一時的な気分を頼りにすると…

13 11月, 2018

ストレスのかかる困難な状況にある時、一時的な気分が防衛反応を果たし、私達を守ろうとすることがあります。闇に色をつけ、辛い時も私達を笑顔にし、それは、周りに広がることさえあります。癒しにとても役立ちそうだと思うでしょう?

内的にも外的にも不快な状況に直面する時、必要なのが防衛反応です。そこにいる「悪魔」を小さくし、守ってくれる力のようなものです。愛する人を失くした時の悲しみ、恋人と別れた時の怒り、病気と診断された時など様々な状況で、私達は防衛反応を必要とします。

防衛反応は、ストレスに対し働きかけ、それを小さく、害のないものにします。恐いものではなく、身近なものにするのです。人生において感じるストレスの苦しみを忘れさせたり、次に移る手助けをしてくれます。一時的な気分が、私達の内なる世界に届ける新鮮な空気の泡は、とても大きなものです。それは、何も悪いことは起こらなかったような気にさせたり、あったとしても、自分に影響はないと感じさせてくれます。

 

一時的な気分が不快な現実からあなたを救う

重要なことや真剣な話をする時、笑顔になる人が周りにいませんか?笑顔が小さく緊張した笑いに変わり、それが大笑いになるような人です。ただ、何かがおかしいと感じます…その人の話を聞きながら、何かがおかしいと考えられずにはいられません。

重要または真剣な話を笑いながらできるのはなぜでしょう? 周りにいる、滑稽でない話を笑いながらする人のことを思い出してみてください。その笑いは偽物のように見えます…笑い以外の表現法を知らないために、魂が笑いながら叫んでいるようにも見えます。この笑いは、何かを邪魔しているようです。幸せな心から来る本物の笑いとはどこか違います。

ユーモア

話す内容と話し方が合わないことに気付きます。それにより、人は、その話がどれだけ深刻なものか見極めます。何か不自然なその笑いは、あまり重要でなく、深く掘り下げるものではないとみられます。「本人にはあまり影響がないため、笑っているんだろう!きっと大丈夫だ」と捉えられがちです。実際、話す内容と話し方があっていない時、何かがおかしいのです。

 

聴いてもらい、否定されることなく、受け入れられたいという思い

受け入れがたい現実に対する防衛反応として、一時的な気分が働くことがあります。私達を温め、社会的状況に適応するための薬のようなものです。問題は、その一時的な気分が、困難な状況に対応する唯一の方法になった時です。事実をありのまま受け入れるのではなく、「自分を守ろう」としたり、反して戦おうとするのです。

耐えがたい現実があるのも、また、事実です。大きな内なる変化を必要とすることもあります。そして、そこから逃げる一番の方法が、否定することなのです。自分の意識をそこから遠ざけ、または現実を小さなものにします…小さく押しつぶし、現実は存在しないかのように振舞います。それは、心地よいものではない上に、物事と向き合わないことは、本当の自分を避けることにもなるのです。

心地よいものも不快なものも人生の一部であり、どちらもなくすことはできません。不快なものを否定することは、自分を癒すことではありません。受け入れることこそが癒しへの道です。まず、自分の内側を見つめ、そこにあるものを大切にすることから始めます。自分の経験を生かさず、それが完全に消えてなくなるまで真似事をしているようでは、周りの人もあなたと向き合ってはくれません。

 

自分と真剣に向き合わなければ…

周りの人に、自分を大切にしてほしいかどうかを示すのはあなたです自分の感情を大切にせず、あなたの周りで起こる現実から逃げるために、一時的な気分を防衛反応として使っていると、周りの人は、あなたと距離を縮めることが難しくなります。それは、あなたが周りにも自分と真剣に向き合わず、笑って良いと示しているためです。問題について話す時笑っていては、それは重要ではなく、自分とは関係ないと言っているように取られがちです。実際はそうではなく、自分と関係しており、不快で、とてもつらいため、それを遠ざけようとし、笑いという防衛反応をとっているのです。

「全ての状況に元があるように、全ての物事にものさしがある。笑いには笑いの場所があり、涙も同じである。笑顔には笑顔の時があり、真剣さも同じである。」

-ジャーヒズ-

肩を組む二人

何を話し、どう話すか、人の気持ちとその表現の仕方の矛盾に気づくことが重要です…相手に耳を傾け、不快な状況に対しより心地よく感じられるように、その矛盾をヒントに相手に手を差し伸べましょう

仮面や真似事に惑わされることなく、相手が何を言いたいのか、ただ、注意を向け耳を傾けることで解決することもあります。その人は、偏見を持たず、ただ話を聞いてほしいのかもしれません。「元気じゃなくてもいいんだよ。話したければ、何でも言って」という言葉を必要としているのかもしれません。