女性活動家エメリン・パンクハーストと婦人参政権運動

2019年10月24日
エメリン・パンクハーストは、婦人参政権運動のカリスマ的指導者で、投票権を獲得するために尽力し続けました。女性活動家エメリン・パンクハーストの人生と政治的・社会的活動を学びましょう。

今日は、政治活動家で婦人参政権運動で活躍した女性の人生を探索します。女性活動家エメリン・パンクハーストは女性の投票権のために最前線で闘いました。

エメリン・パンクハーストは、女性も男性と同じように市民権をもつべきだという情熱を示した人物です。女性の参政権のため、貧困や差別をなくすために人生を捧げました

雑誌「タイム」の20世紀の最重要人物100人に、エメリン・パンクハーストは選ばれています。カリスマ的指導者で、才能ある演説者でした。多くの人に影響を与え、人々と共に闘いました

彼女の努力の結果は? 未来の世代にどのような影響を与えたのでしょう?彼女の時代はどう変わり、将来をどう変えたのでしょう?ここでは、この素晴らしい女性活動家エメリン・パンクハーストの人生をもう少し詳しくみていきます!

エメリン・パンクハースト

 

若き頃

1858年7月15日エメリン・パンクハーストは誕生しました。父親はロバート・グールデンで政治活動家の家庭で育ちました。母親はソフィア・クレーンで、マン島出身の政治活動家です。エメリンが幼い頃、両親は奴隷の廃止に向けて活動していました。

20歳の時、婦人参政権運動や教育改革に携わる政治活動家で弁護士の男性と恋に落ちます。彼の名は、リチャード・パンクハーストで、エメリンよりも24歳年上です。2人は結婚し、5人の子どもに恵まれました。

 

婦人参政権

当時の婦人参政権団体は、未婚または未亡人の女性にのみ投票権を与えるという意見に落ち着き始めていました。しかし、エメリンと夫はこの提案を完全に拒否し、新たな団体ウーメンズ・フランチャイズ・リーグを設立しました。

この新たな運動は、例外のないすべての女性の権利、離婚や相続の平等権を求めました。運動が始まってすぐ、活動は左翼的に過激化し、多くのメンバーがやめました。

 

エメリン・パンクハーストの政治的キャリア

しばらくロンドンで過ごした後、エメリン・パンクハーストはマンチェスターに戻りました。そして、自ら政治的活動を始めました。エメリンは、女性であることを理由に何度も受け入れを断られましたが、ついに、独立労働党に入りました。そして、失業者救済委員会を通じて、食料を配る活動に参加します。

目の前の貧困と無力さは、彼女に大きな影響を与えます。この経験から、エメリンは、労働者保護改革運動に参加しました。また、この頃、リチャードには不運が重なり、病気で亡くなってしまいます。これにより、エメリンは多額の負債を抱えながら、家族を支えることになります。

エメリンは市庁舎で働き、地域の女性の社会的状態を非難しました。また、この頃、大人になった娘達も、婦人参政権運動に加わります

 

言葉ではなく行動を

何も変えることができない婦人参政権団体や政党に失望し、彼女はそこを離れます。そして、婦人社会政治連合(WSPU)を結成しました。この団体は、女性のみで構成されており、モットーは「言葉ではなく行動を」です。

WSPUはすぐに過激になり、暴力行為をはかるようになります。注目とリベンジが目的でした。窓ガラスを割る、個人所有物への攻撃、ハンガーストライキなどを日常的に行いました。

エメリンの政党の男性や当局は何度も彼女や周りを攻めました。また、エメリンは何度か刑務所に入っています。この頃彼女はマンチェスターの家を売り、イギリス、アメリカへわたり、活動に関する講義を行いました。

エメリン・パンクハースト

 

エメリン・パンクハーストと女性の投票権

第一次世界大戦中、エメリンは、WSPUからの女性の解放に関し、議会と交渉しました。そこで暴力行為を働かないことを約束しました。また、ドイツと闘うイギリスの支援組織にいる女性の支援もこの約束のひとつでした。

この約束は、活動の中での衝突の発端となります。論争の的となり、最終的に、エメリンと娘の一人との決別は乗り越えることができないものとなってしまいました。終戦後、彼女は左翼政治に幻滅し、保守党に入ります。

当時、保守派はもっとも人気のある政党でした。エメリンはこの活力を婦人参政権に利用しようと考えたのです。69歳でなくなる数週間前に、彼女の努力と献身は報われました。エメリン・パンクハーストは、生きている内に投票権を勝ち取った女性を目にすることができたのです。

 

暴力と婦人参政権

エメリン・パンクハーストは、論争の的になりやすく、エネルギーがあふれ、過激な活動家でした。自分のゴールを見失うことなく、政治的考えを攻撃し、また、支持しました。人は、彼女を愛し、憎みました。エメリンは人生のすべてにおいて、影響力のある女性だったのです。

さいごに。女性活動家エメリン・パンクハーストは婦人参政権のより過激な面を示しました。活動する人皆が、彼女の暴力的な方法を支持したわけではありませんが、この「男性的」方法が女性の主張へ注目を当てることになったのです。パンクハーストはあえて、家長制が唯一理解する言葉である暴力的抗議を使いました。この戦術に賛成するか反対するかは様々だと思いますが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、システムがそれに耳を傾け、変わったということです。

  • Cruz Pérez, G. (2012). De la tristeza a la depresión. Revista electrónica de psicología. Iztacala, 15(4), 1310-1325.