ヒーローか犠牲者か:危機を乗り越える2つの方法

· 2018年6月7日

個人的な危機に直面した時、何もしないことを選び木の葉のように風に乗って飛び去ることもできれば、地面にどっしり構える石のようになることもできます。私たちは強い川の流れに乗って水面に浮きあがり、美しく光ることができます。誰もが無傷で出てくることはないかもしれませんが、私たちは自分の物語の英雄になれるのです

個人的な危機はほとんどの場合、損失が含まれます。私達は時に、人生の何かを置いて行かなければならない交差点に来ます。そこで、もはや以前の自分と同じではないということを受け入れなければなりません。

またある時、私たちは何か、または誰かを失います。予期しない出来事は、変化、奮闘、そして自分たちを完全に見失って、不公平な運命の風に流されてしまわないように挑戦することを私たちに強要するのです。

危機がなければ挑戦はない。挑戦がなければ人生はただのルーティーンでゆっくりと進む苦悩だ。危機がなければそこにメリットはない。

アルバート・アインシュタイン

これはほとんど明白な事実を私たちに教えてくれています。逆境に直面した時、私たちには2つの選択肢があります。そのままでいるか、先へ進むかです。つまり、状況の永遠の犠牲者でいるか、新しい機会に値する人として進むか、どちらかです。しかし、それは簡単ではないと言わざるを得ません。私たちに 「ヒーロー」になる方法や、人生が私たちの道に置く障害を克服するための戦術を教えてくれる人がいないからです。

陽に照らされているピンクの一輪の花

個人的な危機:バランスを失う

仕事を失い、別れを経て、鏡を見て、あなたが以前ほど若くないと気づき、あなたが気にしている人々があなたのことをあまり気にしないことを知り・・・それらは人生の中で起こりうる出来事です。しかし、どんなに一般的であっても、私たちは決してそれらに慣れることはありません。

それには理由があります。幸福はバランス、安心感、私たちがコントロールできているという気持ちです。したがって、急な変化は、それがどんなに小さくても脅威と解釈されます。どのように対応するのか分からない、私たちが予期していない出来事です。

私たちの無力感を認識することは、実際には良いスタートです。失望や喪失の後に混乱を経験すると、必然的に私たちは立ち止まって考えることを強いられます。実は「危機」という言葉はギリシャの「Krisis」から来ており、[決める]・[判断する]・[分ける]という意味があります。これは私たちの状況を判断し、何をすべきかを決めるための招待状です。

カラフルな蝶

心理学者のリチャード・テデスキとローレンス・カルホーンの著書「心的外傷後成長ハンドブック」に興味深い記述があります。それは、個人的な危機に立ち向かおうとする時、私たちは新しいタイプの言語を話し始めるというのです。

自分たちでもほとんど気づかないうちに、私たちには新しい才能があることを発見しました。私たちは最初に思っていたよりも強く、人生の戦いでは自分自身が私たちのヒーローです。最初はほとんど耐えることができなかったこと、または実施不可能な難しさは、人生の生涯学習となりました。

私たちは皆個人的な危機の犠牲者。でもそれを乗り越えるだけの能力は持ち合わせている

多くの種類の危機がこの世にはあります。私たちの生活のさまざまな段階に関連する発達的危機、事故や自然災害に関連する危機、私たちの生活目的や価値観に関連する実存的危機・・・。これらには2つの共通点があります。それは、私たちの気持ちと行動への影響です。

私たちのうち約80%が1つ、またはいくつかの個人的な危機を経験すると推定されています。私たちは、ある意味で運命の犠牲者となります。状況の犠牲者、または私たち自身が引き起こした出来事の犠牲者です。

しかし私たちは、この脆弱性と感情的不安定状態から、新しい視点の他の場所に移動し、コントロール力とバランスを取り戻し、自分を成長させる力を持っています。

禁断の果実を食べた女性

個人的成長を専門とする哲学者ギルバート・ロスは、すべての逆境は自然淘汰の一形態であると言います。挑戦と変化を受け入れた人だけが進歩します。それを糧に自尊心を高め、恐れを克服した人だけです。

泣いても笑っても、個人的な危機は今日の世界でもっと起こっています。私たちは絶え間ない変化と不確実性の時代に生きています。今日の安全は明日の安全ではない可能性があります。今私たちを定義するものは明日に消えているかもしれません。変化に対する準備は、貴重な心理的資源です。それをあなたの強いエンジンにして、あらゆる危機が乗り越えるべき機会であることを知ってください。