構成主義:私達はどのように現実を構成しているのか?

2019年3月1日

長い間、哲学者や科学者は私達がどのように現実を知覚するか、どのように知識を得るかについて考えてきました。ここでは、これらの質問に答えを出すある学派についてお話します。それは構成主義です。構成主義の理論は、心理学の研究のための興味深いレンズを私達に提供してくれます。

構成主義の話の前に、その歴史や起源を理解することから始めましょう。シンプルにするために、ここでは二つに的を絞ります。どのように知識を得るか、そして、どのように現実を知覚するかです。

 

どのように知識を得るのか?

思考や精神の表現はどこからくるのでしょう?この質問に答える古典的理論が二つあります。それは、経験主義と生得主義です。

経験主義は、すべての知識は経験からきているという前提に基づいています。とても小さくシンプルなアイデアさえも環境から得て、後に脳がそれを捉えて学習します。

この考えでは、知識は完全に私達の外側から体に渡ります。現実そのものや他人から得て、それを個人がコピーするのです。経験主義は常識と合致した理論です。さらに、行動主義など他の心理学派にも影響を与えています。

構成主義を考える

生得主義は、経験主義は十分でないという考えから生まれました。知識の大部分は外的なところから得られるという考えには賛同します。しかし、複雑な言語を使って物事を関連付けるなど、私達が一定の性質をもって生まれることも確かです。

そこで、経験から得られない知識もあるという考えで、生得主義は始まりました。このような知識(またはプログラミングと呼ばれる)は、例えば経験の整理(空間、時間、数などのカテゴリー)に必要なものです。

生得主義の問題は、どのように知識が生じるかを説明するのには、十分ではないことです。また、ある知識はなぜ異なる時に生じるかを説明することができません。さらに、個人の差異がある理由も説明できません。構成主義は、経験主義が抱える問題も合わせて、これらを解決しようとしています

現実と個人の継続的な相互作用の結果が知識であるという原則が、構成主義にはあります。個人は、直感的な科学者のようです。現実に関するデータを集め、その状況を解釈しようとします。この解釈が、個人の世界を創造し、次の解釈の基礎になるのです。

 

どのように現実を知覚するか?

これも大きな疑問で、その答えはいくつか出されています。最も直感的な答えで、歴史上初めて提唱されたのが現実主義です。この考えでは、私達は現実と全く同じコピーを受け取ります。見るもの、聞くもの、触るものすべてを、そのまま感じ、皆が同じように受け取ります。

現実主義は、自分の重さに倒れました。哲学者は、感覚が現実を完全に知覚しないことに気づいたのです。デカルトやヒュームは、感覚の裏に現実がないこともありえると言ったほどです。その他の答えもあります。それは、感覚は現実の不正確な投影を私達に与えるというものです。現実を直接的には見ていません。この考えによると、私達は現実の影のみを見ているのです。

これでも、最後の解釈にはまだ何か不足しています。例えば、皆が同じ感覚機能をもっているとしても、同じ状況で皆が同じように感じるわけではありません。現実の影は、それを見る人により変わっているようです。ここで、感覚は現実の単なる投影ではなく、もっと複雑なものだというのが構成主義です。

六と九

構成主義の理論において、感覚から現実に関する情報を私達は受け取りますが、それは脳にとって複雑すぎます。その情報を処理するため、脳はそれを組み立てる必要があります。そのために、構成されていない情報を、概念や解釈に類別します。

 

構成主義と社会構成主義

簡潔に言うと、構成主義は認識論的仮説として理解することができ、その中で私達は知覚の積極的な仲介者であり、世界の正確なコピーを受け取るわけではありません。

私達が、知覚を通して、私達の内側そして外側で世界をカタチにします。では、私達それぞれが積極的な仲介者で、現実を作っているのであれば、どうして、皆が現実に対し似たような視覚をもつことが可能なのでしょう?

この答えを探すには、心理学者ヴィゴツキーと彼の文化に基づく社会構成主義まで戻ることが出来ます。それぞれが自分の世界を作りますが、私達は一定の社会や文化に生まれ、それにより私達は導かれているのです。

人は文化の中に生まれると、文化が私達の解釈を誘導するだけでなく、そこから多くの構造を取り入れます。その証拠に、遠く離れた文化をもつ人より、同じ文化をもつ人の方が現実の構造が似ています。

現実

これらすべてをまとめると、アイデア、知識、理論はすべて社会の構造だと言えるでしょう。現実は、私達にとって異質なものです。物理法則でさえも社会構造の一部であり、共通した概念的枠組みをもちます。こういう意味では、科学は現実のできごとを説明するのではなく、現実を私達が共同構成したできごとを説明するのです。

これらの考え方は、心理学やその他の科学の歴史に、ある種の革命を起こしました。社会構成主義のおかげで、心理学の多くの分野で典型が壊され、観点は広がりました。ここで、質問です。構成主義が正しい答えでしょうか?それとも、私達はこれからも学ぶ必要があるでしょうか?