ジョン・レノンと鬱:誰も理解しなかった歌

· 2018年7月20日

ジョン・レノンは人生の多くを助けを求めて叫んですごしました。60年代の歌『ヘルプ!(Help!)』、さらに最後の曲でひとつの予言のような曲『ヘルプ・ミー・トゥ・ヘルプ・マイセルフ(Help Me to Help Myself)』でも助けを求めています。最も理想家で革命的でインスピレーションを与えるビートルズのメンバーは、トラウマ的な暗くそれでいて人に力を与える面を持ち合わせていました。

悲しみは力強い感情だと言います。歴史上の最も芸術的な作品の裏にある炎です。それは、例えばジャニス・ジョプリンに見ることができます。パワフルな声を持つシンガーである彼女ですが、その早すぎる死は、皮肉にも少しだけ世界を幸せにした悲しい女性としての記憶を残しました。

ビートルズも同じような功績を、さらに世界的な規模で残しました。音楽的、文化的、社会的に及ぼしたものは大きなものです。しかし、グループの中で最も知的なジョン・レノンが隠していた悲しみを立ち止まって考える人はあまりいません。

 

彼の中に何かが隠れていることは、ジョンを良く知っている人ならだれでもわかりました。それは、およそ5年に及ぶ孤独の時間を過ごすことになった自殺的で破壊的な影でした。

皮肉なことですが、マーク・チャップマンにダコタ・ハウスの前で殺害される前に書いた最後の曲のひとつは、暗い穴からぬけ出しかけていることを示していました。2度目のチャンスを探していたのです。希望に満ち溢れ、もう一度自分を信じ始めていました。

「親愛なるジョンへ
自分に厳しくなりすぎるなよ
ちょっとは手を抜こうよ
人生は競争じゃないんだ
レースは終わった。君は勝ったんだ。」

ジョンレノンサングラス

ジョン・レノンと助けを求める声

ジョン・レノンが『ヘルプ!(Help!)』の歌詞を執筆した時、グループのメンバーはちょっと驚いてしまいました。当時、誰もこの曲のことを深く考えていませんでした。キャッチーなメロディーで、ビートルズのベストセラー曲のひとつになっています。

1965年の映画のタイトルにも起用されました。しかし、この歌詞はジョン・レノンの抱えていたストレスであり、自分が頭で処理できる速さよりも、物事がずっと速く進んでいることに対する拭えないプレッシャーを表したものだったのです。

数年後、プレイボーイ誌にインタビューされたポール・マッカートニーは、当時バンドや自分自身が経験しているものがよく見えていなかったと語っています。

ジョンは助けを求めて叫んでいたのです。しかし、彼の世界は耳の聞こえない人で溢れていました。歌の中で、ジョンは不安や鬱、誰かに助けてもらいたいという願望を自由に表現しています。もう一度地に足がつけるように助けてくれる誰かです。

ジョン・レノンのトラウマ

彼の生涯に渡る苦悩と隠された悲しみは、幼少時代の影響ではないかと考えている人もいます。彼の父親は商船乗組員で留守がちでした。母親もジョンと暮らさず、おばさんとおじさんの元に住まわせました。

数年後、母親との関係を修復しかけているときに、母親の死を目の当たりにしました。酔った警察官が彼女を車でひき、即死させました。これはジョンに大きな衝撃を残します。一生背負うことになる傷です。

ジョンレノン写真

ジョンの伝記に取り組んでいる専門家は、この悲しい出来事を乗り得るために深く音楽の世界にのめり込んでいったとみています。そもそもアートへの情熱は母親から受け継いだものでした。様々な楽器の使い方を教えたのも母親でした。興味のきっかけを与えたのです。ジョンの最も親密な歌『ジュリア(Julia)』はそんな母親に捧げられたものでした。

ジョン・レノンと原始的なスクリームセラピー

1970年にビートルズが解散したあと、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターはそれなりにキャッチーなアルバムをリリースして、成功し続けました。ジョンは同じような道をたどることはできませんでした。

世界は、様々な声、動き、不公平さ、社会的岐路で溢れていて、ジョンはそれを深く感じていました。彼はひどい怒りを感じていたようです。政治的な偽善に対して戦い、彼を理想化した若いファンやロックスターを批判しました。

この新しいステージにおいて深い考えをそのまま表現したアルバムがあります。「音楽を信じない…エルビスを信じない…ビートルズを信じない…夢は終わった…僕はセイウチだったけど、今はジョンだ…」

音楽を作ることでモチベーションを得ることはありませんでした。喜びや満足感はもう得られなかったのです。目の前にある仕事であり、アルコールやLSDで自身を破壊する過去から出られなくなったように感じていました。

しかしあまり知られていないのは、音楽も瞑想もドラッグも心の中にある悲しみをなくすことができないと気づいたあとに、ジョン・レノンは心理セラピストの アーサー・ヤノフへ通うようになったということです。彼は原始的なスクリームセラピーを生み出した有名な精神科医です。スクリームセラピーとは、叫びとサイコドラマを通じて心理的なトラウマを治療する方法です。

苦悩

この方法は、多くのカタルシス的な表現的セラピー同様、抑圧していた痛みを表現して問題を行動化し、それに伴う痛みを表現することで問題を解決します。

ジョン・レノンは、このセラピーを長年続けてよい結果を得ていました。素晴らしい内面的な気づきへとジョンを導いたセラピーの旅路の結果、ある一曲を生み出すことになったのです。

その曲のタイトルは『マザー(Mother)』でした。