受容なくして癒える悲しみはなし

2018年8月25日 in 心理学 0 シェア済み
女性の横顔

愛する人の死や破局を迎えると起こるであろうことが一つあります。悲しみを感じるということです。時に、この悲しみのステージに捕らわれてしまうことがあります。受け入れや痛みなしにはこの悲しみを癒すことができないということを、わたしたちは忘れてしまいがちなようです。

悲しみには意思、献身、信仰、知識が必要で、そのプロセスはよく知られています。第一に起こったことを否定し、怒りを感じます。怒りのあとは悲しみが襲います。最後に、起こったことを受け入れます。これら全てのステージで人は苦しみます。そして時に、その苦しみが停滞してしまうことがあるのです。

長い間破局を否定することがあるかもしれません。顔を見るのも辛くて、怒ったり、起きてしまったことについて他人や世界を責めるほうが簡単かもしれません。しかし、そのせいで人は抜け出せなくなります。自分に泣くこともゆるしません。悲しみを感じだり、こころで感じでいる悪い感情を発散することすら自分に許さないこともあります。

悲しみは、涙、孤独、無力感、前に進みたくないという気持ちなくして癒えることはありません。
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痛みなくして癒える悲しみはない

矛盾しているように思えるかもしれませんが、痛みがなければ悲しみが癒えることはありません。自分の感情の壁に沈み込む必要があります。しかし、人は起こったことを否定しようとしてしまいがちです。怒りを感じ、内面に溜まった悲しみを一気に放出します。そして、最後から2番目のステージである絶望期間が訪れ、その危機感や自暴自棄から、もっと危険な状態になります。

絶望によって何かしたいという気持ちがなくなります。被害者であるかのように感じて、自分の行動で鬱になります。前に進んだり深く沈み込んだ穴から出たりする力がないと思い込みます。

窓際の女性

しかし、すべて自分の見方次第です。人間は現実の多くを自分が認識したいように作り出しています。もし痛みが深く希望がないと思えてしまったら、きっとそうなります。暗い部屋に入り、抜け出す力がなくなります。

この感情に数週間、もしかしたら数か月囚われてしまうかもしれません。しかし、自分でえさを与えているその痛みはいつまでも強く人を捕らえられるわけではありません。そのうちその人自身がその状況に飽き飽きしてしまうんです。いつか、目覚めてその涙でおぼれそうな悲しみの穴から抜け出したくなります。

エネルギーがないと感じたら、落胆や悲しみに囚われていると思ったら、世界は息苦しくなります。幸せを感じたときのことを思い出してください。最高の感覚ですよね?世界の見方は、どう感じるかによって変わります。

夕日と男性

感情を恐れる

痛みと受容なくして悲しみが癒えることはないとわかっていても、2度目にこのステージに差し掛かった際もやはりはじめと同様に不器用に感じるかもしれません。感情を許すと、頭の中で「ずっとここにいるぞ」と言ってくる小さな声が聞こえてきてしまうからです。だから逃げたくなってしまうんです。

起こったことを処理する以外にどうしようもない時、痛みを感じることを避けるためにいくつかの手を使います。悲しみの各ステージを一つ一つ経験していきますが、その痛みの度合いはステージによって異なります。私たちは一番最後のステージを何が何でも避けようとしますが、この最後のステージこそがわたしたちを解放してくれるのです。

井戸だと思われたものは井戸ではなく、トンネルだったのです。中に入って、出てこなくてはいけないんです。しかし、わたしたちが自分の感情を恐れて起こったことを受け入れることを拒否したら、希望のない心がこれをすべて無意味な井戸に変えてしまいます。

この理由から、大切な人をなくしたり破局したりすると、気分がよくなったり、幸せになったり、前に進んだりすることができないように感じます。もうワクワクするような冒険がないかのように思われます。失った人やその人と経験した状況に固執して、もう望みがないと思うようになります。しかし、そんなことはありません。前に進むために、痛みを許容して、感じて、受け入れなくてはいけません。

「そこにあるのは暗く孤独な自分のトンネルだけです。」

-エルネスト・サバト-

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