトラックによって、ストーリーの穴を埋める必要があります。音楽には単純な映画を魅力的な映画に変える力があります。ですが、歌詞を注意深く聞いてみるとどうなるでしょうか?現代の視点からすると、許されるものではないでしょう。

その良い例が、「ビューティ・スクール・ドロップアウト」という歌です。フレンチーの守護天使がフレンチーに学校に留まるようにアドバイスします。この歌には、美容師など女性が作中の時代にかつてしていたような仕事を様々挙げています。また、鼻の整形や掃除や裁縫などの家事も出てきます。

逆に、「グリースト・ライトニン」という歌は、エンジンの世界や車や整備士など、一言でいうと完全に「男らしいもの」についてです。

ただ「ついてない私」だけが的を射ていますが、これについては後述することにします。「愛のデュエット」の歌の内容とその歌が流れるシーンが示唆していることを考えると、『愛のために自分の本質全てや人格を変えてしまう人なんているのか?』と自問自答したくなります。なので、歌詞についてはあまり深く考えずに、ただ音楽を楽しむと良いでしょう。

「グリース」は型破りだった?

まぁ、そうでしょう。これまでいろいろと書きましたが、「グリース」には確かに素晴らしい点がいくつかあります。非常に純真無垢で軽快な作品ですが、2000年代にもっとひどい作品があったと言ったら、どう思うでしょうか?「ハイスクール・ミュージカル」や「キャンプ・ロック」を覚えていますか?

ディズニーは、これらの甘く安っぽい映画を大々的に宣伝して売り出しました。子供の多くが大好きな映画ですが、主人公同士が手を握ることはほぼなく、二人のキスシーンを見るには二作目を見なければいけません。

ディズニーはこの映画のターゲット客は子供であると明示したため、明らかに甘く無垢な内容にしておかなければいけませんでした。ですが、私はそんなのただただ許せません・・・。「白雪姫」ですらキスしていたのに。

「グリース」では一番「甘い」キャラクターはサンディーですが、その他のキャラクターは普通のティーンエージャーがするような行動を取っています。パーティー、遊び、セックス、お酒、未来への不安・・・。事実、「グリース」では避妊や10代での妊娠にまで話が及んでいます。

登場人物

この映画を子供ながらに見た時、サンディーは愛らしく可愛い存在として見ていました。一方で、別名「不良女子」のリッゾはとてもムカつく存在のように思えました。ですが、今、この二人に対する私の意見は全く違うものになりました。今になるとリッゾは思っていたよりもずっと興味深いキャラクターです。

グリース 映画

彼女はタバコを吸い、車を運転します。忘れてはいけないのは、当時これらの行為は「男っぽい」ものだったということです。彼女は自立した存在で、男達のように楽しみたかったのですが、バカにされ批判されて終わります。彼女が歌う「ついてない私」では、彼女が感じる恐怖と不安を表現しています。彼女も脆い人間だということが分かります。

男性の登場人物達と同じような性格をしているのに、人は彼女のことは軽視し、男性達のことはヒーローとして見ます。男ですら彼女のことを批判するのです!彼女は女性らしさとは何かという型を破るのですが、不運にも、社会はそれを受け入れる準備ができていませんでした。

ですが、誤解しないで下さい。「グリース」は興味深い問題をいくつか浮き彫りにし、そちらは問題提起に成功しています。「グリース」の意図は既存の構造を破壊することではなく、ただ、娯楽が目的です。この映画を再度見て、正直に、楽しめたと私は言えます。見ていて楽しかったし、面白い瞬間が何度かありました。

「ウィー・ゴー・トゥギャザー」という歌が流れる締めのシーンはとても青春でハッピーでキャッチ―で、なんだか人生を満喫したいと思いました。ですから、どうか他の昔の映画と同じようにこの映画も楽しみ続けて下さい。そして、価値観は時と共に変わっていくいうことを学んで下さい。結局、私達が織り成すのは進化を止めることのない社会なのです。