偏極思考:認知の歪み

2019年6月25日
偏極思考は無意識的なもので、状況を吟味するために立ち止まることをせずにそれを一般化させてしまいます。この思考法をとる人は、たいてい"私には決して正しいことができない"あるいは"私はいつも最終的に敗北してしまう"というような発言をします。

偏極思考は認知の歪みの一つです。言い換えると、気づかずに犯している推論ミスです。これにより情報を不適切に処理してしまったり、感情的な苦痛にもつながります。

認知の歪みは、アルバート・エリスアーロン・ベックによって説明されました。一般的に、これは感情の機能不全を引き起こす誤った考え方です。これには不合理な恐れや理由もなく悲しみを感じることなどが含まれます。偏極思考は数ある認知の歪みのうちの一つなのです。

偏極思考は、現実の極端な単純化です。物事には黒か白、あるいは良いか悪いかのどちらかしかないという考えなのです。両極端の両端の間に存在する微妙な差異が見えていないのです。このタイプの歪みを持つ人々は両極端の間に現実を設定することを好みます。なぜこんなことが起きるのでしょうか?どう対処すればいいのでしょうか?では詳しく見ていきましょう。

偏極思考の特徴

偏極思考の主な特徴は、様々な事実を一般化し、一つのカテゴリーに収めようとしてしまう傾向です。したがって、この考え方をする人々はよく”いつも”、”決して”、”全部”、”何もない”などの断定的な言葉を使います。彼らは無意識にこれを行い、それぞれに独立した事象をまとめて一つの箱に入れてしまうのです。

こういった極端な分類法は大体がとてもネガティブなものです。彼らは何か悪いものの存在に繰り返し言及することに慣れています。この考え方の人々はたいてい”私はどんなこともうまくできない”あるいは”みんなが私を利用す”る”などの発言をします。

偏極思考を抱える人々にとって、微妙な差異というのは存在しないも同然なのです。彼らはこういった分類から自らのアイデンティティの大半を見出し、そこに全てを合わせようとするのです。それが間違っていると現実が示しているにも関わらず、彼らは極端な一般化をやめようとしないのです。

偏極思考:認知の歪み

何がこの認知の歪みを引き起こすのか?

一般的に、偏極思考は人生において被害者となってきたような人々に特徴的です。望んでこのような考え方をしている人など誰もいません。これは困難な経験によって引き起こされる思考途絶なのです。その根底には、経験した悪夢に対して自分はこんな目にあうべきではないのに、という感情が存在します。

被害者というのは、環境に対して受け身な人物の役割を果たしたり、あるいは”運命”を演じたりします。それまでに経験したネガティブな出来事は自分たちの手ではどうにもできないと信じ込み、その対処法も存在しないと考えているのです。彼らは、自分たちは痛みを溜め込むための受動的な保管庫であり、それに対してできることは何もないと思い込んでいます。

自分自身を被害者であるとみなす人々は、多数の課題を克服するために使える手段が見つけられていませんし、その能力も獲得できていません。そのかわりに彼らは自らの憤りを投影し、偏極思考を発達させてしまうのです。

偏極思考の克服

このタイプの思考パターンは過去の未解決の課題から派生します。それを克服することが自分の過去そして現在について新たな観点を獲得することにつながります。自分が被害者であると信じ込むことは、自らをその責任から解放するということですここから脱するためには、自分には起こったことや何よりそれに対してどう反応するかに責任があるということを受け入れなければなりません。

偏極思考:認知の歪み

手始めに、自分の無意識の反応に注意を払い、“決して”、”いつも”、”全て”、”何もない”などの断定的な言葉を発しそうになった時に頭の中で警告音を鳴らすようにするといいでしょう。その後、一旦立ち止まり、自分の発言がいかに非合理的なものかを考えてみるべきでしょう。

さらに、自分が被害者であると感じてしまうような状況について考えることも大切です。おそらくそれは不幸せな恋愛関係やあまりにもきつい仕事などでしょう。

このような状況に耐えることだけが唯一の選択肢なのでしょうか?あるいは怖くて躊躇してしまうような他の手段があるのでしょうか?おそらく偏極思考は私たちが自分自身を十分深刻に捉えられていない場合の指標となっているのです。私たちには自分が対処しているもののことを考えるための時間とスペースが必要なのかもしれません。

  • Sedran, S. (2017). El rol de la información en los cambios de opinión: ¿actualización sesgada o racional?