マリオ・カペッキ:家なき子からノーベル賞受賞者へ

11 5月, 2020
マリオ・カペッキは、2007年に遺伝学の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。しかし、その裏には波瀾万丈の物語が隠れています。この記事を読んでもっと知ってください。

マリオ・カペッキの人生について読むと、自分で調べて本当かどうかを確認せずにはいられないようなストーリーでいっぱいです。中でもこの天才が、「運」に見放されていたと同時に幸運でもあった、いうのが最も不思議な部分でしょう。

マリオ・カペッキは、1937年10月6日にイタリアのヴェローナで生まれました。生まれた時は、成功が約束された幸せな子供になることが運命づけられているように見えました。父親のルチアーノ・カペッキは有望なパイロット、母親のルーシー・ランバーグはアメリカ人で、裕福な芸術家の家系でした。

父親のルチアーノは世界中を旅し、ルーシーと出会ったのもそのおかげでした。二人は恋に落ち、ルーシーは彼とともにイタリアに渡って新しい生活を始める決意をします。彼女は「ボヘミアンズ」と呼ばれる芸術家のグループをヨーロッパで立ち上げ、ラ・ソルボンヌ(パリ大学)で詩を教えもしました。明るい未来が家族を待っているように見えていたのです。

マリオ・カペッキ ノーベル賞

ファシズムの台頭

カペッキ一家が予想もしなかったのが、イタリアでのファシズムの台頭でした。突然、陣太鼓が日常生活の一部になったかのようでした。マリオの母親、ルーシーは、ファシズムに対抗する運動を密かに始めます。自ら新聞を立ち上げ、ムッソリーニの人種法に強く反発しました。

戦争がはじまると、マリオの父親も戦場に招集されました。アフリカで高射砲隊に参加することになったのです。

「運命は私たちを様々な方向へと導く。」

-クリント・イーストウッド‐

しかし出発前、彼は自分の家族のことを非常に心配していました。ルーシーがいつ政府に目を付けられてもおかしくないと悟っていたのです。

恐れていた通り、1941年にゲシュタポがルーシーを逮捕し、3歳だったマリオを残してルーシーはダッハウ強制収容所に送られました。その結果、マリオの親から援助を受けていたボルツァーノの農家が、マリオの面倒を見ることになります。

ここでマリオがひどい扱いを受けていたという人もいれば、農家が単純にお金を使い果たしてしまったという人もいます。理由はどうあれ、彼らが4歳のマリオを見捨ててしまったということは、否定できない事実です。

マリオ・カペッキ ノーベル賞

マリオ・カペッキ、路上の天才

マリオ・カペッキは、当時のことをはっきりとは覚えていないと言います。唯一覚えているのは、道の真ん中で一人で路頭に迷う自分自身です。しかし、一人で道をさまよい歩いているうちに、同じような境遇にあるストリートチルドレンのグループをいくつも見つけました。それは面倒を見てくれる大人がおらず、路上で生き延びることを余儀なくされた子供たちでした。

このストリートチルドレンたちは、食べ物を盗み、路上や屋根のあるところを見つけては寝床にして生き延びていました。目標はその日一日を生き延びること。将来などは頭の片隅にもありませんでした。このような危機的な状況では、唯一信じられるのは自らの生存本能だけだったのです。

こうして、マリオ・カペッキは5年間路上で暮らしました。しかし彼が8歳になった時、急に病気になってしまいます。なにが起こったのか全くわかりませんでしたが、ある日道で気を失ったマリオを誰かが見つけて助けてくれました。病院にたどり着いて分かったのは、チフスにかかっていたということでした。

運命の不思議

戦争が終わったものの、マリオはまだ病院を出られるほど状態が安定していませんでした。それまでも様々な施設に入っては逃げ出すことを繰り返してきたマリオでしたが、今回は違いました。病気のせいでほとんど身動きが取れなかったからです。

ある日、一人の女性がマリオのベッドへと近づいてきました。彼はすぐに認識することは出来ませんでしたが、なんとそれは彼の母親だったのです。彼女は強制収容所を生き延び、18ヵ月もの間マリオを探し続けていたのです。彼女がマリオの居場所を突き止めることができたことは、まさに奇跡でした。

身体的にも精神的にも、ルーシーは前とは違っていました。それでも、これが歓喜の再会であったことは事実です。二人は共にアメリカへと渡り、新たな生活を始めました。マリオは医学を勉強することを決め、その才能を発揮しました。

1980年代初め、彼はアメリカ国立衛生研究所の研究員たちの意思に反して、ラットを使った研究を始めました。ラットの遺伝子からDNAを取り出し、それを別のものに置き換える実験をしていました。

2007年、彼はマーティン・エヴァンズ、オリバー・スミシーズと共にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。その時、オーストリアに住んでいたマルレーネ・ボネッリという女性が、彼の苗字を見てハッとしました。マリオは知らなかったものの、彼女は同じ母親を持つ義理の妹だったのです。彼とコンタクトを取ろうと全精力を注いだマルレーネは、一年後ついにマリオとの再会を果たします。また、運がマリオに味方した瞬間だったのです。

de la Torre, T. (2009). Adversidad creadora: Teoría y práctica del rescate de potencialidades latentes. Encuentros Multidisciplinares.