自己卑下:自分には価値がないと感じる

自分を卑下してしまうという状態は、現代社会において最も一般的で多くの人々が苦しむ悪習の一つだと言えます。しかしこの状態はどのように出現し、どんな特徴を帯びるのでしょう?自己卑下によって及ぼされる影響はどれほど有害なのでしょうか?
自己卑下:自分には価値がないと感じる

最後の更新: 06 3月, 2021

自分の正当な価値を認識すること、あるいは健全な自尊心を持つこととは、己の力量や潜在力を把握することを意味します。これに加えて、自らの失敗や弱さを知っておくことでもあります。しかしながら、自分自身の価値を認めるという作業を、大半の人があまり上手くこなせていません。実は、低い自尊心を改善しようとする試みは概して失敗に終わりやすく、時間が経つにつれて自分を卑下するようになってしまう恐れがあるのです。

自己卑下:固執と変化への抵抗

多くの人々が、他人を助けたり喜ばせたりすることで周囲から認められようとしています。しかしいつも他人のことを優先していると、自分のことは完全に見過ごしてしまうかもしれません。そしておそらく自分自身について考えることはしないでしょう。他者を喜ばせることだけが人生の唯一の目標であるかのように感じられ、それこそが自分の生きる意味なのだと思い込んでしまう恐れがあります。

少なくともそのようなことを自分に言い聞かせることによって、自分がボロ雑巾であるかのように、床を拭くためのだたの道具であるかのように感じるのを止めようとしているのです。しかしこの戦略は有効とは言えません。なぜなら、心の奥底ではまだ自分はボロ雑巾のような存在だと思い続けているからです。このように感じている場合、それが持続化し、問題として留まり続けます。さらには、変化を拒絶するようにもなるでしょう。

何らかのジェスチャーや行為、レッテル、スタイル、あるいは問題といったものは、時間をかけて体系化されてしまうと変化に抵抗を示すようになります。そしてその結果、クリエイティビティが下がります。そのため、個人的に自分を卑下することに慣れてしまっている人は、障壁や試練に直面してもごく限られた範囲の解決策しか見つけられません。要するに、新たな解決策を探すのではなく、同じものを何度も繰り返し試そうとするのです。

自己卑下:自分には価値がないと感じる

自分が無意味な解決策を用いていることを認識できない

奇妙で信じ難く思えるかもしれませんが、世の中には同じステップばかりを繰り返すことで問題を解決しようとする人々がいます。たとえ前回それらのステップを用いた時の結果が望ましくないものだったとしてもです。以前試してみて効果が得られなかったにも関わらず、病気を治そうとして同じ薬を何度も服用し、ただその服用量だけ増やしているという言い方をするとわかりやすいかもしれません。

それはまるで、同じメソッドを、有効でないにも関わらずずっと何度も繰り返すコツをわきまえているかのようです。もっと言うと、それまでとは違った結果を得るためにそれらのメソッドに疑問を抱いたり、修正を加えたりすることすらしません。

同じ手法を繰り返すことは同じ結果にしか繋がらず、その大半が失敗に終わります。そしてそういった失敗は自己卑下を助長することが多く、自尊心の低さやそれに伴うあらゆる問題が改めて浮き彫りになるだけなのです。

役に立たない解決策の例は山ほどあります。例えばエレベーターを恐れている人物は密閉空間に入らねばならない状況に立たされるといつも、ただ「そんな恐ろしいことは起こらないはずだ、そんな恐ろしいことは起こらないはずだ」と何度も自分に言い聞かせるかもしれません。しかしそのような手段を取っても結局は恐れていた事態が連鎖して生じてしまうのです。

拒食症の人にいくら家族全員が食べるように言っても、その人物は食べることをそれまで以上に拒否し続けるだけでしょう。また、うつ病を患っていて悲しみや不安を抱いている無気力な男性であれば、妻から「ほら、とても良い天気!起きて!散歩に行こう!」などと言われてもますますベッドから起きあがりたくなくなるはずです。そのような言葉はただ彼に「自分は無意味な存在だ」と思わせるだけでしょう。全員から何をすべきか指示されても、快くそれをしようという気分にはなれないのです。

周囲にある物事や人から自分の価値を引き出そうとする

自己を卑下することを逃避の手段にしていると、周囲からの承認は得られず、本当に望んでいたものとは正反対の結果にしか繋がりません。要するに、本当は自分の生活環境内にいる人々から尊重され評価されたいと願っていたとしても、実際には自分の自分自身に対する評価の低さを再確認することにしかならないのです。

これは、いつも他人の手助けをしたがるような「与えたがり」の人に起こりやすく、結局他人から利用されたり不当な扱いを受けることになってしまいます。また、常に他人を優先するような自己評価の低い人々にも似た現象が生じやすくなります。この場合、自分自身の人生において何の願望も果たすことができず、フラストレーションが溜まっていきます。

こういった、与える側、手を差し伸べる側の人々は無条件に人を愛する傾向があるため、恋愛の中に安息の場を見つけようとしがちです。そしてもちろん、パートナーを何よりも優先させます。それに加えて、パートナーがニーズや願望を抱かないようにします。相手にそういった気持ちを感じさせる前に、すでにそれを与えてしまっているのです。

事実上、これはある種の主人と奴隷のような関係性と言えるでしょう。パートナーはこの人物と一緒に居たいという欲求を感じることすら許されないのですから。この関係性においては、自己を卑下している方の人物が次第にほぼ透明人間のようになっていっても不思議ではありません。なぜなら、常にそばにいてパートナーのあらゆる欲求や願望を、パートナー自身がそういった欲求や願望の存在に気づくよりも先に、満たしてしまうからです。

