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恋はいつ終わるのでしょうか。愛を語ることと恋を語ることの違いは? 長期的な愛を理解するポイントは、変化ではなく変遷にあります。この点に注目すると、相手の理想化が崩れたときに、どのように多くの愛が生き残り、他の多くが残らないのかを理解できるでしょう。
恋は終わらずに愛が始まると考えがちですが、実際は恋から愛への道なのです。恋は、相手の理想化に満ちていて、現実にどうなのかということに目がいかず、自分の夢と希望をその人に投影するもので、相手がこうであってほしいと思う全てがその情熱に具体化されます。
パートナーを失敗や短所も含めてリアルに見るようになり、現実というショックを受け、その理想とのギャップを受け入れ、そしてそれを愛することが出来るようになった時にはじめて、実際にその関係を愛として語ることができます。時間の流れの中でその移り変わりを見すえ、その状況への調整ができれば、息の長い愛を見つけ理解することができるでしょう。完璧である必要はなく、リアルでなければなりません。そして時に留まらせるために、その時々の要求に応えなければなりません。
アメリカの心理学者ロバート・スタンバーグ氏は、愛というものは次の3つの心理的要素の上に成り立つと述べています。
時期によって親密性・熱情・約束のいずれかが、二人を結びつける糸として他の2つよりも強くなることがあるにしても、完全な愛は、この3つの要素が等分にあるとき成立すると考えられます。
スタンバーグは、完全な愛を見つけることは容易だが、維持することは難しいと言います。この3つの心理的要素について考えると、どの要素が際立っているかで、異なる愛のタイプとなります。
これらの愛のタイプを理解していれば、愛という名の感情がダイナミックで変化に富むものであることがより理解できます。つまり、一つの関係は、段階を経るにしたがって、あるタイプから別のタイプの愛へと移り変わっていったり、前述の3要素のいずれかが際立ったりすることがあるのです。
恋の段階は、実態と感じるものとがかなり異なることが多いので、熱狂の時期だとよく言われます。相手を理想化し、客観的になれず、そのため恋は、本物の愛とは言えないでしょう。誰かを愛するということは、その人の丸ごと全てを知り、どんなところが好きで、どんなところは好きではないのかを認め、それでもその人の隣にいたいという決心をするということなのです。
恋をすると私たちの脳は、セロトニンとドーパミンという物質を分泌します。この分泌が、快感と幸福感を生み出し、その陶酔感と恍惚感に相手の「中毒者」になってしまいます。しかし、この感情のほとばしりは、時とともに減っていき、より理性的で場合によっては穏やかな、新しい感情に移ります。恋に落ちた私たちの脳は、ほとんど動物のようにその場の情熱と幸福に流されるのです。
誰かを愛したときは、理性的な部分でも愛し、状況を見極め、決心をし、より成熟した人間的な観点で相手を選びます。毎日恋をしましょう。しかし取り分け恋の段階が終わったときこそ、一瞬一瞬愛することを学びましょう。長期的な愛は、当初は見えていなかった犠牲を伴ったり、最初は苦にならなかった努力が必要だったりします。そこで私たち自身が、続けるのか続けないのかを決断しなければならないのです。