自律性と他律性:重要な違い

2019年2月2日

ジャン・ピアジェは、道徳的な判断というテーマを徹底的に研究したスイスの心理学者で教師です。彼は、自律性と他律性という概念を生み出しています。これらは、人が道徳的な基準を学び適用するあり方を示しています。彼の視点からいうと、この倫理的な発達は知性の発達に関連しており、他人への道徳的依存から自立へと導いてくれます。

ピアジェによれば、子どもが生まれるとき、「良い」「悪い」などの概念を理解するほどは脳がまだ発達していません。これは、「アノミー」と呼ばれています。これは、倫理的な意識が皆無で、それに類似したものすら持ち合わせていないということです。赤ちゃんは、自分の必要に応じて行動するだけです。特定の反応を期待している場合を除き、他人にどのような影響があるかを考慮しません。

「最も優秀な政府は、私たちが自分を管理する方法を教えてくれるものだ。」
-ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ-

子どもが成長する過程で、自分の行動の倫理的価値を意識するようになります。親、教師、その他の保護的立場にある人々は、子どもの倫理的意識を高める責任があります。子どもは他人が承認するもの、承認しないものに即して行動します。これが、他律性と呼ばれるものです。

その後、脳の発達の過程が完了して、新しい発達段階へと移ります。子どもは進化して、少しづつ倫理と道徳における自律を学んでいきます。これは、自分の良心に従って行動することを学ぶということです。

自律性と他律性とルールの進化

ピアジェの考え方によれば、「ルール」の概念は道徳的発展に沿って進化してきました。ルールは、個々やグループにポジティブなふるまいを求める命令です。ルールは、対立の回避、成長、敬意、正義の促進のために正当だと信じられています。ただし、破壊的なルールも存在することを心にとめておく必要があります。

たまご

原理的になものに「発動的ルール」というものがあります。このようなルールは、単に基本的な支持に従うというものです。大人が直接的、物理的に介入を必要とします。例えば、子どもが危険な場所へ向かっていたら、大人が介入してそれを避けなくてはいけません。

次に来るのが、「強制的ルール」です。これは、子どもが生まれてからの数年の間に起こります。この段階では、子どもは規範に従います。大人がそうしろといったからです。それに疑問を投げかけようとは思いません。道徳について大人が言うことは恐ろしくすら感じるからです。子どもにとって、ルールを破ることは、どんなに不合理であっても罰の理由です。これは他律の段階です。

そして、「理性的ルール」が現れます。これは他人によって強制されたものではなく、むしろ他人が考えることに即して自分自身によって施行されます。自分が守っている規範の価値を意識している状態です。ルールや規範が理性的ではない場合、これには従わず、 自律的に行動します。遵守は、もう無条件ではなくなります。

正義、公平、協力

他律主義段階にとどまる人にとっては、大多数のすることが良いことです。ルールがあるのはそれが良いことだからだと考えます。ルールを作る人のことも、道徳的な内容も考えることはしません。これは子どもだけではなく、大人にも当てはまります。だから、多くの人や社会が、何らかのルールに縛られそれに反して行動できないことがあるのです。

はかり

他律では、意図が分析されません。考察されるのは、ふるまいの結果のみであって、その裏の動機ではありません。ピアジェは、子どもたちのグループに2つの行動を判断させています。1つ目は、子どもがテーブルクロスに意図せずインクをこぼしたものの、そのしみが大きい場合。もう一つは、わざとインクをこぼした場合です。どちらの方が悪いかと尋ねると、子どもは大きなしみを残したほうが悪いと答えました。

他律性の主な特徴の一つは、その厳格さです。意図、文脈、理由も考慮されません。ここで大事なのは、規範に沿っているかどうかだけです。これは、不倫、目標の失敗、違法の行為などに向き合うとき、大人が良くとる姿勢です。

自律性は、意図が決定的な要因になります。正義もしかりです。ふるまいがルールに反しても、それが正義を促進すればこれは正当とされます。平等のための方法として道徳が重要であると考えられるのです。ルールはさほど重要ではありません。こういった意味で、個々が自律性を養ったほうがより良い社会を築けるのではないでしょうか。