このように、無条件で愛することは自身の存在の透明化に繋がりますが、これは望んでいたものとは正反対の結果ですよね。無条件の愛によって自己を卑下している人物の低い自尊心はますます覆し難いものとなってしまいます。

自己卑下:その他の例

もう一つ、失敗に終わるのが運命的な行動パターンがあります。それは、優秀な生徒のケースです。良い成績を取って完璧を目指そうとするこういった若者たちは、愛されたい、評価されたい、認められたい、といった欲求をひた隠しにしています。しかし、確実に高い点数を取るであろうことを家族も友人も知っているため、何の期待もされません。そして、どうせ良い成績を取るのだろうということが自動的に予測されてしまうので、スポットライトを浴びることがなくなり、どれほど優れたパフォーマンスをしようとも大概は無視されることになるのです。これも望むものとは対極にある状態ですよね。

また、自らを弱者あるいは哀れみの対象といった立ち位置に置くような人々も存在します。こうすることで、密かに自身の我慢強さやタフさを認めてもらいたい、と願っているのです。しかし実際には、他人が抱くのは嫌悪感である場合が多いのです。常に不平不満をぼやかれ、「かわいそうな私」という態度を取られればうんざりしてしまうのも仕方ないですよね。事実、結果として周囲の人々は彼らを完全に避けようとします。

一方で、自分の持つ個人的なスキルに対して正当な評価を下せている人々もいます。このような人々は、自分には幅広い能力が備わっていることを自覚しており、自分で自分を高く評価していることを主張するでしょう。しかし、実際にそういったスキルを活用する場面になると弱さを感じ、自分自身を信頼できなくなり、自分はちっぽけで無意味な存在だと感じ始めてしまうのです。大抵の場合、肩を丸くすぼめる仕草を見せるので、その姿勢から上記のような事実が明白になります。

自己卑下:自分には価値がないと感じる

自己卑下の背後にあるもの:不安、恐怖、そして罪悪感

自己卑下によるもう一つの影響が、不安感の出現です。自尊心の低い人物は、ある状況にどう対処すべきかが判断できません。この意味では、自己卑下と不安感とは互いに手を取り合っていると言えるでしょう。どちらかがもう一方の隣で一緒に歩いているのです。

不安げな人々が不安を抱いているのは、自分には自分の行動を支持するための可能性や力量が無いと信じ込んでいるためです。そして、もう一つ、第三の概念である恐怖心によって、この三部作が完成します。

恐怖が生まれるのは、自尊心が低いことによる影響です。こうなると、その人の頭はネガティブな思考でいっぱいになり、身動きが取れなくなって状況に対処するのが恥ずかしく思えてきます。さらに、無力感に関連する感情や思念も湧いてくるはずです。

最後にもう一つ、自己評価の低い人物が感じている第四の感情があります。それは、罪悪感です。この感情は、あらゆる形態の自己卑下に常に伴って現れます。「あれをすべきだった。できなかったのは私が愚かだからだ」、「もし学校を卒業できていたら、今頃もっと良い職に就けていただろう」といった具合です。こういった類の思考を経験しながら、それと同時に、さらに自分自身を痛めつけてしまうような心の声を反芻させているのです。

自分自身を信じる

自分を正当に評価できない、あるいは自分の能力が信じられないという人は、私には何一つとして満足にこなすことができないのだ、というような感覚を持つでしょう。なぜなら、自分が他人に対して十分に合理的かつ一貫性のある印象を与えられているかどうかに確信が持てないからです。そして、疑念が生じます。頭の中は疑問だらけになり、不安感や疑惑が増していきます。このような人々は、自身の目標を達成するための計画を練ったり、戦略や手段を構築したりすべきでしょう。そうすることで状況を予測することができるので、安心感が高まるはずです。

個人的に自己を卑下していると、どんな種類のシチュエーションであっても全てを想像の中で勝手に試練として書き換えるようになります。そして、わざわざその試練に立ち向かうようなことはしないでおこう、という決断をすることになるかもしれません。心の中が、失敗する恐怖や他人からの承認を失う恐怖でいっぱいだからです。そしてそういった感情は人を臆病にさせ、他人から見下されるのではないか、本当の自分を見破られてしまうのではないか、自身の不完全さや無能さが全員の目にさらされてしまうのではないか、などと怯えるようになります。そしてこの恐怖心によって判断力が鈍るので、この人物の持つ能力の優れた部分が輝くことはなくなるのです。

自尊心を健全に保つことは可能?

低い自尊心は、人の計画を無駄にし崩壊させます。自尊心が低いとクリエイティブでいることが不可能になり、自信が無くなって不安感や苦悩が生じます。そうなると人間関係も複雑化してしまうでしょう。自尊心が低い状態とはまさに、ゆっくりと心を蝕み、貫き、崩壊させ、パーソナリティの質を落とさせる力を持つ疫病のようなものなのです。

一方で、真の自尊心とは経験の有無にかかわらずに自発的に生じる感情のことを言います。心の内側から湧いてくる感情なのです。外部からの承認に依存するものではなく、自分の自分自身に対する承認を意味します。

「自分には価値がある」と感じられている状態というのは、どんな状況からも、どんな人からも、そして生活全体からもポジティブな要素を抽出することのできる状態です。また、この境地に至ると、全ての人や状況に対して万能に振る舞うことなどできないのだ、と理解することができるようにもなります。全員に対して、自らの持てる全てを与えてやることができると信じているような人は、自分が全能の神であるかのような過信を抱いているに過ぎません。

自分自身をケアし、成長させて、自己卑下という罠には嵌らないようにしましょう。

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